やおとめはちまんじんじゃ
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八乙女八幡神社ではいただけません
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八乙女八幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年11月26日(土)
参拝:2021年11月吉日
【出羽國 古社巡り】(過去の参拝記録)
八乙女八幡神社(やおとめ・はちまん~)は、山形県西置賜郡白鷹町荒砥甲にある神社。旧社格は県社。祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后ほか6柱。山形県神社庁の登録名は「八幡神社」。
創建は平安時代後期の1087年、後三年の役の際に、源義家が当地に石清水八幡宮を勧請したことに始まるとされる。社名の由来は、義家が当社にて弓矢を立て、八人の乙女に舞楽をさせ戦勝祈願をしたことによるとされる。その後、藤原清衡の臣の荒川次郎泰清が当地に荒砥城を築城し居館としたと伝わる。のちの戦国時代後期には上杉氏が支配し、対立する最上義光との領土の境ということもあり、直江兼続が当地に多くの家臣を置いたとされる。
当社は、JR米坂線・今泉駅の北方16km、フラワー長井線の終点・荒砥駅の南方100mの小丘の上にある。境内入口は東側にあって、数十段の階段を登ると、まずまずの広さのある社殿周りに到着する。境内には樹木が多く、昼間でもある程度の暗さがある。社殿の周りにはいくつかの境内社や石碑があるが、シンプルな造り。南東のさらに高いところに御楯稲荷神社という境内社がある。
今回は、山形県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の昼ごろで、自分以外には参拝者は見掛けなかった。
境内東側の麓から階段を数十段登ったところにある<鳥居>。
木製両部鳥居には「八幡宮」とだけ書かれた扁額と、出羽國(山形県)独特の中太な注連縄が架かる。
鳥居から振り返った、境内東方の景色。
鳥居をくぐって、参道右手の建物。
参道左側の<手水舎>。
参道を進むと、社殿は一段高いところにある。
階段を登った左側にある<狛犬>。なんという珍しい造形。超個性的で良い。
階段を登った左側にある<狛犬>。左は<お座り型>で右は<出雲構え獅子型>という組み合わせも珍しい。
<拝殿>全景。なかなかのサイズ感で、さすが旧県社といった風格。
正面には向拝が付いている。簡素な彫刻に、出羽國注連縄が架かる。
<拝殿>正面。扁額の手作り感が良い。
<拝殿>内部。きれいにされている。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿後ろの<本殿>。本殿もなかなかのサイズ感で立派。
拝殿の右手にある<庚申塔>。
社殿の右手にある石碑群。左から順に<大宮大明神>、<皇大神①>、<湯殿山>、<皇大神②>。
本殿の右手にある<津島神社>。
津島神社の左手にある石碑群。石仏も混じっている。
本殿の後方にある<もんじゅさま>。
本殿の後方にある、もう一つの境内社。
社殿の右側奥にある建物群。
最後に、境内の南側にある<御楯稲荷神社>の鳥居。当社の摂末社ではないみたい。(余力がなく登らなかった)
慶長年間(1596年~1615年)に、この地を領有していた直江兼続が、荒砥城の守護として建てたものとのこと。(^▽^)/
慶長年間(1596年~1615年)に、この地を領有していた直江兼続が、荒砥城の守護として建てたものとのこと。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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