御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
幸徳院笹野寺ではいただけません
広告

真言宗豊山派長命山

幸徳院笹野寺
山形県 南米沢駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

山形県のおすすめ🌸

広告

おすすめの投稿

japan-welder-…
2024年02月10日(土)
265投稿

山形県米沢市笹野に境内を構える、長命山 幸徳院、笹野寺別当寺院、置賜三十三観音霊場を代表する茅葺きの御堂は見所が要所に在り紫陽花寺としても有名です、訪れた際には寺院入り口の蕎麦屋さんは絶品ですので立ち寄って見るのも良いかと思います、置賜三十三観音、出羽百観音巡礼で2023/8月、北國八十八ヶ所霊場巡り9月訪れましたので、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は長命山、寺号、院号は幸徳院、笹野寺別当寺院、宗派は真言宗、ご本尊は置賜三十三観音霊場、第十九番札所、札所本尊は千手千眼観世音菩薩、北國八十八ヶ所霊場第三十二番札所、札所本尊は千手千眼観世音菩薩、笹野観音堂の創建は不詳ですが大同元年(806)に坂上田村麻呂が蝦夷討伐で当地まで進軍した際、国家鎮護を祈願して観音堂が造営されたのが始まりとされ、弘仁元年(810)に高僧で会津地方の仏教の布教に尽力した徳一上人が寺院として開山したと伝えられています。
当初から神仏混合の形態で別当には長命山幸徳院があたり、祭神として羽黒大権現が勧請され、
笹野観音堂は中世以降、歴代領主から崇敬庇護され、社殿の改修や造営、社領の寄進などが行われ、特に慶長3年(1598)に領主となった上杉家執政の直江兼続は出羽三山(鶴岡市)から羽黒大権現の分霊を勧請し、慶長6年(1601)に上杉家米沢移封に伴い米沢城の最終防衛ラインとして鉄砲60挺を配備しています。
現在の笹野観音の本堂である観音堂は天保4年(1833)の火災で焼失後の天保14年(1843)に12代藩主上杉斉憲により再建されたもので、棟梁は渋谷嘉蔵、彫刻は後藤藤吉・政吉、労働力人工は延べ7,100人、15万石の米沢藩としては一大事業となりました。
建物は入母屋、茅葺で正面に大型な千鳥破風、桁行3間、梁間4間、正面3間軒唐破風向拝付、向拝には龍や鳳凰、獅子、兎、象などの彫刻が施され江戸時代後期の社寺御堂建築の特徴が見られる貴重なもの、笹野観音堂の仁王門は天保11年(1840)の火災で焼失後、明治6年(1873)に南原の常慶院から移築したもので仁王像が安置されています。境内には紫陽花が咲き乱れ別名「あじさい寺」と呼ばれています。歴史

幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
幸徳院笹野寺(山形県)
もっと読む
投稿をもっと見る(8件)

幸徳院笹野寺の基本情報

住所山形県米沢市笹野本町5686-5
行き方
アクセスを詳しく見る

山形県のおすすめ🌸

広告
名称幸徳院笹野寺
通称笹野観音
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0238-38-5517
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://sasanokannon.com/index.html

詳細情報

山号長命山
院号幸徳院
宗旨・宗派真言宗豊山派

Wikipediaからの引用

概要
笹野観音堂(ささのかんのんどう)は、山形県米沢市笹野にある真言宗豊山派の寺院。宗教法人としての名称は幸徳院(こうとくいん)。詳しくは長命山幸徳院笹野寺と称する。 本尊は千手観音(千手千眼観世音菩薩/せんじゅせんげんかんぜおんぼさつ)で、置賜三十三箇所観音霊場19番札所である。紫陽花の名所として別名「あじさい寺」と呼ばれている。国家安泰を願って坂上田村麻呂が建立したといわれている。 観音堂の境内には文化財も数多く残されており、参道北側の石の地蔵菩薩像は、米沢城下の大商人渡部伊右衛門が450両余をかけて建てた延命地蔵菩薩で、蔵王山の麓から運ばれた約30個の石で組み立てられている。 また、本坊位牌堂には平安末期頃に作られた木造釈迦如来坐像が安置され、千体地蔵堂には相良人形による千体地蔵が安置されている。このほか、松尾芭蕉と地元俳人の句碑があり、堂内には置賜の俳人104名による俳句の懸額が納められている。
歴史
歴史[編集] 斜平山(なでらやま)に、坂上田村麻呂が観音堂と羽黒権現を建立。後の弘仁元年(810年)、現在の地に移ったと伝えられている[1]。 上杉家が越後を統一し、庄内の羽黒山(現山形県鶴岡市)も支配地となった際に、直江兼続が羽黒山別当養蔵坊清順に羽黒権現の分霊を笹野観音堂の後神として祀らせた[1]。 天保4年(1833年)に火災に遭い焼失、現在の堂は同14年(1843年)に再建されたもので、7100人余りを要した工事だったとされて[2]、大きな茅葺の屋根、精巧な彫刻などが特徴の建物である[2]。竜や鳳凰の彫物は、庄内地方の彫物師後藤藤吉・政吉の作とされている[2]。山形有形文化財に指...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] JR米沢駅から山交バス白布温泉行きで15分、笹野大門前下車、徒歩10分[1] ^ 笹野観音 公式HP 交通案内2011年10月4日閲覧。
行事
祭事[編集] 古くは旧12月17日に後には新暦1月17日に行われる「十七堂祭(年越祭ともいう)」という護摩壇の行事があり、信者や行者によって火渡りの荒行が行われる[1]。この祭には「花市」と称して笹野一刀彫の市が立つ[2]。 ^ 笹野観音 公式HP 十七堂祭 2011年10月4日閲覧。 ^ 米沢のおまつり 2011年10月5日閲覧。
引用元情報笹野観音堂」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%AC%B9%E9%87%8E%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%A0%82&oldid=89224539

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ