真言宗豊山派長命山
幸徳院笹野寺
山形県 南米沢駅
坂上田村麻呂が国の乱れが鎮まり、安らかな世になる様願い千手千眼観音を、背後にある笹野山にお祀りしたのが始まりといわれています。
その後、801年に現在の場所に観音堂を造り、会津の高僧徳一上人が入仏供養を行った、歴史あるお寺です。観音堂の修復を上杉家の歴代藩主達が行ったり、直江兼続が庄内羽黒山より羽黒大権現を後神としてお祀りしたりと、やはり上杉とは切っても切れないお寺なんですね。
雪支度のための幕で囲われていて、全体が見えず残念でしが、これも雪国ならではの風景と思いました。
観音堂は顎が外れるほどの驚きで、その迫力にしばしボーゼン、、なぬ!!えー!!
仁王門
幕で覆われています、、全体が見えません( ; ; )
手前の木は枝垂れでしょうかね。咲いたら綺麗でしょう!
仁王門前の常夜灯の台座が気になって、写真に残しました。
仁王門に掲げられた観音堂の由緒書き
門の正面上にあるなんて、珍しいです。
幕に覆われた内部
両側の仁王様
門の内部には大きな草履や下駄がありました。
正面が観音堂です。
参道の両側には石仏像が、狛犬の如くあります。
石を積んでいくのですね。溢れんばかりに小石が乗っかっています。
弁天堂
小さなお社にも幕がかかり、無礼にも、幕をめくり確かめます。
観音堂が、近くなってきた。
紫陽花寺で有名なんです。今は寂しいですが、、
千体地蔵堂
御本尊は「いびた地蔵」
〝いびた〟とは長患いをして寝込む事で、主に中風除けのお地蔵様だそうです。中風除けのお箸もお授けいただけます。
中には米沢に伝わる土人形の「相良人形」で作られたお地蔵様が約800体、お祀りされていました。
漱口場
手水舎になります。
こちらは、幕も開かれていました。手洗えて良かった(^^)
観音様の前の龍から水が落ちています。
観音様と龍のコンビは初めてみたかな、、
漱口場の修理の苦労が書かれているようです。
昔から笹野の人は神仏を畏れ敬い正月の7日間は肉や魚を食べず、他人と同じ火を使わない「精進別火」で過ごし、穢れの無い清らかな身体で正月を過ごしたそうですが、これを守れなかった人には罰が下ったようです。しかし、こちらで口を漱げは罪も消えると言われています。なるほど、大切な漱口場だったんですね。
観音様もマスク
不動堂
石の御不動様
さて、観音堂です。
幕から出ている彫刻たちが見事ですね。
茅葺の屋根が大きい!
幕の内部
御堂を左から廻ってみます。
御堂の後ろには紅葉したモミジが一本、寂し気な境内に鮮やかです、!
御堂の真後ろに、、
羽黒大権現が祀られています。
一周しました。この角度がわかりやすいかな?
弘法大師堂
中は弘法大師様と同じ様にと、高野山や四国八十八ヶ所霊場の石が敷かれた、お石踏みができます。
延命地蔵菩薩
県南一の高さ5メートル。
天保3年に建立されました。
手前に写っているのは、笹野彫りの鳥。
上杉が副業として笹野一刀彫りを奨励し、こちらでは縁起物となっています。
名称 | 幸徳院笹野寺 |
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通称 | 笹野観音 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0238-38-5517 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://sasanokannon.com/index.html |
山号 | 長命山 |
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院号 | 幸徳院 |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
概要 | 笹野観音堂(ささのかんのんどう)は、山形県米沢市笹野にある真言宗豊山派の寺院。宗教法人としての名称は幸徳院(こうとくいん)。詳しくは長命山幸徳院笹野寺と称する。 本尊は千手観音(千手千眼観世音菩薩/せんじゅせんげんかんぜおんぼさつ)で、置賜三十三箇所観音霊場19番札所である。紫陽花の名所として別名「あじさい寺」と呼ばれている。国家安泰を願って坂上田村麻呂が建立したといわれている。 観音堂の境内には文化財も数多く残されており、参道北側の石の地蔵菩薩像は、米沢城下の大商人渡部伊右衛門が450両余をかけて建てた延命地蔵菩薩で、蔵王山の麓から運ばれた約30個の石で組み立てられている。 また、本坊位牌堂には平安末期頃に作られた木造釈迦如来坐像が安置され、千体地蔵堂には相良人形による千体地蔵が安置されている。このほか、松尾芭蕉と地元俳人の句碑があり、堂内には置賜の俳人104名による俳句の懸額が納められている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 斜平山(なでらやま)に、坂上田村麻呂が観音堂と羽黒権現を建立。後の弘仁元年(810年)、現在の地に移ったと伝えられている[1]。 上杉家が越後を統一し、庄内の羽黒山(現山形県鶴岡市)も支配地となった際に、直江兼続が羽黒山別当養蔵坊清順に羽黒権現の分霊を笹野観音堂の後神として祀らせた[1]。 天保4年(1833年)に火災に遭い焼失、現在の堂は同14年(1843年)に再建されたもので、7100人余りを要した工事だったとされて[2]、大きな茅葺の屋根、精巧な彫刻などが特徴の建物である[2]。竜や鳳凰の彫物は、庄内地方の彫物師後藤藤吉・政吉の作とされている[2]。山形有形文化財に指...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] JR米沢駅から山交バス白布温泉行きで15分、笹野大門前下車、徒歩10分[1] ^ 笹野観音 公式HP 交通案内2011年10月4日閲覧。 |
行事 | 祭事[編集] 古くは旧12月17日に後には新暦1月17日に行われる「十七堂祭(年越祭ともいう)」という護摩壇の行事があり、信者や行者によって火渡りの荒行が行われる[1]。この祭には「花市」と称して笹野一刀彫の市が立つ[2]。 ^ 笹野観音 公式HP 十七堂祭 2011年10月4日閲覧。 ^ 米沢のおまつり 2011年10月5日閲覧。 |
引用元情報 | 「笹野観音堂」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%AC%B9%E9%87%8E%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%A0%82&oldid=89224539 |
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