うえすぎじんじゃ
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上杉神社ではいただけません
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上杉神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年11月26日(土)
参拝:2020年6月吉日
天正6年(1578)3月13日、上杉謙信公が越後の春日山城にて49歳で急逝された時、その遺骸を城中不識庵に仏式を以て鎮祭された。
のち2代景勝公が会津を経て米沢に移封されるに当たり、祠堂を米沢城内に移し、仏祭を厳修されてきた。
明治の世を迎え、祠堂のまま神祭に改め、米沢藩中興の名君鷹山公を合祀して上杉神社と称し、明治9年には新たに神殿が建立され、遷座祭を行った。
明治35年、往時の勤皇の功により別格官幣社に列せられる。このとき、鷹山公は新たに摂社として松岬神社を創立して正面濠の外に鎮座。
大正8年、米沢市大火の際、本殿以下ことごとく類焼し、同12年、米沢出身の建築界の泰斗・伊東忠太博士(文化勲章受章者)の設計による現在の神殿を始め一切を竣成した。
のち2代景勝公が会津を経て米沢に移封されるに当たり、祠堂を米沢城内に移し、仏祭を厳修されてきた。
明治の世を迎え、祠堂のまま神祭に改め、米沢藩中興の名君鷹山公を合祀して上杉神社と称し、明治9年には新たに神殿が建立され、遷座祭を行った。
明治35年、往時の勤皇の功により別格官幣社に列せられる。このとき、鷹山公は新たに摂社として松岬神社を創立して正面濠の外に鎮座。
大正8年、米沢市大火の際、本殿以下ことごとく類焼し、同12年、米沢出身の建築界の泰斗・伊東忠太博士(文化勲章受章者)の設計による現在の神殿を始め一切を竣成した。
すてき
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竜王1334投稿
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