くりかわいなりじんじゃ
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栗川稲荷神社は(媚中国庭瀬の城主:松平信通公)が城中守護の神として奉祀され、厚く信仰されてきたお社であります。ところが(元禄十年九月十五日:信通公)は出羽国上山に御国替を命ぜられました。その時古くから信仰されていた❊(稲荷大神様)の御神体を奉持して上山に下向することとなり、行列は利根川の右岸、武蔵国北葛飾郡栗橋にかかり本陣に泊まこととなった。1行が寝静まった夜中(白髪の老翁が信通公の夢枕にあらわれ ❊吾は汝ノ家二祠ラレン稲荷神ナリ、比ノ利根川ヲ必ズ夜明ケ前に渡ラザレバ悔ユルコトアルベシ❊ と告げると共に夢より醒めた、信仰の篤い信通公は、直ちに家臣を起して、急に予定を替えて、夜の明けぬうちに行列を整い、利根川を渡った。 ところが間もなく、沛然たる豪雨となり、たちまちにして利根川の河水は氾濫し堤を崩し、大惨事となった。然し信通公の一行は(稲荷大神)の御告げによって、この大難をさけることが出来、新領地上山に無事着任することが出来た。当時は期日通りに着任することが出来ないと大変な咎めを受けた時代であったのである。 このあらたかな(御霊験)に感銘した信通公は、上山城内に社殿を作り、栗橋の栗と、利根川の川をとって(栗川稲荷大明神様)とあがめ、いよいよ固い信仰を捧げたのである。 ところが、明治になって、松平家は東京に移り、城内の稲荷神社は顧り見る者もなく大変荒墟したのを歎き、十日町の清水屋中村利蔵翁が松平家に願出で、松山台のこの地に社殿を設け、御神体をお移つしして奉祀することにしたのである。
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