うたかけいなりじんじゃ
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楽しみ方歌懸稲荷神社のお参りの記録一覧

姪っ子が鶴岡にある加茂水族館のクラゲを見たいというので日帰り弾丸旅行。帰りには山形市のアニメイトに行きたいということで山形市へ。以前から参拝にあがりたいと思っていたこちらの神社がアニメイトから徒歩圏内だったので、姪っ子が買い物してる間に自分はこちらに参拝⛩️
境内自体は小さいものの、社殿や社務所は新しめのキレイな雰囲気でした🤩
御朱印は通常のものの他に境内社や夏詣、切り絵タイプや一粒万倍日限定なものなど色々な種類がありました😃
他にも近くに鎮座される熊野神社や鳥海月山両所宮など、訪れたい神社はあったのですが、なにぶん17時近くでしたので今回はこちらの神社のみにして、機会があれば山形市内の巡拝に挑戦しようと思います😁

境内入り口

社号標

お祭りが近いのか、提灯で彩られてました🏮

御由緒

鳥居の扁額
元海軍大将で第30代内閣総理大臣の齋藤實子爵が書かれたようです。

社殿

斜めから

社殿の扁額

水みくじのお水
ガラスのボウルにビー玉が入っていて涼しげです🫧

御神木

御神木の由来

御朱印が出来上がるまでの間、社務所に併設された休憩場所で待機。
立派なお神輿が2基。間近で見ることが出来るので貴重な経験に☺️

こちらのお神輿は年季が入ってますが

朱塗りで狛狐が拵えられた珍しいタイプ

お神輿について

頂いた御朱印と。
右側は通常ver.で左は夏詣ver.(書き置き)


1年振りの山形、前回は飛行機利用でしたが今回は2度目の新幹線利用。福島を過ぎると新幹線とは思えない遅さ。上り列車の通過待ち合わせで駅で待機するし、なんだかな~!山形駅に降り立つと意外と風があって過ごしやすい気温でした。梅雨前線が近くにあるのでいつ雨が降ってもおかしくない天気予報でした。レンタカーを借りる道すがら最初の神社です。前身の五佛山吉祥院という寺院がは山形城下・稲荷口(現在の山形駅付近)に鎮座していて、付近の稲荷橋は歌を読まなければ渡ることが許されなかったので、お参りに来られる方々は、短冊に歌を書いて奉納する風習があったと云います。

社号標

燈籠

駅前通りに面した三の鳥居(大正時代の建)


市神様

天狗の掴み石

火防神

手水舎

嘉永二年(1849)奉納の手水鉢


慶応三年(1867)建立の一の鳥居


子育地蔵尊


湯殿山(文化三年(1806))

奉造立庚申供養寶塔(宝永六年(1709))

南無阿彌陀佛

庚申塔

嘉永元年戊申(1848)奉納の灯篭


二の鳥居、裏鳥居に見えますが、本来はこちらが正面になり、かつては山形城三の丸の十日町口に面していました。

燈籠

拝殿

扁額


本殿



境内社 神明神社



大国主神の石碑(文化十四年(1817))


神輿蔵

宝永六年(1709)奉納の燈籠



霞城三の丸跡石柱

三の丸土塁と堀跡


御神木


金剛山(弘化二年(1845))


宝永三年(1706)奉納の燈籠



御神輿





山形県山形市十日町に鎮座する歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)山形駅東口から近い所に所在する、20234に参拝致しました、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、主祭神は稲倉魂命、配祀神は大市姫命、
お稲荷さんの母親。富士山の神、木花咲耶姫神、大国主命、猿田彦命、天照大御神の孫、日本武尊、火産霊神、山形城主斯波兼頼が山形城の守り神として城内に建立したのが、その始めと伝えられています。 それより10代目最上義定が山形城の部内に社殿を建て、12代目義光の時、天童城主との開戦に際して勝利を祈願するなど、最上家代々の信仰が厚いものがありました。当社は元和4年(1618年・江戸前期)に、前身であられた五佛山吉祥院という寺院が、神仏習合によって京都伏見より勧進されたお稲荷様をお祀りしたことから歌懸稻荷神社がご鎮座されるようになりました。当時は山形城下・稲荷口(現在の山形駅付近)にご鎮座なされていた寺院。お参りに来られた方々は歌を奉納するという習慣がございました。なぜなら、付近には歌を読まなければ渡ることが許されない橋があったからです。社名にもなっているこの「歌懸」という言葉。この言葉は、実に雅やかな風習から生まれた言葉なのです。当社は元和四年(1618年)に当社の前身であられた五佛山吉祥院という寺院が、神仏習合によって京都伏見より勧進されたお稲荷さまをお祀りしたことから歌懸稲荷神社がご鎮座されるようになりました。当時は山形城下・稲荷口(現在の山形駅近辺とされている)にご鎮座なされていた寺院。お参りに来られる方々は、短冊に歌を書いて奉納する風習があったと神社に古くから残されている御由緒に、そう記されているのです(歌とは、和歌・短歌・連歌)。そういった人々の風習にあやかり、稲荷神社へと姿を変える時、歌懸の名が社名として残り、歌懸稻荷神社はご鎮座なされたと思うのです。奇しくも、当社が誕生する4年前(1614年)に、当時山形城の11代城主であった最上義光公がこの世を去っております。つまりは、吉祥院の頃には、義光公は健在であったことが伺えます。義光公は、智将として他国の武将から恐れられていたが、文学にも長けていた人物であり、歌を詠むことを趣向としていました
山形県のおすすめ2選🎍
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