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光明寺の基本情報

住所山形県山形市七日町5-2-12
行き方
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名称光明寺
電話番号023-622-4069
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

宗旨・宗派時宗
ご由緒

光明寺は南北朝時代の永和元年(1375)山形城内に開創されました。
開基は山形の開祖と仰がれる最上家初代城主・斯波修理太夫兼頼です。
兼頼公は延文元年(1356)陸奥国大崎より出羽国に派遣され、翌延文二年山形に城を築き子々孫々ここを居城に最上家(斯波氏)は末永く栄えました。

兼頼公は出羽国司按察使として鋭意治国に力を注がれましたが、応安六年(1373)領内東山に狩を催しての帰途、漆山の念仏堂で、たまたま諸国遊行中の遊行十代上人・元愚大和尚と出合い、その教えに深く感動して、
翌日城内に上人を招き授戒を受け出家なされ其阿覚就と称されました。
その翌翌年家督を子の斯波直家に譲り、城内の一隅に草案を結んで隠居し、ひたすら仏道に精進なされました。
永和元年三月十日、兼頼公六十歳の春のことでした。

それから四年後の康暦元年(1379)六月八日、六十四歳の生涯を閉じられました。
法名「光明寺殿成覚就大居士」と号しますが、示寂するまでの四年間修法求道された其の草庵は二代直家公も隠居され遍照山無量壽院光明寺と号して兼頼公の菩提寺となったのであります。

光明寺はその後、最上家十一代義光公の時代、城廓整備などに伴ない二之丸大手門前に移転、山形開祖の菩提寺として深く崇敬され、山形城下では最高の寺領千七百六十石の御朱印を賜わっておりました。

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