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くまのなちたいしゃ

熊野那智大社の御由緒・歴史
公式和歌山県 那智駅

ご祭神《主》大穴牟遅神,家津御子神,御子速玉神,熊野夫須美大神,天照皇大御神,正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命,天迩岐志国迩岐志天津日高日子番能迩迩芸命,天津日高日子穂穂手見命,天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命,国狭槌尊,宇比地迩神,意富斗能地神,淤母陀琉神,《配》国常立神,伊邪那岐神,黄泉事解男神,豊雲野神
創建時代仁徳天皇五年(317)
ご由緒

熊野という地名には諸説がありますが、紀伊続風土記には「熊野は隈にてコモル義にして」とあり、「奥まった処」「隠れたる処」との意が、また「クマ」と「カミ」とは同じ意があると考えられ、「クマノ」とは「カミの野」で神々が住う地といえます。
往古、神武天皇御東征のみぎり、この地に上陸された神倭磐余彦命(神武天皇)が那智の大瀧を神として祀られたのが那智山信仰の始まりとさえれ、その後、命は熊野の神使である八咫烏の導きにより大和の地に赴かれ、橿原宮で初代天皇に即位されました。
当社は仁徳天皇五年(317年)、この那智山中腹に社殿が創建され、御瀧本より熊野の神々を遷座してお祀りしたと伝えられています。御祭神は熊野夫須美大神と申し上げる我が国の最初の女神「伊弉冉尊」を主神として十三所の神々をお祀りし、全国の熊野神社四千余社の御本社である熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大社)の一社であり、「日本第一大霊験所根本熊野三所権現」として崇められています。主神の御名「夫須美」は「むすび」と同意であり、所願成就の御神徳があり、かつては「結宮」とも称されました。
熊野信仰は、我が国に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、修験道の隆盛とも相俟って熊野権現として崇められ、平安中期頃より上皇(法皇)が詣でる熊野御幸は百余回に及び、やがて武将や庶民に至るまで大勢の人々が詣でるようになり、「蟻の熊野詣」と称されました。

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