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くまのはやたまたいしゃ

熊野速玉大社の御由緒・歴史
公式和歌山県 新宮駅

ご祭神《主》熊野速玉大神,熊野夫須美大神,家津美御子命,天照大神,天忍穂耳命,瓊瓊杵命,彦火火出見命,鸕鶿草葺不合命,国狭槌命,豊斟渟命,埿土煮命,大戸之道命,面足命,天之御中主神,高皇産霊神,神皇産霊神,《配》伊弉諾尊,伊弉冉尊,国常立命
創建時代伝・景行天皇五十八年
ご由緒

熊野速玉大社は、全国熊野神社の総本宮として崇敬が篤く、御分社は北海道から沖縄まで熊野三山(熊野速玉大社・熊野本宮大社・熊野那智大社)の中でも最も多くまつられ、生きる力をもう一度いただく「甦りの宮」として厚く信仰されています。
中世、平安時代から鎌倉時代にかけて、宇多上皇から亀山上皇までの凡そ400年の間に、実に141回の熊野御幸(上皇、門院、姫君など皇室の御参拝)があり、朝廷からの崇敬も篤く、人々がひたすらに熊野を目指した様子は、「蟻(あり)の熊野詣で」という諺にもなっています。
熊野古道は難行苦行の厳しい道のりであり、やっと辿りついた人々を老若男女問わず、強者弱者を問わず、分け隔て無く受け入れてきた熊野速玉大社の歴史が、「濡れわら沓の入堂」(雨風に打たれながら古道を遙々歩いてきた人々を濡れたわらじの姿のまま拝殿にお通しするという意味)という社訓となって、今も大切に受け継がれています。
熊野古道を中心とした聖地(熊野三山、吉野、大峰、高野山)に至る巡礼の道が、平成16年(2004)7月7日、世界文化遺産に登録されました。
熊野速玉大社の境内には、(平重盛がお手植えと伝わる)樹齢千年を越える御神木「梛(なぎ)」の木があり国の天然記念物に指定されています。ナギは凪ぐ穏やかに通じ、世界平和を祈る木として手を合わせる人が絶えない熊野のシンボルです。昭和47年(1972)祖国復帰を果たした沖縄にも久遠の平和を祈り梛の木が植樹されました。熊野速玉大社では毎年沖縄を訪れ、慰霊と梛の植樹を行っています。また、葉脈が切れにくいことから、大切な人との絆を結ぶ縁結びの木としても有名です。
また、日本最初の国宝に指定された御神像をはじめ、南北朝時代に天皇、幕府、諸国大名から寄進された凡そ千点を数える国宝古神宝類が伝わり、その一部を熊野神宝館で展示しています。

歴史
歴史[編集] 速玉大社の牛王符。誓約書として用いられた。 神代の頃に、神倉山の磐座であるゴトビキ岩に熊野速玉大神と熊野夫須美大神が降り立ち、そこで祀られることとなった。 熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神とされ、熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる[1]。熊野夫須美大神は伊邪那美神とされている。 しかし、社伝によると景行天皇58年に現在地に遷座し、速玉之男神の名から社名をとったという。もともと祀られていた所である神倉山は神倉神社となり、また元宮と呼ばれ、当社は新宮と呼ばれる。 初めは二つの神殿に熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神を...Wikipediaで続きを読む
引用元情報熊野速玉大社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%86%8A%E9%87%8E%E9%80%9F%E7%8E%89%E5%A4%A7%E7%A4%BE&oldid=98913592

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