こうやさんこんごうぶじおくのいん|高野山真言宗
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楽しみ方高野山金剛峯寺奥の院のお参りの記録一覧(3ページ目)

今日、28日はお不動さんのご縁日でしたので、行ってきました。
紅葉が進んでいてとてもキレイでした。
観光シーズンのためか、駐車場に観光バスが常に10台くらい駐車場しました。









和歌山駅を始発で出て高野山奥の院へ。
前の晩に入った和歌山駅の居酒屋で、高野山の見所をたくさん教わってきたので楽しみ倍増でやってまいりました。
武将のお墓それぞれに手を合わせて、念願?の、姿見の井戸、覚鑁坂、お化粧地蔵に。
ガイドのついたツアーの方達が通り、お地蔵さんに一生懸命ファンデーションとグロス塗る私を眺めていかれました(笑)
燈籠堂から戻り、御供所で御朱印帳を求めます。御供所の方が今年の御朱印について丁寧にご説明くださり、より理解できたと思います。
高野山はとても涼しいです。雨は降ってなかったけど、直前まで降ってたようで木々から露が落ちてくるのて傘は必要でした。














高野山奥の院は、弘法大師の御廟のある聖地。少々緊張します。
新緑のお参りは初めて。木々の計り知れない生命力と空の青さで、心のみならず全身が浄化されているような気持ち。うまく言葉で表現できません。
今回は、特に大石順教さんのお墓に手を合わせたかったこともあり、さらに緊張感が。
大石順教さん。(1888〜1968)養父の凶刃事件に巻き込まれ両腕を失います。長唄、地歌の巡業を始めたところ、巡業先の旅館で、カナリアがくちばしで雛に餌をやる光景を見たことがきっかけとなり、口で字を書く技法を習得。日本書画家と結婚。一男一女をもうけますが、夫の不倫で協議離婚。身体障害者の相談を受け始めます。
子供を抱えて東京渋谷に出て、更紗絵を描いて生計を立てます。
1931年、大阪高安に庵を立て尼僧を志します。
1933年金剛峯寺にて得度。1936年京都市勧修寺に移住。1951年塔頭寺院佛光寺を建立します。
彼女のことを知ったのは、ここ数年のこと。あまりの衝撃で、涙が出ました。「生き抜く」ことの厳しさと尊さを教えてくれた方です。
入口から少し歩いたところ、手を合わせることができました。

いただいた御朱印

南無大師遍照金剛
「私は弘法大師を心の拠り所にします」の意味


奥の院へ

大きな杉の木に守られながら、御廟に赴いているような気持ちになります。


神仏習合の名残
鳥居があります

もうすぐ寺務所です

ここから写真禁止です

念願の高野山。
名だたる戦国武将や皇族のお墓や企業墓、杉の巨木のあいだを抜けて奥の院へ。
お供えされてるのは生花ではなく槙の葉。厳しい修行中にお花で癒やされることもだめだったと案内人の方がおっしゃってました。
御廟橋の手前の水向け地蔵。やさしいお姿のお地蔵様にひかれてお水を手向けてきました。
御廟橋を渡るとまさに霊域です。
夕刻でさほど混んでなく、ゆっくりと手を合わせてきました。
帰りは弥勒石の祠に立ち寄り、すべすべの石を撫でてきました(ここは終末の時、弥勒仏が降り立つ場所とされてるそうです)。バンの字をたどるように帰り道を辿って、最後は英霊殿をお参り。その前の売店で念仏の現れるお線香をいただきました。
御朱印はぎりぎり間に合って、こちらも生誕1250年記念の御朱印をいただけました。
ちなみに先に壇上伽藍で御朱印帳をいただくときは、奥の院のために最初のページはあけておくもののようです。


御廟橋。この先は脱帽、写真撮影禁止。みなさま真摯にお参りされてました。

高野山奥の院。
28日は、不動明王の御朱印いただけました。

右上の判子は、いつもと違って弘法大師生誕1250年になってます。

不動明王御朱印。
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