こうやさんこんごうぶじおくのいん|高野山真言宗
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方高野山金剛峯寺奥の院のお参りの記録一覧(3ページ目)

和歌山駅を始発で出て高野山奥の院へ。
前の晩に入った和歌山駅の居酒屋で、高野山の見所をたくさん教わってきたので楽しみ倍増でやってまいりました。
武将のお墓それぞれに手を合わせて、念願?の、姿見の井戸、覚鑁坂、お化粧地蔵に。
ガイドのついたツアーの方達が通り、お地蔵さんに一生懸命ファンデーションとグロス塗る私を眺めていかれました(笑)
燈籠堂から戻り、御供所で御朱印帳を求めます。御供所の方が今年の御朱印について丁寧にご説明くださり、より理解できたと思います。
高野山はとても涼しいです。雨は降ってなかったけど、直前まで降ってたようで木々から露が落ちてくるのて傘は必要でした。














高野山奥の院は、弘法大師の御廟のある聖地。少々緊張します。
新緑のお参りは初めて。木々の計り知れない生命力と空の青さで、心のみならず全身が浄化されているような気持ち。うまく言葉で表現できません。
今回は、特に大石順教さんのお墓に手を合わせたかったこともあり、さらに緊張感が。
大石順教さん。(1888〜1968)養父の凶刃事件に巻き込まれ両腕を失います。長唄、地歌の巡業を始めたところ、巡業先の旅館で、カナリアがくちばしで雛に餌をやる光景を見たことがきっかけとなり、口で字を書く技法を習得。日本書画家と結婚。一男一女をもうけますが、夫の不倫で協議離婚。身体障害者の相談を受け始めます。
子供を抱えて東京渋谷に出て、更紗絵を描いて生計を立てます。
1931年、大阪高安に庵を立て尼僧を志します。
1933年金剛峯寺にて得度。1936年京都市勧修寺に移住。1951年塔頭寺院佛光寺を建立します。
彼女のことを知ったのは、ここ数年のこと。あまりの衝撃で、涙が出ました。「生き抜く」ことの厳しさと尊さを教えてくれた方です。
入口から少し歩いたところ、手を合わせることができました。

いただいた御朱印

南無大師遍照金剛
「私は弘法大師を心の拠り所にします」の意味


奥の院へ

大きな杉の木に守られながら、御廟に赴いているような気持ちになります。


神仏習合の名残
鳥居があります

もうすぐ寺務所です

ここから写真禁止です

念願の高野山。
名だたる戦国武将や皇族のお墓や企業墓、杉の巨木のあいだを抜けて奥の院へ。
お供えされてるのは生花ではなく槙の葉。厳しい修行中にお花で癒やされることもだめだったと案内人の方がおっしゃってました。
御廟橋の手前の水向け地蔵。やさしいお姿のお地蔵様にひかれてお水を手向けてきました。
御廟橋を渡るとまさに霊域です。
夕刻でさほど混んでなく、ゆっくりと手を合わせてきました。
帰りは弥勒石の祠に立ち寄り、すべすべの石を撫でてきました(ここは終末の時、弥勒仏が降り立つ場所とされてるそうです)。バンの字をたどるように帰り道を辿って、最後は英霊殿をお参り。その前の売店で念仏の現れるお線香をいただきました。
御朱印はぎりぎり間に合って、こちらも生誕1250年記念の御朱印をいただけました。
ちなみに先に壇上伽藍で御朱印帳をいただくときは、奥の院のために最初のページはあけておくもののようです。


御廟橋。この先は脱帽、写真撮影禁止。みなさま真摯にお参りされてました。

高野山奥の院。
28日は、不動明王の御朱印いただけました。

右上の判子は、いつもと違って弘法大師生誕1250年になってます。

不動明王御朱印。

高野山金剛峯寺奥の院の弘法大師御廟へ参拝させていただきました🥹🙇🏻♂️🙏🚗💨
奥の院の正面入ったすぐのところ、ご供養やご祈祷をするところを「灯籠堂」といいますが、数え切れない数の灯籠が天上からお堂内壁面からたくさん吊り下がっていて、しみじみと見渡すとすごいところだなぁと思いました。膨大な数の灯籠にあらためて気がつきました😳🪔🙏奥の御廟に向かって手を合わせる時、いつもやさしさと厳かさを感じることができたのは、そんな灯籠の消えることのない灯火🪔のおかげなんだと思いました。途方もなく感謝の気持ちがこみ上げてきて弘法大師御宝号真言をあげさせてもらいました🥹🙏🌿奥の御廟所手前の祭壇の左のロウソクの炎が大きくなって3回揺れました🕯️☺️🙏
灯籠堂を出て裏の山手に出たところでお線香とロウソクをお供えさせていただきました。御廟の真後ろの山の手に大きな梵字を刻んだ石柱が二つあってまるで神社の鳥居の様な雰囲気を感じるところがありました。そこの建物壁側に長椅子があって御廟を背にしながらしばらくじっと座っていましたが、奥の院を訪れているんだなぁ、こころ静かにできていいなぁって気持ちになれました🥹🙏🕯️🙇🏻♂️お勧めの場所です🥹🙏
(御廟の真後ろになります)
西側の本堂の横に建つ奥之院 記念燈籠堂にも今回足を運びました。10000基以上あると云われる灯籠はすべて灯火🪔があって圧巻でした(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
ほんとうにすごいです😳🪔🙏
大黒天さま(清水寺に引き続きお逢いできました)のご祭殿に向かって右手前にご真言を表示したお札が立っていたので、その通りにご真言をいただき唱えさせてもらいました🥹🙏🌿届きましたでしょうか🤣🙇🏻♂️🙏
豊臣家の墓所では秀吉さんのお母さまと弟さんにまた今回もご挨拶をさせていただきました。京都の豊国神社で、龍神🐲の雲☁️を秀吉さんに見せてもらったことをご報告しました。この前よりも明るい雰囲気になったなぁと感じることができました☺️🙏
空海さまにまたお逢いできたことと健康でこの地に立てたことへこころからお礼と感謝を申し上げました。それにしてもいつもながらピンっと張った空気に身を任せられるすばらしいところです。
精進して、またつぎも健康にお詣りできます様に🥹🙏🌿




☺️🙏「左 傾いて•••」うーん💦🤣

ゆったりと訪れられてよかったです☺️🙏




大黒天さまに真言をまた教わりました🥹🙏立札通りに おん まかきゃらや そわか
仏像のそばにその仏像の真言をおいてあるところがあるので、そこで真言を覚えると仏さまから授かったことになるらしいです。そういうふうにして仏さまにじかにいただくと生きた真言となって効力を発するらしいです (*•̀ᴗ•́*)و ̑̑ Shikiko S







奥の院 空気が変わります🥹🙏🌿
ここからは写真撮影等一切禁止です🥸🈲



以前より明るい雰囲気に?🤣🙏


ハート形の雲だ!と思って撮影したのですが、龍神さまの顔🐲がV字雲の下のところに写っていました🐲🥹🙏

それにしても何度訪れてもすばらしいところです🥹🙏🪔

最後は奥之院へ。杉の鬱蒼とした森の奥へ進みます。参道が全長2 km ということなので、年寄りがいる我々は奥までバスで言って残り1 km を参拝。徳川、豊臣、織田など多くの武家の墓所があります。杉と墓所のなかを進むと聖域である御廟へ。灯籠に囲まれる様は言葉を失います。
またいつか生きてるうちに再訪したいですね。次は宿坊に泊まって他の寺院も参りたいです。

奥之院御朱印いただきました。

徳川家墓所。

豊臣家墓所

杉の間を進みます。

織田信長墓所。

ここで御朱印いただけます。


御廟橋を超えると高野山で最も神聖で重要な弘法大師御廟です。写真はここまで。奥に少し見えるのが灯籠堂です。多くの灯籠で照らされる様は何とも言えない。さらにその奥が御廟です。
和歌山県のおすすめ❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ












































































































































33
0