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こかわでら|粉河観音宗

粉河寺のお参りの記録一覧
和歌山県 粉河駅

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なむなむ
なむなむ
2022年08月25日(木)166投稿

(過去参拝) 西国三十三所観音霊場巡礼 (1巡目)
第三番札所 風猛山 粉河寺 に参拝しました。

奈良時代末 宝亀元年(770)の開創。当時、紀伊国那賀郡に住む 猟師大伴孔子古は、いつも幽谷の樹幹に足場を定めて、夜ごと猪や 鹿を狙っていたが、ある晩、光明輝く地を発見、発心してその場所に柴の庵を建てた。

後日、一夜を泊めてもらった童行者は、孔子古の願い(庵に仏像を安置すること)をかなえてやろうと、七日七夜、庵にこもり、等身の千手観音像を刻み立ち去った。

その後時移り、河内国の長者佐太夫の一人娘が長患いしていた。そこへ童行者が訪ね来て千手陀羅尼を誦して祈祷、やがて娘の病は回復した。童行者は長者がお礼にと申し出た七珍万宝を断り、娘が捧げるさげさや(お箸箱)と袴のみを手に「紀伊国那賀郡粉河の者だ」とのみ告げて立ち去った。

翌年春、長者一家は粉河を訪れたが、探しあぐねて小川の傍らで一休み、ふと流れる水が米のとぎ汁のように白いのに気がつき、粉河の証しであることを確信、さらにその川を遡り庵を発見した。扉を開けると千手観音が安置され、娘が差し出したさげさやと袴を持たれていたので、かの童行者は、実は千手観音の化身であったことが分かった。この開創の由来は、当寺所蔵の粉河寺縁起絵巻(国宝)等にて伝えられている。
(ホームページより引用)

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nomuten
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2021年05月24日(月)1449投稿

今回は和歌山県の寺院巡りです。先ずは紀の川市に在る風猛山 粉河寺です。粉河観音宗で、本尊は千手観音。西国三十三所観音霊場 第3番札所です。
国宝「粉河寺縁起絵巻」(京都国博に寄託)によると、770年に大伴孔子古により始まったとの事である。(説話は割愛、あくまでも話。)だが、複数の書物からは1000年以上前の平安時代には存在していた事は間違いなく、古刹です。鎌倉時代にはかなりの子院や僧兵を擁していたが、1585年に秀吉の紀州征伐により焼失、1713年の火災によっても焼失したが、その後再建されて現在に至っています。
寺院には割と秘仏がありますが、粉河寺もご多分に漏れず本尊の千手観音は秘仏です。秘仏の厨子の前にお前立ち(秘仏の代わりに礼拝する)という仏像が祀られている場合が多いのですが、こちらはお前立ちまでもが秘仏という徹底ぶりには驚かされます。

金剛力士像がある大門(山門)をくぐると参道は右に直角に曲がります。右側には川が流れ、左側には本坊、童男堂、念仏堂、太子堂などの堂宇が建ち並んでいます。今度は正面に立派な中門、四天王が守護しています。
中門をくぐると地蔵堂、丈六堂。国指定名勝の石組の粉河寺庭園もあります。参道は今度は左に直角に曲がり、石段の上にドン!と本堂です。西国三十三所観音霊場の中では最大との事です。本堂の手前右手には六角堂、奥には鐘楼と薬師堂。左手には千手堂。千手堂の奥上手には行者堂。繁栄していた事がよくわかります。これだけのお堂がありますが、入れるのが本堂のみなのはちと寂しい。(童男堂と薬師堂と行者堂は其々年1回開扉される)
本堂下陣で参拝してから、拝観料を納めて内陣に入らせて頂きました。
須弥壇真ん中は閉扉された厨子、厨子の左右には眷属の28部衆と風神・雷神の計30躯の仏像で
千手観音をお護りしていますが、残業ながら現在は向かって左側の15躯が修理中でご不在です。裏側に廻りますと北面観音(裏観音)と称する千手観音が祀られています。幕とかがあって見辛いです。(堂外からも小さな窓から見えない事もないが。)このところ3月末~5月初にこの北面観音の特別拝観しています。
また東側の壁には左甚五郎作と伝わる「野荒しの虎」が置かれています。
尚、駐車場は大門の右横を抜けた奥にあります。(有料)

粉河寺の御朱印

御朱印(軸装納経帳)

粉河寺の山門・神門

大門(山門)

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