こかわでら|粉河観音宗
粉河寺のお参りの記録一覧
西国三十三所第三番札所粉河寺へお詣り🙏🏻
こちらもツアーだったのですが、フラットな道のりで駅から徒歩15分との案内もあり難易度は③くらいでしょうか...(私の勝手な感想です)
大門
桜の時期は素敵でしょうね
不動堂
仏足石
太子堂
中門
粉河寺庭園
本堂
六角堂
童男堂
童男大士さま
西国三十三所第三番札所御朱印
西国三十三箇所観音霊場 第3番
風猛山 粉河寺へ。
境内には国や県の文化財が数多く点在する和歌山県内屈指の名刹です。
粉河観音総本山で、ご本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。
こちらの本尊像は、絶対秘仏だそうですよ。
今まで誰も見たことがないなんて、神秘的ですよね〜☺️
ちなみに子年生まれの自分にとっては、千手観音様が守護本尊です🐭
広い境内を本堂に向かってぶらぶら見て歩きながら、ゆっくり参拝させていただきました。
本堂でお参りして御朱印を頂いてから、本堂内陣を拝観させていただきました。
内陣に入るとあたりに漂う荘厳な空気と多くの仏像が並ぶさまの何とも言い難い雰囲気に包まれ、そこに有る全ての物から放たれるパワーに圧倒されてしまいました....😳必見です!
納経所のすぐ前で、建物修復の為の瓦の寄付を募っていましたので、家族みんなですることに。
寄付すると瓦に毛筆で住所と名前を書くのですが、筆と墨で文字を書くのは何年ぶり?いや、小学校の時以来かも?(笑)
これが思った以上に楽しい♪
気が付けば、手も服も墨だらけになってましたよ😆
てなわけで、今日も良いおまいりをさせていただきました🙏
帰りに観音山フルーツパーラーに寄って、涼んで行くことに🤗
けっこう人気のお店なので、時間かかりました💦
俺的には晩御飯で寄った餃子の王将の方が...安定の安心感😆
大門
気持ちいい夏空
不動堂
御池坊(本坊)
童男堂
仏足石
出現池
念佛堂
露座仏
太子堂
手水舎
中門
四天王
茶所
本堂
提灯かっこいい。
千手堂
鐘楼
大楠
樹齢300年以上!
自然のパワーはすごい。
粉河寺庭園
観音山フルーツガーデン
2階がフルーツパーラー
1階は旬のくだものいっぱい
お盆のメニュー
餃子の王将
安定の品々🤗
間違いないね😆
直書きでいただきました。
西国三十三所 水彩画御納経帳
直書きでいただきました。
大悲殿
和歌山県の寺院/博物館巡りの5箇所目は、和歌山市から紀の川市へ移動して風猛山 粉河寺です。西国三十三所観音霊場 第3番札所。
今回の寺院/博物館巡りの最後となります。
粉河観音宗 総本山で、本尊は秘仏・千手観音。
この秘仏本尊・千手観音は絶対秘仏で、過去に1度も開帳されておりません。(本当にあるの?と疑いたくなります。(笑))
前回訪れたのは今年の2月10日ですので4ヶ月振り。(投稿済みですので宜しかったら見てやって下さい。)
多くの方の投稿により縁起・歴史等は投稿済みですので割愛します。
いつも通りに山門横を抜けて、駐車場(500円)に駐車させて頂きました。
土曜日でしたが16時を少し回っていましたので参拝者は私一人、空いていて良いです。
それからいつも通りに手水で身を清めて、本堂へ行って手を合わせて、御朱印を頂いてから拝観料400円を納めて内陣拝観しました。閉扉された本尊厨子の両側に祀られている二十八部衆と風神雷神(計30躯)は格好いい。併せて左甚五郎作と伝わる「野荒しの虎」も。内陣拝観を終えて下山しました。
今回は、高野山霊宝館→壇上伽藍→清浄心院→紀三井寺→和歌山県立博物館→粉河寺と巡りました。日帰りでは結構な強行軍で、急ぎ足になってしまいました。
御朱印(軸装納経帳)
大門(重文)
阿形
吽形
善光寺
不動堂
子育地蔵
羅漢堂
童男堂(県指定文化財)
出現池
馬蹄石
童男大士石像
三角堂
念仏堂
露座仏(市指定文化財)
太子堂
手水
中門(重文)
四天王
水向地蔵
丈六堂
粉河寺庭園(国指定名勝)と本堂
本堂(重文)
本堂外陣
六角堂
鐘楼とクスノキ
千手堂(重文)
西国三十三所巡りも 和歌山は最後になりました。和歌の浦から車を飛ばして 閉門1時間前には間に合いました。今日はスタートが遅かったと反省です。
こちらも立派な寺院です。
まずは朱色の大門(仁王門)が迎えてくれます。驚くべきは 境内に中門(仁王門)もあり こちらもとても立派だったことです。中門は少し小さかったりするのですが 粉河寺では中門の方が荘厳なイメージでした。
大門の外にも地蔵堂などがあり これは伽藍がすごいことになってる と思いました。
大門をくぐるとさっそく不動堂 川沿いに建物が並び 羅漢堂 本坊 童男堂 念仏堂 太子堂 千手堂と続きます。
立派すぎる中門をくぐると 地蔵堂 丈六堂 六角堂 そして本堂があります。
境内奥には 行者堂 薬師堂もあり じっくり見て回ると 1時間では足りません。
時刻もまあまあ遅かったので 小走りに回りました。
本堂はとても立派で 屋根が特徴的でした。外から見ると 二重屋根のように見えます。
本堂に入ると 奉納された扁額や千社札が目を引きます。
柱の彫刻が花なのですが これがとても見事で 重なり部分も素晴らしく どうやって彫るのかと思いました。そうとう技術をもった方が彫られたのでしょうね。
建物は多すぎるので あとは写真をご覧ください。
山号は風猛山 宗旨宗派は天台宗系粉河観音宗 寺格は総本山 ご本尊は千手千眼観音菩薩 創建年は伝・宝亀元年(770年) 開基は伝・大伴孔子古です。
由緒については 草創の縁起は『粉河寺縁起絵巻』(国宝)に伝えられている。
「粉河寺縁起」には2つの説話が語られている。
1つ目の話は粉河寺の草創と千手観音の由来に関するものである。
紀伊国の猟師・大伴孔子古は宝亀元年(770年)のある日 山中に不思議な光を発する場所を見つけて そこに小さな庵を営んだ。
これが粉河寺の始まりという。
その後のある日 孔子古の家に一人の童子(童男行者)が訪ねて来て 一晩泊めてくれと言う。
童子は宿を借りたお礼にと言って 7日かけて千手観音の像を刻んだ。
8日目の朝 孔子古が見てみると童子の姿はなく 金色の千手観音の像だけがあった。
孔子古は殺生をやめて観音を信仰するようになったとのことである。
2つ目の話は千手観音の霊験説話である。
河内国の長者・佐太夫の娘は重い病で明日をも知れぬ命であった。
そこへどこからともなく現れた童行者が千手千眼陀羅尼を称えて祈祷したところ 娘の病は全快した。
喜んだ長者がお礼にと言って財宝を差し出すが童行者は受け取らず 娘の提鞘(小太刀)と緋の袴だけを受け取り 「私は紀伊国那賀郡におります」と言って立ち去った。
長者一家が那賀郡を尋ねて行くと 小さな庵に千手観音像が立ち 観音の手には娘の提鞘と緋の袴があった。
長者一家は あの行者が観音の化身であったことを知ってその場で出家し 孔子古とともに粉河寺の繁栄に尽くしたとのことである。
以上の説話がどこまで史実を反映したものかは定かでないが 粉河寺は平安時代には朝廷や貴族の保護を得て栄えたことは確かである。
とありました。
大門(仁王門)
石柱
大門の説明
地蔵堂
善光寺堂
不動堂
境内案内図
子育地蔵
本坊の門
隣の門は開いていました
門の中 境内の様子
童男堂
由緒書
仏足石
説明
出現池
説明
念仏堂
阿弥陀如来坐像
太子堂
大畑才蔵氏碑
放生池
墓碑と石仏の山
土蔵
中の様子
歌碑
写し
かんそう盤
説明
お休み処 ではありません
身代わり地蔵尊
中門
木組みも扁額も立派
中門には四天王が安置されています
裏側
歌碑
句碑
芭蕉句碑
水向地蔵
丈六堂
内陣
桃山時代の石庭
庭園の説明
本堂に続く石段
本堂
香炉と拝所
鐘と円盤形の仏彫刻
奉納された 様々な扁額
賓頭盧尊者
本堂から境内を見る
柱の彫刻は 立体的な重なりもわかる花
六角堂
湯浅桜
鐘楼
薬師堂
石造地蔵菩薩立像
法華塔
千手堂
行者堂
駐車場前にかかる橋
(和歌山県)紀北・(大阪府)泉北の寺院巡りの3寺目は、2寺目の和歌山市から東に行った紀の川市に在る風猛山 粉河寺です。西国三十三所観音霊場 第3番札所。
粉河観音宗 総本山で、本尊は秘仏・千手観音。
この秘仏本尊・千手観音像は絶対秘仏で、過去に1度も開帳されていません。
こちらに前回訪れたのが2021年5月ですから、早3年前になります。(投稿済みですので宜しかったら見てやって下さい。)
多くの方が投稿されており、縁起・歴史等は投稿済みだと思いますので割愛します。
大門の右側を抜けると有料駐車場(500円)ですので停めさせて頂きました。山門から入るのが私の流儀ですので戻って大門から。今回初めて参拝するのではありませんが、大門の手前左側にお堂がある事に初めて気付きました。(過去は割と先を急いでいたため目に入らなかった?) 地蔵堂と?堂(堂名わからず)でした。大門の手前右側には蛭子神社。それぞれに手を合わせました。大門には阿形と吽形、大門をくぐると最初に不動堂。ここで参道は右に曲がり、川沿いになります。参道の左側には諸堂などが建ち並んでいます。子育地蔵、本坊、童男堂、仏足跡、出現池、念仏堂、太子堂です。開けた所に手水があり心身を清めます。先には中門があり、表と裏にはそれぞれ2躯ずつの四天王像。中門をくぐると右側にお茶屋、正面に水向地蔵と丈六の大きさの阿弥陀如来坐像を安置してある丈六堂、左側に国指定名勝の粉河寺庭園、庭園は本堂や書院の奥に配置されているのが一般的ですが、こちらは本堂の前で、しかも巨石のみで構成された枯山水の庭園は珍しいと思います。
庭園横の短い石段を上がると本堂前で進んで本堂に。本堂外陣で手を合わせてから外陣右側にある納経所で御朱印を受領。有料拝観で内陣に上がれますが今回は見送りました。本堂を出て右側に六角堂(先の紀三井寺にも在りました。)、柱が6本の鐘楼、更に奥へ行くと薬師堂で、薬師堂の横には室町時代作の石造地蔵菩薩立像(市指定文化財)と法華塔です。本堂の前を通り、本堂左側には千手堂です。
境内をぐるっと一廻りして駐車場に戻りました。
御朱印(軸装納経帳)
大門(重文)
阿形
吽形
?堂(堂名わからず)
地藏堂
蛭子神社
不動堂
子育地蔵
童男堂
仏足跡
出現池 正面は童男大士石像
三角堂
馬蹄石
念仏堂
太子堂
手水
中門(重文)
四天王
水向地蔵
丈六堂
丈六の阿弥陀如来坐像
粉河寺庭園と本堂
本堂(重文)
六角堂
鐘楼
クスノキ
薬師堂
石造地蔵菩薩立像(市指定文化財)
法華塔
千手堂(重文)
お寺さんに着いたのが4時45分。アクシデントがあり、仕方ありませんでした。「本当に申し訳ないです。ギリギリで。」思わず出た言葉に、「いいんですよ。」とお若い僧侶の方が笑顔で納経帳を受け取ってくれました。感謝です。🙏
"粉河寺縁起絵巻"(国宝)、雑誌で時々拝見。和ませていただいています。
ご本堂
必死で走りました。
石畳
見事な石です。😌御朱印いただいてホッ😌
大神宮
御祭神 天照皇大神
創建 不詳
山門でてすぐのところに鎮座されています。
"粉河寺縁起絵巻"は国宝。奈良時代末、大友孔子古(おおとものくじこ)はある晩狩猟中に、光り輝く地を発見し、庵を建てます。が仏像がありません。
そこに現れたのが、童(童男行者)。「創る」と言います。7日後、孔子古が庵に入ると童の姿はなく千手観音像が立っていたそうです。(童は、観音さまが姿を変えたものだったということです。)
鎌倉時代は、七堂伽藍、五百五十ケ坊、東西南北4キロ余りの広大な敷地を所有していました。
が豊臣秀吉の紀州攻めで多くの寺宝が焼失。その後、紀州徳川家の援助で再興されたとのこと。
本堂は、三十三所観音霊場の中で最大です。
西国三十三所観音霊場 第3番札所
山号:風猛山
宗派:粉河観音宗総本山
御本尊:千手千眼観世音菩薩(絶対秘仏)
創建:770年(宝亀元年)
大門
中門
豪壮な佇まいに圧倒されます。😯
風猛山(ふうもうざん)
ご本堂&枯山水庭園
ご本堂は西国三十三所最大。ここまで下がらないと全景が入りません。😯
枯山水庭園
桃山時代 初めて(17年前)見た時、石の大きさとソテツの生き生きとした様子に圧倒されました。😯さすが紀州!(?)
ご本堂
この角度から見たご本堂、ため息出ます。😌
両手でしっかりパワーチャージ。感謝です!🙌
粉河産土神社(こかわうぶすなじんじゃ)
粉河寺境内に鎮座されています。今回は、ここから手を合わせます。🙏
昨年春いただいた御朱印です。
いただいた御朱印です。
西国三十三所巡礼の一つ粉河寺に参拝しました。南海線難波駅から橋本駅でJRに乗り替え、粉河駅で下車。歩いて15分ほどで到着です。
広い境内、大きな本堂など見所いっぱいです。
手水舎。
四天王様。
四天王様。
門の裏側におられます。
門の裏側におられます。
和歌山県のおすすめ❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
15
0