こかわうぶすなじんじゃ
粉河産土神社(たのもしの宮)のお参りの記録一覧
紀の川市にある神社を巡る「粉河七社詣」の御詣印を受けてきました。
「粉河七社詣」とは、粉河産土神社が管理しておられる粉河七社に参拝してくるツアー形式のイベントです。
御詣印(無料)を受ける方法としては、
①8月から頒布している「御神籤」を5枚(回)受けること。
②5社以上の写真を撮って、粉河産土神社に見せる。
③デジタルスタンプを取得できる「SpotTour」というアプリを使用し粉河産土神社で受け取る。
の、3つの方法があります。
今回は、3つめの「SpotTour」アプリをダウンロードして、バイクで回ってきました。
アプリはスマートフォンの設定で「GPSを常にオン」にした方がいいのですが、バッテリー消費もありそうなので「使用中にオン」にしました。
回った順番とは異なるのですが、おすすめの順番としては、
1「大神社」。粉河寺大門の手前、丸浅旅館の向かいの大きなクスノキがある場所です。参道の脇にあり、駐車場がないので帰りに立ち寄った方がいいです。
2「岸本神社」。粉河寺大門前の橋を渡って信号を左折。大きく右に曲がったあたりにある、3つめの信号を左に入ります。灯篭が目印で、道を少し入ると鳥居があり車も駐車可能です。
3「氣比神社」。岸本神社から粉河寺方面に戻って1.6kmのところにあります。会館の1階部分に車は駐車可能です。
4「須佐神社」。氣比神社から少し南下したところにありますが、こちらも道から少し入ったところにあり、駐車はできません。バイクや自転車なら通れますが、近隣にも駐車できるようなスペースはありません。
これで4社まわって粉河産土神社に戻るのが最短と思います。
七社全部回るには
6「丹生明神社」。一番南側にあります。大和街道から少し離れているため、なかなか辿り着けない場所にあります。近くにある風市森神社から歩きで5分ぐらいでしょうか。松井川沿いの細い道?の方が早そうです。
7「熊野神社」。ここは日本遺産「葛城修験道」の一部でもあるかなり険しい山の中にある神社です。
軽自動車ならなんとかのレベルですが、対向もできませんし、農作業をしている農家さんもいるそうです。また、道に転がっている石も鋭利なものが多いため、かなり注意が必要です。駐車場もなく、途中の道がとても細いのでバイクや歩きでなければ無理かと思います。。。
御詣印は粉河産𡈽神社にのみ設置されているので、戻るか、次回再訪ということになります。書き置きのみですが、神主さんがいらっしゃれば日付も入れてくれるそうです。
「SpotTour」を使った場合は「特典受付パスコード」が必要ですので、社務所でコードを聞きます。あと、産土神社のみの特別なフォトフレームがありました。
フォトフレームと御詣印
大神社
岸本神社
5社以上で獲得条件クリア
岸本神社のスタンプを取得
氣比神社
須佐神社の近くで通知
須佐神社
丹生明神社
熊野神社
中津川行者堂
案内チラシ
粉河寺でのお参りを満喫させていただき、そろそろ帰ろうかと境内を歩いていたら、本堂の裏手の奥の方に赤い鳥居が目に入ってきました。
ん?と思い近づいてみると、石段の上に朱色が映える本殿が😳
今回リサーチ不足ですが、粉河寺の境内に鎮座されている粉河産土神社へ。
旧粉河村の鎮守であり、粉河寺の鎮守社でもあるようです。
地元では別称「たのもしの宮」とも呼ばれていて、主祭神は丹生津比賣命(にうつひめのみこと)と天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)。
摂社も10社以上あり、古い歴史の持った神社。
紀州三大祭のひとつとして有名な粉河祭りはこちらの祭礼だそうです。
なんだか調べれば調べるほど見どころ満載ですが、予定外の参拝でしたので時間が...😓
また今度ゆっくりとお詣りさせてください🙏
今回会えませんでしたが境内には、孔雀のピーちゃん、黒猫のタンゴちゃん、チャボ達などたくさんのアイドル達もいるようですね🤗
本殿
おんどり石
石段の傾斜に狛犬さん達が滑らないように踏ん張ってるようで(笑)😆
手作り感にほっこり
書き置きでいただきました。
粉河祭特別御朱印
粉河寺の本堂裏手にある神社です。
別称として「たのもしの宮」(頼母子之宮)とも呼ばれます。
参道が2つあり 東の参道には三の鳥居までありました。
正面は一の鳥居だけですが こちらの方が立派です。
時刻が遅かったため 社務所は終了しており 御朱印は拝受できませんでした。
4種類 拝受しそこなってしまいました。残念。
拝殿の奥に本殿があるのですが 丹生津比賣命と天忍穂耳命の2基ありました。
境内摂社がとても多く 写真を撮ったのですが どれがどれか分からなくなります。
御祭神は 丹生津比賣命・天忍穂耳命です。
宝亀元年(770年)に紀伊国の猟師・大伴孔子古が粉河寺を創建し 次いでその子の大伴船主が延暦2年(783年)に鎌垣庄内各村の氏神を勧請して粉河寺の鎮守社として社を建立した それが当社の始まりであるという。
天正13年(1585年)に羽柴秀吉による紀州征伐にあい 粉河寺とともに全焼している。
粉河寺の本堂のすぐ奥にある鎮守社として 江戸時代には紀州藩主徳川家の崇敬を受けていたが 明治時代の神仏分離によって粉河寺から独立している。
とありました。
参道が2つありました
東の鳥居
三の鳥居までありました
正面の鳥居
石柱とは言わないか
手水舎
拝殿
由縁
境内案内図 摂社が多い
拝所
内陣 本殿は奥に2基
社務所
猿田彦社
記念碑
楠神社 一言神社 多賀神社 日吉神社 北野神社
護国神社
石柱
本殿
白山神社
本殿
稲荷社鳥居
稲荷社
おんどり石
粉河祭について
粉河産土神社の祭礼である「粉河祭」の限定御朱印。なんと本日から!ということで受けて参りました。
粉河祭は紀州三代祭のひとつ。毎年7月の最終土曜日の宵祭には、粉河駅から粉河寺までの「とんまか通り」をだんじりが疾走します。
絵図は、1811年に編纂された「紀伊国名所図会」だそうです。
本殿をバックに。
粉河寺の本堂裏山側に立派な神社がありましたので、折角ですので参拝しました。
粉河産土神社(こかわうぶすなじんじゃ)です。
主祭神は、丹生津比賣命(ニウツヒメノミコト)、天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)。
配祀神は、大伴孔子古命(オオトモクシコノミコト)、大伴船主命(オオトモフナヌシノミコト)。
粉河寺を創建した大伴孔子古の子の大伴船主が、783年に鎌垣庄内各村の氏神を勧請して、粉河寺の鎮守社として創建したのが始まりと伝わります。
1585年に羽柴秀吉による紀州征伐の兵火により粉河寺と共に焼失するも後に復興。
明治時代の神仏分離によって粉河寺と分離・独立し現在に至ります。
粉河寺本堂と千手堂の間の少し高台に鎮座しています。石段を上がり、鳥居をくぐった直ぐ右側に手水、左側には社務所。正面に拝殿です。拝殿から本殿は見えますが、本殿の左右にある社はよく見えません。説明看板によれば、須佐神社・大神社と熊野神社・吉野神社・天福神社です。
境内は背中に山を抱えているためか横(右側)に長く、五社神社(楠神社、一言神社、多賀神社、日吉神社、北野神社)があり、護国神社、白山神社、粉河稲荷神社と続きます。
社務所に戻ってきましたが、神職は不在の様でしたので御朱印はまたの機会としました。
手水
拝殿
左本殿:丹生津比賣命、右本殿:天忍穂耳命
本殿を斜め前から
五社神社(左から楠神社、一言神社、多賀神社、日吉神社、北野神社)
護国神社
白山神社
粉河稲荷神社
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