たまつしまじんじゃ
玉津島神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主祭神》 稚日女尊 息長足姫尊 衣通姫尊 《配祀神》 明光浦霊 | |
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創建時代 | 不詳 | |
創始者 | 不詳 | |
ご由緒 | 玉津島一帯はまたの名を玉出島ともいわれ、いにしえ島山が恰も玉のように海中に点在していたと想像され、かの山部赤人の長歌に、「神代より然ぞ尊き玉津島山」と詠まれた如く、風光明媚な神のおわすところとして崇められてきました。
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歴史 | 歴史[編集] 社伝によれば、仲哀天皇の皇后息長足姫(神功皇后)が紀伊半島に進軍した際、玉津島神の加護を受けたことから、その分霊を祀ったのに始まるという。玉津島は古くは「玉出島」とも称されたが、大阪市西成区玉出には生根神社が鎮座しており、関係があるのか興味深い。 神亀元年(724年)2月に即位した23歳の聖武天皇は、同年10月に和歌の浦に行幸してその景観に感動、この地の風致を守るため守戸を置き、玉津嶋と明光浦の霊を祀ることを命じた詔を発する。これが玉津嶋の初見である。この時同行した奈良時代の歌人山部赤人の詠んだ歌 若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る — 『...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「玉津島神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%8E%89%E6%B4%A5%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98377878 |
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