御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

ずいりゅうじ|曹洞宗

瑞龍寺のお参りの記録一覧
富山県 高岡駅

1 / 4ページ1〜25件97件中
to_sun
to_sun
2024年02月07日(水)700投稿

【高岡山(こうこうざん)瑞龍寺(ずいりゅうじ)】
本尊:釈迦如来
宗派:曹洞宗
開基:前田利常

~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第15番~
 
 瑞龍寺は、越中 高岡市にある。高岡市は、約1300年前、国府や国分寺が置かれ、当時の「越中国(えっちゅうのくに)」の政治と文化の中心だった。746(天平18)年、「万葉集」の代表的な歌人であり編纂者として知られる大伴家持(おおとものやかもち)が「越中守(えっちゅうのかみ)」に任命され、高岡市伏木(ふしき)にあった国府に赴任しており、家持は多くの歌を残している。高岡は、大和や筑紫とならぶ万葉ゆかりの地であり、非常に古くから開けた地域といえる。
 現在の高岡の街の礎を築いたのは、第2代加賀藩主 前田利長(まえだとしなが)とされる。利長は1598(慶長3)年に父の利家(としいえ)から家督を継いで金沢城に入る。しかし、7年後の1605(慶長10)年には弟の利常(としつね)に家督を譲り、利長は富山城に隠退してしまう。利長には実子がないことから、これは、徳川政権下で前田家の生き残りを図るためだったようだ。利長は利家の正妻の子だが、弟の利常は側室が生んだ子だった。そのため、120万石の藩主の座を譲られて、利常は異母兄に対して恩義を感じていたらしい。その後、1609(慶長14)年に火事で富山城が焼けたため、利長は高岡に移る。利長は、この街を「高岡」と名付け、高岡城を築き、城下町を整備する。1614(慶長19)年、利長は、病気で亡くなるが、第3代藩主 利常のバックアップを受け、高岡は商業の街として飛躍的に発展していく。一方、利常は異母兄 利長の菩提を弔うために、加賀藩の総力をあげて瑞龍寺の造営に取り組んだ。利常は瑞龍寺の完成を見届けずに没したため、瑞龍寺の造営はその孫の綱紀(つなのり)に受け継がれ、完成したのは、利長の50回忌の1663(寛文3)年だったという。
 「瑞龍寺」の寺号は、利長の法名の「瑞龍院殿聖山英賢大居士(ずいりゅういんでんせいざんえいけんだいこじ)」からつけられている。

~『百寺巡礼 第二巻 北陸』五木寛之(講談社、2003)~

 能登半島地震復興支援の任務(1週間)を終え参拝、1日も早い復興を祈念しました。また、当日(2月3日)は、節分会。お豆を頂き一緒に行った仲間の健康と開運を祈願しました。
 とにかく、重厚な伽藍に圧倒されます。

瑞龍寺(富山県)

【山門】

瑞龍寺(富山県)

【寺号標】

他52枚の写真を見る
もっと読む
行きたい
行った
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ