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ひえじんじゃ

日枝神社の御由緒・歴史
東京都 溜池山王駅

ご祭神《主》大山咋神,《配》国常立神,伊弉冉神,足仲彦尊
創建時代鎌倉時代初期
ご由緒

御祭神大山咋神は須佐之男神の御孫神で山末之大主神とも称えられ山水を司り、萬物の生成発展を守護する神である。
 日枝神社の歴史は鎌倉初期、秩父重継は江戸貫主を名乗り居館に山王社を勧請したことに始まる。文明年間には太田道灌江戸城築城にあたり川越山王社を再勧請し、更に徳川家康入府以降、城内鎮守の神、将軍家の産土神と崇められ、紅葉山から麹町を経て萬治二年当地に移遷された。
 日本三大祭のひとつ、また江戸三大祭の筆頭として知られる山王祭は江戸時代にはその神幸行列が城内に入り、将軍自ら上覧したことから天下祭また御用祭とも称された。
 明治維新の東京奠都によって江戸城は皇居となり、日枝神社は皇城鎮護の神として、皇室の御崇敬殊に篤く、大正天皇御即位当日には官幣大社に列せられた。氏子地域は都心の七十余町に及び、生業の隆昌をはじめ子孫と家門の繁栄を守護し給うその御神徳はまさに宏大無辺である。

歴史
歴史[編集] 創建は、鎌倉時代に江戸氏が山王宮を祀ったことを起源とするが、直接的には文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したことに始まる[1]。徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした[2]。 慶長9年(1604年)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。社地は家康により5石、元和3年(1617年)に秀忠により100石、そして寛永12年(1635年)に徳川家光からの寄付を加えて600石となった[3]。 明暦3年(...Wikipediaで続きを読む
引用元情報日枝神社 (千代田区)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%97%A5%E6%9E%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E5%8C%BA%29&oldid=100025710

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