ひえじんじゃ
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楽しみ方日枝神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年10月30日(木) 23時11分15秒
参拝:2025年10月吉日
今日は仏滅ですが、一粒万倍日。
なにより昨日に続き秋のすがすがしいお天気に恵まれました。
初孫の女の子が3歳の七五三の祈祷を受けるのに、赤坂の日枝神社に参ります。
トランプさんは今日1日東京にいて、赤坂御苑の迎賓館で儀仗、その後横須賀の米軍基地に移動されたりで大忙しのスケジュールだそうですが。。。私たちの泊まったホテルは、その迎賓館の横でしたので、道路規制のためホテルの玄関にはタクシーが皆無で、タクシー待ちの行列が出来ていました。かみさんも、今日は「晴れの日」なので、レンタルの和装に着替えるため、着付けの方を予約していましたが、秋の園遊会が、午後に同じく赤坂御苑で開かれるため、着付けの方もスクランブル体制で対応が必要な1日だそうでして、朝から落ち着かない感じでした。
結局足の悪いかみさんには気の毒でしたが、ぞうりで徒歩で日枝神社まで行きました。
ここで我が息子の嫁さんのご両親と息子一家と合流。計8人で参拝。。。ですが、日枝神社ではこの時期七五三の子供撮影専門のプロ写真家が活躍。わが孫も嫁が手配しており、孫の晴れ姿やおじい、おばあと一緒の記念写真など、おおよそ2時間かけて撮影。
ここでは、どの場所で、どんなポーズで撮るかは概ね決まっているようで、10時からは6~7組が順繰りで撮影。これだけで十分疲れてしまいました。
日枝神社で、目をみはったものは、まず
①山王鳥居。
都道405号線、虎ノ門から国道246号線四谷方面へ向かう道の永田町付近の四谷に向かって
右側に2カ所。鳥居の真ん中頂上に三角形の子屋根がついた独特の鳥居があります。
(すみません。今回撮影できていません)
これは滋賀県坂本に鎮座される「日吉大社」系列の神社の特徴であり、日吉大社系列である
ことの証です。
神社のHPを拝見すると、徳川家康公が武蔵野の地を開拓する際、江戸城の鎮守のために「日
吉神社」を建立。明暦の江戸大火の後、隼町(元山王)から遷祀し、今の場所に鎮座さ
れておられます。いつから「日枝神社」と呼ばれたのかは記載はありませんでしたが、最初は「日
吉」あるいは「山王」という名で祀られていたこと。坂本の日吉大社同様、首都鎮守のために建
立されたこと。(坂本の日吉大社は京都の鬼門に建立されています)明治以後は天皇陛
下が東京にお住まいになられたことで、御朱印にある「皇城の鎮」の役割を持って現在に至ってい
ることが日吉大社と京都の関係と相関していて印象的だと思います。
②立ち葵のご神紋
宝物庫の屋根下に大きな「立ち葵」のご神紋が円盤に描かれています。これは私のつたない知
識だと「賀茂氏」チェーンの神社のお印であります。(すみません。こちらも子供の世話によって
写真は撮りそびれてしまいました)
ちなみに徳川家の「三つ葉葵」の家紋の由来も「賀茂氏」だそうで、祖先は下鴨か上賀茂神社
のご神官をされていたお家柄だそうです。
皆様ご存じのとおり「賀茂氏」の祖先をたどると「秦氏」⇒機織⇒はたおり⇒服部(はっとり)
なんかの語源になります。
③お猿の像
「日吉大社」の守り神は「お猿」。したがいここの日枝神社の守り神も「お猿」でした。
「こま犬」ならず「こま猿」なんです。「さる」⇒「勝(くんよみで「まさる」とも読みます)」から勝負
の神様、安産の神様として江戸の中心に鎮座されておられ、参拝客にはやさしいエスカレーター
や新しい社務所、会館が建ち、日枝神社さん自体が「勝ち組」のお社である印象をうけました。
裏手は首相官邸になっていて、まさに「日本国の鎮守」なのですね。
なにより昨日に続き秋のすがすがしいお天気に恵まれました。
初孫の女の子が3歳の七五三の祈祷を受けるのに、赤坂の日枝神社に参ります。
トランプさんは今日1日東京にいて、赤坂御苑の迎賓館で儀仗、その後横須賀の米軍基地に移動されたりで大忙しのスケジュールだそうですが。。。私たちの泊まったホテルは、その迎賓館の横でしたので、道路規制のためホテルの玄関にはタクシーが皆無で、タクシー待ちの行列が出来ていました。かみさんも、今日は「晴れの日」なので、レンタルの和装に着替えるため、着付けの方を予約していましたが、秋の園遊会が、午後に同じく赤坂御苑で開かれるため、着付けの方もスクランブル体制で対応が必要な1日だそうでして、朝から落ち着かない感じでした。
結局足の悪いかみさんには気の毒でしたが、ぞうりで徒歩で日枝神社まで行きました。
ここで我が息子の嫁さんのご両親と息子一家と合流。計8人で参拝。。。ですが、日枝神社ではこの時期七五三の子供撮影専門のプロ写真家が活躍。わが孫も嫁が手配しており、孫の晴れ姿やおじい、おばあと一緒の記念写真など、おおよそ2時間かけて撮影。
ここでは、どの場所で、どんなポーズで撮るかは概ね決まっているようで、10時からは6~7組が順繰りで撮影。これだけで十分疲れてしまいました。
日枝神社で、目をみはったものは、まず
①山王鳥居。
都道405号線、虎ノ門から国道246号線四谷方面へ向かう道の永田町付近の四谷に向かって
右側に2カ所。鳥居の真ん中頂上に三角形の子屋根がついた独特の鳥居があります。
(すみません。今回撮影できていません)
これは滋賀県坂本に鎮座される「日吉大社」系列の神社の特徴であり、日吉大社系列である
ことの証です。
神社のHPを拝見すると、徳川家康公が武蔵野の地を開拓する際、江戸城の鎮守のために「日
吉神社」を建立。明暦の江戸大火の後、隼町(元山王)から遷祀し、今の場所に鎮座さ
れておられます。いつから「日枝神社」と呼ばれたのかは記載はありませんでしたが、最初は「日
吉」あるいは「山王」という名で祀られていたこと。坂本の日吉大社同様、首都鎮守のために建
立されたこと。(坂本の日吉大社は京都の鬼門に建立されています)明治以後は天皇陛
下が東京にお住まいになられたことで、御朱印にある「皇城の鎮」の役割を持って現在に至ってい
ることが日吉大社と京都の関係と相関していて印象的だと思います。
②立ち葵のご神紋
宝物庫の屋根下に大きな「立ち葵」のご神紋が円盤に描かれています。これは私のつたない知
識だと「賀茂氏」チェーンの神社のお印であります。(すみません。こちらも子供の世話によって
写真は撮りそびれてしまいました)
ちなみに徳川家の「三つ葉葵」の家紋の由来も「賀茂氏」だそうで、祖先は下鴨か上賀茂神社
のご神官をされていたお家柄だそうです。
皆様ご存じのとおり「賀茂氏」の祖先をたどると「秦氏」⇒機織⇒はたおり⇒服部(はっとり)
なんかの語源になります。
③お猿の像
「日吉大社」の守り神は「お猿」。したがいここの日枝神社の守り神も「お猿」でした。
「こま犬」ならず「こま猿」なんです。「さる」⇒「勝(くんよみで「まさる」とも読みます)」から勝負
の神様、安産の神様として江戸の中心に鎮座されておられ、参拝客にはやさしいエスカレーター
や新しい社務所、会館が建ち、日枝神社さん自体が「勝ち組」のお社である印象をうけました。
裏手は首相官邸になっていて、まさに「日本国の鎮守」なのですね。

お参りした日は七五三の祈祷のお客様が多く、外国人観光客は、和装で着飾った子供たちを見て、目を細めていました。日本人でよかった。御朱印にも「立ち葵」が入っていますね

ご拝殿です。小山の上に建っているので、どの方向からも急な坂を上り降りせねばなりませんが、キャピトル東急のビル横にエスカレータがあり、これに乗るとラクチンです。

守り神の「こま猿」。

ご拝殿入り口の門の両脇にもお猿が警戒している像が設置されています。
(ガラスで見えにくい)永田町に変なものが入ってこないように見張っているように見えました。
(ガラスで見えにくい)永田町に変なものが入ってこないように見張っているように見えました。

この日は参拝後、キャピトル東急ホテルのレストランで個室を借りて、嫁さん側ご両親と昼食会をしましたが、その時間に自衛隊のヘリがホテルレストランの窓正面にぶつかりそうになるまで近づいてきたのにびっくり。ヘリは首相官邸の屋上のヘリポートに着陸したのです。
後からテレビでわかったのですが、この時間は高市首相が、横須賀の米軍基地でスピーチを
した後。、横須賀からへりで帰還したタイミングだったようです。さすがに官邸の屋根まで見えなかったのだけど、サナエちゃん乗っていたのね。
後からテレビでわかったのですが、この時間は高市首相が、横須賀の米軍基地でスピーチを
した後。、横須賀からへりで帰還したタイミングだったようです。さすがに官邸の屋根まで見えなかったのだけど、サナエちゃん乗っていたのね。
すてき
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まるこびっち289投稿
2015年から西国三十三か所めぐりを友人と私たち夫婦でスタート。 最近は病気のせいで足腰が弱くなっているのでリハビリと思ってできる限り歩いていろんな社寺をお参りすることにしました。コメントは主観...もっと読む
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