ひえじんじゃ
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日枝神社ではいただけません
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日枝神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年01月27日(水)
参拝:2020年1月吉日
千代田区永田町にある神社。旧社格は准勅祭社(東京十社)、官幣大社、現在は神社本庁の別表神社。
江戸三大祭の一つ、「山王祭」が行われることで知られている。(あと二つは、神田神社の「神田祭」と富岡八幡宮の「深川祭」)
創建は不詳。1478年、太田道灌が江戸城築城に当たり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのが始まりとされる。徳川家康の江戸入城時に、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした。その後、徳川秀忠が江戸城改築に際し、社地を江戸城外に遷座したが、1657年明暦の大火で社殿を焼失、徳川家綱が江戸城の裏鬼門である現在地に遷座した。
日本の政治の中心・永田町にあって、ハイソシティ・赤坂もほど近い抜群の立地にある。氏子地域は大手町・丸の内・麹町・八重洲・日本橋・銀座と、経済の中心地&高級住宅街となっている。
参拝時はまだコロナが蔓延する前の週末の午後で、まだ正月なので参拝客はそこそこいた。自分は当時、寺社仏閣初心者だったので、裏口から入って表門から出るわ、摂社末社も良く分からず、日枝神社名物の「サル」を見て終わらせてしまった感じ。要再参拝。
江戸三大祭の一つ、「山王祭」が行われることで知られている。(あと二つは、神田神社の「神田祭」と富岡八幡宮の「深川祭」)
創建は不詳。1478年、太田道灌が江戸城築城に当たり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのが始まりとされる。徳川家康の江戸入城時に、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした。その後、徳川秀忠が江戸城改築に際し、社地を江戸城外に遷座したが、1657年明暦の大火で社殿を焼失、徳川家綱が江戸城の裏鬼門である現在地に遷座した。
日本の政治の中心・永田町にあって、ハイソシティ・赤坂もほど近い抜群の立地にある。氏子地域は大手町・丸の内・麹町・八重洲・日本橋・銀座と、経済の中心地&高級住宅街となっている。
参拝時はまだコロナが蔓延する前の週末の午後で、まだ正月なので参拝客はそこそこいた。自分は当時、寺社仏閣初心者だったので、裏口から入って表門から出るわ、摂社末社も良く分からず、日枝神社名物の「サル」を見て終わらせてしまった感じ。要再参拝。
大通りに面したメインの白い<山王鳥居>(でも社殿正面に出る鳥居ではない)。変わった形をしているのは御祭神に<大山咋神(おおやまくいのかみ)>を祀っているため、横幅の広いなだらかな階段は、王宮に続く階段のようにダイナミック。脇にエスカレーターがあるのも驚き。後ろで目立っているのは、ザ・キャピトルホテル東急。
もう一つの大通りに面した黒い<山王鳥居>。自分は(こちらをメインと勘違いし)ここから境内へ向かう。
鳥居をくぐった左手にある、こちらの階段を上がる。
稲荷参道入口。
けっこうな段数(鳥居の本数)がある。
稲荷参道を上がったところにある社。ここが社殿かと思ったが、実際は境内社「山王稲荷神社」・「八坂神社」・「猿田彦神社」の社殿。
先ほどの位置から敷地を時計回りに回ってようやく正規の入口<神門>。扁額には<日枝神社>の文字。両サイドには随神像。
神門に掲げられた菊の御紋の御幕をくぐると、、、
銅板屋根のブルーイッシュグリーンが美しい社殿。純白の神社幕に大きな菊の御紋が輝く。
拝殿の右側には狛犬ではなく<狛猿>が(正しくは神猿(まさる)像)。御祭神の<大山咋神>のお遣いが猿であるため。猿(サル)は「魔が去る」と掛けて、魔除けや悪運回避の御利益があるとも。
拝殿の左側の<狛猿>は子連れ。右側に雄猿、左側に子連れの雌猿で、猿(エン)と縁を掛け合わせ、縁結び、夫婦円満、殖産振興の御利益があるんだとか。
神殿の裏側。扁額には<皇城之鎮(こうじょうのしずめ)>の文字。両サイドには、、、?
左側にはオスの<神猿像>。
右側にはメスの<神猿像>。
御朱印をお願いすると、おまけで栞と木のお守りが授与される。
すてき
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惣一郎1269投稿
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