くまのじんじゃ
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熊野神社について
なでしこジャパンも身につけたやたがらす守
当社のやたがらす守は、なでしこジャパンがドイツで開催された「2011年FIFA女子ワールドカップ」で優勝した際に身に付けていた御守で、開運・交通安全のご利益があり参拝者から人気が絶えません。
東京都のおすすめ3選🎎
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瑞光寺様から初参拝。都庁の近くにある熊野神社様へ…
本当にお天気荒れるの?と疑いたくなるくらい青空でした。
年末からインスタで竜の御守が載っていて欲しかったのですが、保存するのを忘れて何処の神社様でいただけるのかわからなくなってしまい色々検索しても出てこず💦最近になってポッと出てきたのが熊野神社様でしっかり保存してお参りに行きました😊
【新宿十二社 熊野神社】
十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394年~1428年)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます(一説に、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が、天文•永禄年間(1532年~1569年)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祠ったともいいます)。
鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。
九郎は、この地域の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祠りました。その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永10年(1403年)熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといいます。
江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われました。
また、享保年間(1716年~1735年)には八代将軍吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。
明治維新後は、現在の櫛御気野大神•伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっています。
ー熊野神社HPよりー
☆社号碑☆
☆鳥居⛩️☆
☆神輿蔵☆
神社の宮神輿(大神輿)と、熊野神社の氏子の組織である睦の町神輿(大人神輿と子供神輿)が保管されています。
一之宮神輿は、昭和3年(1928年)に十二社と淀橋の氏子により製作されたものです、二之宮神輿は平成9年(1997年)に
御鎮座600年を記念して製作されました、両神輿とも三年に一度大祭に巡幸します。
☆十二社の碑(新宿区指定史跡)☆
ここ十二社の池が、池や滝を擁した江戸西郊の景勝地であることを記した記念碑で、嘉永4年(1851年)3月に建てられました。
高さ210cm、幅119cm、幕末期に江戸市中の様子を記した『江戸繁盛記』を著した儒学者寺門静軒と、中野宝仙寺の僧侶負笈道人により、当時名高かった景勝地十二社の様子を紹介したもので、表面には負笈道人の撰になる碑文と、寺門静軒による漢詩が刻まれており、字数は262字あります。
また裏面は、負笈道人の略歴と人柄を、寺門静軒が記したもので字数は、286字に及びます。
書は中川憲齋(日本書堂•大彭を号する)によるものです。
☆神楽殿☆
☆鳥居⛩️と手水舎☆
☆御拝殿☆
八咫烏ばかり気にして下を撮るの忘れてしまった💦
下の部分には十二支の文字が刻まれていました
🐭🐮🐯🐰🐲🐍🐴🐏🐵🐔🐶🐗
☆御拝殿前の狛犬様☆
【御祭神】
櫛御気野神
伊邪那美神
☆大田南畝の水鉢(新宿区指定有形文化財)☆
文政3年(1820年)に奉納された水鉢で、江戸時代後期の狂歌師として有名な大田南畝(蜀山人)(1749年~1823年)の書による銘文が刻まれています。
文政3年の熊野神社の祭礼には、大池で角乗•筏乗が出るなど盛大なものでしたが、この水鉢もその祭に奉納されたものと思われます。鉢の大きさは、外部が幅150cm、高さ60cm、奥行64cm、内部の鉢の部分は幅126cm、深さ23cm、奥行40cmあります。
☆御拝殿と御本殿☆
☆御本殿☆
☆大鳥三社(大鳥連祖神)☆
☆狛犬様☆
本殿裏の末社大鳥三社にある狛犬で、腹の下がくりぬきになっていない珍しいものです。享保12年(1727年)「角筈村上野百姓店児講中」により寄進されたものです。
☆胡桃下稲荷社☆
☆延命陀羅尼二千一百万遍読誦碑☆
元治元年(1864年)に延命陀羅尼経を唱えたことを記念して建てられた記念碑で、神仏習合時代を物語る資料です。
☆弁財天社☆
限定御朱印 『桜朱印』書置きのみ
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欲しかった竜の御守
白もあったのですが、汚してしまいそうなので緑をいただきました🐲
社務所の横にスタンプが置いてあったので挟み紙に押してきました😊
師走の東京⑥『十二社 熊野神社』参拝
ライトアップが美しい新宿中央公園を抜け、暗くなった境内をまわりました。
休日の夕方 (まだ17時) はとても静かで厳かな雰囲気、、なかなか味わえないひと時を堪能できました。
都庁のツインタワーも綺麗に見えて、おぁ東京!そんな気分ヽ(*´∇`)ノ
ついでに都庁の展望室にも上り、夜景も楽しみました✨
現在の御朱印対応は16時までなので、次回の楽しみになりました~
次は昼の境内に伺いたいと思います🌿
社務所は閉まっていましたが、
バックの都庁が素敵でした😊
薄闇の中の御社殿はいい雰囲気✨
熊野神社は初参拝🙏
紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものらしい~
手水舎は銀杏に彩られ✨
境内社も参拝😌
池の鯉にもご挨拶☘️
お正月の準備でしょうか、、🎍
暗い、、初めての熊野神社、、
薄闇の鳥居もステキ🎶
暗い参道も歩いてみました、、ちょっと怖い😆
ライトアップが綺麗✨新宿中央公園に隣接
可愛い猫ちゃんにも遭遇しました💕
こちらを抜けて都庁の展望台へ~😄
旅のオマケに~
都庁の展望室からの夜景✨
歴史
十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394-1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます(一説に、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が、天文・永禄年間(1532-69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祠ったともいいます)。
鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。
九郎は、この地域の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祠りました。その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永十年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといいます。
江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われました。
また、享保年間(1716-1735)には八代将軍吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。
明治維新後は、現在の櫛御気野大神・伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっています。
氏子町の範囲は、西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域で、新宿の総鎮守となっています。
名称 | 熊野神社 |
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読み方 | くまのじんじゃ |
通称 | 十二社熊野神社 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 03-3343-5521 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://12so-kumanojinja.jp/ |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 《主》櫛御気野大神,伊邪那美大神,天照皇大神 |
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創建時代 | 応永年間 |
創始者 | 鈴木九郎 |
文化財 | 十二社の碑(新宿区指定史跡)
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ご由緒 | 十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394-1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます(一説に、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が、天文・永禄年間(1532-69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祠ったともいいます)。
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