あなはちまんぐう
穴八幡宮のお参りの記録一覧(6ページ目)
恥ずかしながら、殆ど予備知識なく行ったので、帰宅後に復習して、翌日2日連続でお参りしてきました。
冬至から節分までは、長蛇の列らしく…
いまの時期は、2日続けて、ゆっくりお参りできました。
↓
『東京都新宿区西早稲田に鎮座する神社。
旧社格は村社で、「赤城神社」と共に牛込の総鎮守。
かつては高田馬場の守護神とされたため「高田八幡宮」とも呼ばれていた。
江戸時代に南側の山裾を切り開いたところ横穴を発見、横穴より金銅の阿弥陀如来像が出現したため、瑞祥のあった神穴がある事から「穴八幡宮」と称されるようになったと云う。
八代将軍・徳川吉宗が奉納した流鏑馬が高田馬場流鏑馬として現在も続く。
冬至から節分までの間限定で頒布される「一陽来復御守」は、金銀融通の御守として人気が高く、御守を求めて大行列ができる事でも知られる。』
鳥居をくぐり、石段の手前左には、
休憩できるスぺ-スがあります。
人がいないことを確認して、手を消毒して、
マスクずらして水分補給して、
次へ歩く~🚶♀️💨
諏訪通りからの入口を中から。
さあ、今日の最後は〜、穴八幡宮⛩️です!
正直行き当たりばったりで見つけて、決めました〜笑
行ってみてビックリしました!
なんと立派な神社なんでしょうか〜✨
入口から空気感が違いました。
違いますからね的な圧があります笑
階段を登らないと、ほとんど先が見えません笑
という事で登ると、、、おお〜朱色の、、門?でしょうか⛩️
どっしり構えております。
門に隠れて、まだ御本殿は見えません〜。
、、、抜けると、、、おお、、、ココロがスーッとします✨
急に拓けます。
キレイです✨
広い✨
開放感✨
すごーい✨
しばらく、眺めます。
ゆっくり進んで、御本殿の前へ。
今日最後の、いつものお願い事をします。
好きな人がずっと元気でいてくれますように。。。
いろいろありますが、それが1番目です。
よろしくお願いします。(-人-)。。。
御朱印もいただきます。
こちらも直書きなんですね〜。
待ってる間も、ウロチョロ眺めます笑
いただいた後も、やっぱりウロチョロして、あちこち眺めます✨
いやー、御神木?でしょうか。立派なきです🌲
何がって、、根っこが!!こんな地面に張ってる根っこ初めて見ました!
あーだこーだ思いながら、しばらく堪能します。
さて、、いいところで、今日はおしまい。
谷保天満宮の御朱印帳が終わりました〜。
。。。次はどうしましょうか。。。
明日も行くつもりなのですが、まずは御朱印帳を探すところから始まりです。
さぁ〜!帰って、報告と!相談です!!笑
今日もありがとうございましたー!
あー楽しかった!笑
朱色が目を引く大鳥居⛩️
その次の鳥居!
階段をのぼると、、この朱色の門!的な!笑
先〜に、御本殿がちらっ!
の途中で振り返ると!こんな感じ⛩️
なんだかんだで御本殿♥
御神木〜?✨
の根っこがすごっ!
参拝2回目。「一陽来復守」頒布期間中にはいただけなかったご朱印(直書き)いただきました。
拝殿
山門(光寮門)
二の鳥居
一の鳥居
「贔屓(ひいき)」という架空の動物。中国の伝説では、贔屓は龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子の1つ。その姿は亀に似ているとありました。石碑の台になっているのは亀趺(きふ)と言うそうです。亀さんではなかったのですね。
鳥居
早稲田の法輪寺様と通りを挟んだ向かい側にある神社 鳥居すぐ横に交番があり治安はバッチリ…なんだろが、お巡りさんがいっぱい居て、何もしてないのになんか緊張(^_^メ)
広々ゆったりとした境内、静かで落着きあり、厳格な雰囲気さえ漂う素敵な神社でした
朱色の大きな鳥居 傍らにポリスステーション^^;
なんもしてないけど あんだけお巡りさん居ると何か落ち着かん^^;;
中門
本堂
手水舎
御朱印
穴八幡宮は、新宿区西早稲田にある神社。旧社格は村社。蟲封じの御利益と、流鏑馬奉納で知られている。
社伝によると、創建は平安後期の1062年、源義家が奥州討伐の凱旋途上で、当地に兜と太刀を納め八幡神を祀り、高田八幡と呼ばれたとされる。江戸期に入り、当地に弓の的場が築かれ、弓矢の守護神に京都の石清水八幡宮を勧請。この時別当寺の放生寺を建てるために境内南側の崖を整地したところ横穴が見付かり、金銅の阿弥陀仏を発見したため、「穴八幡」と呼ばれるように。弓矢の守護神を祀ることから将軍家の崇敬も篤く、3代将軍家光は当社を幕府の祈願所・城北の総鎮護とし、8代将軍吉宗は世嗣の疱瘡平癒祈願のために流鏑馬を奉納した。江戸庶民からも信仰を集め、特に蟲封じの祈祷が有名で、明治期には明治天皇が皇太子(大正天皇)の御蟲封祈祷を行ったとのこと。社殿等は1945年の米軍による大空襲でほとんどが焼失。その後徐々に時間を掛けて再建した。
当社は、地下鉄早稲田駅から100m、早稲田通り・馬場下町交差点の角にある。
参拝時は週末の昼過ぎで、賽銭箱前に参拝者が途切れないぐらいの人出があった。
馬場下町交差点にある<一之鳥居>。左手前は交番、右側は早稲田通り。
鳥居の左側に<流鏑馬>のブロンズ像がある。
石段を上がって進むと<二の鳥居>。
さらに石段を登ると隋神門である<光寮門>。
光寮門から社殿を望む。
参道右手に<手水舎>と<布袋尊像>。
拝殿が徐々に見えてくる。両側の大木が立派。
社殿の屋根・輪郭が見えてくる。
拝殿。
拝殿左側の大木。根上がりになっていて、隆々としている。
参道の左側に鼓楼と札所。
光寮門くぐって左側の<神武天皇遙拝所>。
鼓楼脇の階段を下ると、説明はないが立入禁止(?)の建物がある。
1062(康平5)年、奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折り、日本武尊の先蹤にならい、当地に兜と太刀を納め氏神八幡宮を勧請、東北鎮護の社として創建された。
1641(寛永5)年、宮守の庵を造るため山裾を切り開いたところ、神穴が出現し中から金銅の御神像が現れたため、この時期から穴八幡宮と称されるようになる。
同年この地に居住していた江戸幕府の祐筆(事務官僚)・大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営した。
この頃、神木の松から瑞光を放つなど諸々奇瑞のあったことが三代将軍家光の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられる。
1648(慶安元)年社殿再興の折、幕府から氏子として牛込郷36ヶ町が定められ、翌年の1649(慶安2)年、社殿を始め数々の殿舎が竣工し、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社となった。
その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行われ、特に1703(元禄16)年の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めたという。
1854(安政元)年青山火事により類焼し、幕府より造営料などが奉納されたものの、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えた。
その後、昭和初年に旧時の盛観に復元したが、空襲により社殿は再び焼失した。
しかし戦後はいち早く仮社殿により再興、1989(平成元)年から慶安・元禄の江戸権現造りの設計図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、1998(平成10)年の随神門竣工をもって往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、境内地の整備に着手し今日に至る。
「一陽来復御守」をいただきに行ってきました。
御守をその年の定められた恵方に向けて、冬至、大晦日、節分のいずれかの深夜0時にお祀りするとお金繰りが良くなると言われていて、商売繁盛、金運上昇の御守として大変人気があります。
この時期、人気の穴八幡宮さま。
しっかり参拝します。
この御守を指定の時間に指定の場所にお祀りします。
お祀りについて詳しく書いてあります。
本日、2時頃で少し並んでました。
皆さん購入されてます。
法輪寺を後にし、道路を渡り二つ目の穴八幡宮へ。
【近くて助かる~】
流鏑馬の神事も行っているようです。
ここは、一つ目の法輪寺ほど紅くはないが、折り重なるように、
イイ具合の紅葉が石段を覆い、登り切った後に門を抜けると、
予想以上に広い敷地。それと新しい数多の建造物が整然としてます。
参道の右に布袋様が…【後から知りましたが賽銭の口があるとか…】
すでにお正月の参拝準備を、参道の左側で作業してました。
とにかく新しい建物なのでどこもかしこもキレイです。
正攻法で、大鳥居から入る
鳥居の左の流鏑馬の像
石段を覆う紅葉
この山門も新しいのかな…
木々の向こうに本殿
手水所と布袋様が並んでます
注連縄も新しく、キレイです。
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