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ぜんこうじ|浄土宗南命山

浄土宗南命山善光寺
東京都 表参道駅

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🌷日向ぼっこ☀️🐇
🌷日向ぼっこ☀️🐇
2023年09月06日(水)
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善光寺(ぜんこうじ)に参拝させて頂きました🌷🌼当寺院は東京都港区北青山三丁目にある浄土宗の寺院で詳名は南命山無量寿院善光寺です。
☘️現在の青山は、江戸時代には善光寺の門前町であった。1853年(嘉永6年)に発行された江戸切絵図の『東都青山絵図』によると、一帯には各大名家の下屋敷が存在し、大山道(現在の青山通り)も通っていた。
🌺善光寺は浄土宗に属する寺院で、創立は1601年(慶長6年)と伝わっています。山号は南命山といい、詳名は「南命山無量寿院善光寺」、本尊は1尺5寸の阿弥陀如来である。同本尊は767年(神護景雲元年) 8月の十五夜に法如尼という人物が當麻寺の紫雲庵で念仏を唱えている最中に信州善光寺の如来が現れ、その姿を写したものと云われています。
🍁創立当初の善光寺は尼寺で、かつては谷中にありました。🌷善光寺第109世大蓮社光忍円誉智慶が徳川家康に請願して江戸谷中に7500坪の土地の寄進を受けて、伽藍を建立した。🌼谷中の旧地は玉林寺(台東区谷中一丁目7-15に現存)付近で、今では「善光寺坂」と坂の名にその名残をとどめています。🪷第4世誓誉智伝の時期、1648年(慶安元年)9月17日に徳川家光から朱印地(高5石)を拝領した。
☘️谷中の伽藍は、1703年(元禄16年)11月29日に小石川水戸邸を火元とする大火(元禄地震による火事)によって焼失した。1705年(宝永2年)、光蓮社心誉知善が高5石の朱印地を徳川吉宗から賜り、現在の場所に間口75間、奥行100間の堂宇を新築して同年12月に至って移転しました。そのため、善光寺は心誉知善を中興開基とする。 
🌺善光寺はもともと無本寺であったが、徳川幕府の時代には1740年(元文5年)から寛永寺の支配下に置かれていました。🌸幕末の1862年(文久2年)12月5日、再度の火災に遭って全焼したため、その後は長きにわたって仮本堂であった。
🌷1915年(大正4年)9月に伽藍の再建に着手し、1920年(大正9年)5月に落成した。1945年(昭和20年)5月25日、戦災によって焼失し、1974年(昭和49年)8月に本堂・庫裏・書院を再建しました。
🪷善光寺はもともと葬儀に関係せず、墓地も存在していなかった[1]。墓地が設けられたのは明治以後のことで、中御門経之、松木宗有、牧野晩香、中山能子(勘解由小路光宙室)などが葬られている。🌺『赤坂・青山その2』所載の「善光寺」の記述によれば、檀家数447、戒名数2,885、墓地480基、過去帳及び墓碑の最古は、1874年(明治7年)です。

🍁所在地: 東京都港区北青山3-5−17

浄土宗南命山善光寺(東京都)
浄土宗南命山善光寺(東京都)
浄土宗南命山善光寺(東京都)
浄土宗南命山善光寺(東京都)
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浄土宗南命山善光寺(東京都)
浄土宗南命山善光寺(東京都)
浄土宗南命山善光寺の像
浄土宗南命山善光寺(東京都)
浄土宗南命山善光寺(東京都)
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歴史

浄土宗善光寺(山號南命山信州善光寺兼帶所)青山北町六丁目三十一番地
當寺は慶長六年の創立に係り、信州善光寺大本願上人の宿院にして、浄土宗の尼寺である。
善光寺第百九世大蓮社光忍圓譽智慶上人が、家康公に請願せられたるに、江戸谷中に於て七千五百坪の地を寄附されたので、始めて伽藍を建設した。今谷中に善光寺坂と呼ばれてゐる坂の邊がその舊地で、玉林寺の處に當る。
越えて元禄十六年十一月二十九日、小石川水戸邸から發した大火によつて焼失したが、寶永二年、心譽知善上人(享保十二年七月二十一日寂)が、現在の地に間口七十五間、奥行百間の地を賜り、新に堂宇を建營して、その十二月に移轉した。御朱印古跡拝領地七千五百坪、門前町屋千四百十坪、御朱印寺領五百石であつた。即ちこの心譽知善上人が中興開基である。降て文久二年十二月五日、また火災に遭て烏有に歸し、爾来久しく假本堂のまゝであつたが、大正四年九月再建の工を起し、同九年五月落成を告げたのが、現在の伽藍である。
當寺は元来無本寺であるが、舊幕時代には元文五年から東叡山の支配下に置かれた。
焼失以前の伽藍は、本堂(間口六間奥行き九間三尺)鎮守社(間口二間奥行九尺)拝殿(間口二間三尺奥行き二間)(阿紺稲荷、辨財天、秋葉大神を祀る)觀音堂(三間四方)釋迦堂(三間四方)地蔵堂(二間半四方)鍾樓、寮三ヶ所(一ハ間口二間半奥行二間一は間口三間半奥行四間一ハ間口四間奥行二間三尺)仁王門(間口三間三尺奥行二間三尺)。
仁王門は文久の火災にも難を免れたのであるが、この二王尊は靈驗著しいといふので、参詣祈願をこむる者多く、常に香煙繁く立昇つてゐる。毎月八の日が縁日であつて、往来殊に賑ひを呈する。
觀音堂は今も現存してゐるが、この觀音は、俗に榎觀音と呼ばれ、江戸名所圖會にも「堂内觀音百體を安ず。本尊は聖觀音にして、其丈二尺ばかりあり、惠心僧都の作なり。當寺むかし谷中にありし頃火災にかゝりし時、自ら火中の遁れ出給ひし靈像なりしといへり。故に字して火除觀音とも、又は火災の時榎に飛うつり給ひしにより、榎觀世音とも稱するといへり。」と記してゐる。
昔は門内に並木の櫻があつて、花の頃は一段景致の美を添へたもので、江戸咄にも「門の内並木の櫻有りて、花の比まふまでくる人は繪莚もうせんをしき島の道に心をよせてまつさへきる盃のめくる日影も西へかたふくをおしめり。」とある。
當寺はもと葬儀には一切關係しなかつたが、明治以後に至て墓地を設けることゝなり、現在は中御門經之、松木宗有、牧野晩香、勘解由小路光宙室中山能子等の墓があり、また中庭には芭蕉の句碑(山路来て何やら床しすみれ草の句、嘉永元年三月建立)がある。
なほ境内には、伯爵伊達宗基篆額、伯爵勝安芳撰文に係る高野長英之碑、及び明治の初年に人力車を發明した和泉要助、鈴木徳次郎、高山幸助の三人を頌表する人力車發明記念碑が建立されてゐる。(「赤坂區史」より)
https://tesshow.jp/minato/temple_naoyama_zenko.html

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名称浄土宗南命山善光寺
読み方ぜんこうじ
通称青山・善光寺、信州 善光寺別院
参拝にかかる時間

20分

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号03-3401-3915
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://tesshow.jp/minato/temple_naoyama_zenko.html

詳細情報

ご本尊御本尊 一光三尊阿弥陀如来
随神門 仁王像 雷神像 風神像
山号南命山
宗旨・宗派浄土宗
創建時代1601年(慶長6年)
ご由緒

浄土宗善光寺(山號南命山信州善光寺兼帶所)青山北町六丁目三十一番地
當寺は慶長六年の創立に係り、信州善光寺大本願上人の宿院にして、浄土宗の尼寺である。
善光寺第百九世大蓮社光忍圓譽智慶上人が、家康公に請願せられたるに、江戸谷中に於て七千五百坪の地を寄附されたので、始めて伽藍を建設した。今谷中に善光寺坂と呼ばれてゐる坂の邊がその舊地で、玉林寺の處に當る。
越えて元禄十六年十一月二十九日、小石川水戸邸から發した大火によつて焼失したが、寶永二年、心譽知善上人(享保十二年七月二十一日寂)が、現在の地に間口七十五間、奥行百間の地を賜り、新に堂宇を建營して、その十二月に移轉した。御朱印古跡拝領地七千五百坪、門前町屋千四百十坪、御朱印寺領五百石であつた。即ちこの心譽知善上人が中興開基である。降て文久二年十二月五日、また火災に遭て烏有に歸し、爾来久しく假本堂のまゝであつたが、大正四年九月再建の工を起し、同九年五月落成を告げたのが、現在の伽藍である。
當寺は元来無本寺であるが、舊幕時代には元文五年から東叡山の支配下に置かれた。
焼失以前の伽藍は、本堂(間口六間奥行き九間三尺)鎮守社(間口二間奥行九尺)拝殿(間口二間三尺奥行き二間)(阿紺稲荷、辨財天、秋葉大神を祀る)觀音堂(三間四方)釋迦堂(三間四方)地蔵堂(二間半四方)鍾樓、寮三ヶ所(一ハ間口二間半奥行二間一は間口三間半奥行四間一ハ間口四間奥行二間三尺)仁王門(間口三間三尺奥行二間三尺)。
仁王門は文久の火災にも難を免れたのであるが、この二王尊は靈驗著しいといふので、参詣祈願をこむる者多く、常に香煙繁く立昇つてゐる。毎月八の日が縁日であつて、往来殊に賑ひを呈する。
觀音堂は今も現存してゐるが、この觀音は、俗に榎觀音と呼ばれ、江戸名所圖會にも「堂内觀音百體を安ず。本尊は聖觀音にして、其丈二尺ばかりあり、惠心僧都の作なり。當寺むかし谷中にありし頃火災にかゝりし時、自ら火中の遁れ出給ひし靈像なりしといへり。故に字して火除觀音とも、又は火災の時榎に飛うつり給ひしにより、榎觀世音とも稱するといへり。」と記してゐる。
昔は門内に並木の櫻があつて、花の頃は一段景致の美を添へたもので、江戸咄にも「門の内並木の櫻有りて、花の比まふまでくる人は繪莚もうせんをしき島の道に心をよせてまつさへきる盃のめくる日影も西へかたふくをおしめり。」とある。
當寺はもと葬儀には一切關係しなかつたが、明治以後に至て墓地を設けることゝなり、現在は中御門經之、松木宗有、牧野晩香、勘解由小路光宙室中山能子等の墓があり、また中庭には芭蕉の句碑(山路来て何やら床しすみれ草の句、嘉永元年三月建立)がある。
なほ境内には、伯爵伊達宗基篆額、伯爵勝安芳撰文に係る高野長英之碑、及び明治の初年に人力車を發明した和泉要助、鈴木徳次郎、高山幸助の三人を頌表する人力車發明記念碑が建立されてゐる。(「赤坂區史」より)
https://tesshow.jp/minato/temple_naoyama_zenko.html

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