やげんぼりふどういん(かわさきだいしとうきょうべついん)|真言宗 智山派(しんごんしゅう ちさんは)
薬研堀不動院(川崎大師東京別院)のお参りの記録一覧
薬研堀不動院(川崎大師 東京別院)(やげんぼりふどういん, 真言宗 智山派, 1591年)
大印僧都が開基, 本尊は葛籠不動明王, 目黒不動・目白不動と共に江戸三大不動として有名
江戸三大不動のひとつ《薬研堀不動院》にお参りしました。
ピリリとした、いい空気感です
書き入れていただけました
写経の会があるそうです
七味を買いたくなります
目黒、目白と並び江戸三大不動で知られる薬研堀不動院(やげんぼりふどういん)にお参りしました😊関東三十六不動霊場 第21番札所です✨お不動さまの御朱印いただきました🙏
名称 川崎大師東京別院 薬研堀不動院
本尊 不動明王
宗派 真言宗 智山派
聖徳太子碑✨
遍路大師尊像✨
子寳地蔵尊✨
関東三十六不動尊の差し替え御朱印🙏
ありがとうございました😊
日曜日の早朝だったからだろうか。
東日本橋と言えば激込みのイメージがあるのだが、私が訪れた時の東日本橋界隈は人もまばらであった。
御本尊・不動明王尊像は、崇徳天皇の代、保延3年(1137)に真言宗中興の祖と仰がれる興教大師・覚鑁(かくばん)上人が、43歳の厄年を無事にすまされた御礼として一刀三礼敬刻され、紀州・根来寺(ねごろじ)に安置されたものです。
その後、天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都(だいいんそうず)はそのご尊像を守護して葛籠(つづら)に納め、それを背負ってはるばる東国に下りました。そして、隅田川のほとりに有縁の霊地をさだめ、天正19年(1591)、そこに堂宇を建立しました。これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。
その後、明治25年(1892)より川崎大師の東京別院となり現在に至っています。また、順天堂の学祖と仰がれている佐藤泰然(たいぜん)が、天保9年(1838)に和蘭(オランダ)医学塾を開講した場所でもあります。
勉強不足で申しわけない。真言宗と言うと、あまりにも弘法大師空海がカリスマ過ぎて、他の人の名前が出て来ないのだ。
真言宗のページで調べてみた。
興教大師覚鑁は、嘉保2(1095)年、現在の佐賀県鹿島市にお生まれになりました。20歳の時に高野山に登られた興教大師は、鳥羽上皇の支援を受けて高野山を整備、弘法大師の教えを再興するとともに、学徒を養成し、「新義」といわれる教学を確立しました。これが真言宗中興の祖と呼ばれるゆえんです。その後、高野山の座主にまでなりますが、権力の争いを避けるため、その座を降り、根来山(和歌山県)に移られます。この地の整備をすすめていましたが、3年後に49歳で入滅されました。(成田山新勝寺のページより)
他に参拝の人はおられずに、弘法大師様と同行二人だー。やったー!
という状況で、ゆっくりと参拝出来た。
都会の狭い土地事情もあるのだろうが、こじんまりしている。
けれども、そこも又良い。
朝から感謝だった。
駅を出ると、道案内?旗が沢山観える。有難い。
東日本橋駅の出口を間違えないこと。これが重用なのだ。
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