つくどじんじゃ
築土神社東京都 九段下駅
午前9時~午後5時00分頃
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楽しみ方東京都千代田区九段に鎮座する神社で、創建時の祭神・平将門に因み、武勇長久の神社として親しまれ、千代田区北の丸公園にある日本武道館の氏神でもある。
天慶3年(940)6月、江戸の津久戸村に平将門の首を祀り、塚を築いたことから「津久戸明神」として創建されたという。
室町時代に太田道灌により田安郷(現:千代田区九段坂上)へ移転させられて以降は「田安明神」とも呼ばれ、日枝神社、神田明神とともに江戸三社の一つにも数えられることもあった。
元和2年(1616)に江戸城の拡張工事により筑土八幡神社隣接地へ移転し、「築土明神」と呼ばれた。
明治7年(1874)天津彦火邇々杵尊を主祭神として「築土神社」へ改称する。
300年以上の間、筑土八幡神社と並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼し、1954年、現在の九段中坂の途中にある世継稲荷境内地へ移転した。
平成6年(1994)、境内地にオフィスビルを建設するとともに、鉄筋コンクリート造の社殿を新築。毎年正月に授与される勝守(かちまもり)が有名である。
倉稲魂神を祭神として、嘉吉元年(1441)頃、飯田町に創建された稲荷神社である。当時はこの辺一帯を田安村といったことから、「田安稲荷」と称されていた。二代将軍秀忠が社に参内し「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、これ以降「世継稲荷」と称されるようになったと伝えられている。元禄10年(1697)の大火で被害を受け翌年に再建した頃より、地域町人の守護神になっていった。享保15年(1730)以降、田安家の鎮守神としても崇拝された。また、文久2年(1862)に14代将軍家茂の正妻・和宮が子宝を願って参詣した。現代も子宝や後継者を願う人々に信仰されている。
社伝によれば筑土神社は、天慶三年(940)平将門の霊を武蔵国豊島郡上平川に祀り津久土明神と称したことにはじまり、その後飯田町に近い田安に遷座して田安明神と称しました。元和二年(1616)には牛込門外の筑土山(現新宿区筑土八幡町二番地)に遷座して筑土明神となり、途中明治七年に筑土神社と改称しましたが、以来昭和初期まで牛込に鎮座し続けました。しかし昭和二十年空襲で社殿などを悉く焼失し、二十九年には九段中坂の世継稲荷神社境内、すなわち田安明神の旧地に近い現在地に遷座しました。
住所 | 東京都千代田区九段北1-14-21 |
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行き方 | 東京メトロ東西線、半蔵門線、都営地下鉄新宿線九段下駅 <1番出口>より徒歩2分
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名称 | 築土神社 |
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読み方 | つくどじんじゃ |
参拝時間 | 午前9時~午後5時00分頃 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
電話番号 | 03-3261-3365 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.tsukudo.jp/ |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 《主》天津彦火瓊瓊杵尊,《配》平将門,菅原道真 |
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創建時代 | 天慶三年(940) |
ご由緒 | 社伝によれば筑土神社は、天慶三年(940)平将門の霊を武蔵国豊島郡上平川に祀り津久土明神と称したことにはじまり、その後飯田町に近い田安に遷座して田安明神と称しました。元和二年(1616)には牛込門外の筑土山(現新宿区筑土八幡町二番地)に遷座して筑土明神となり、途中明治七年に筑土神社と改称しましたが、以来昭和初期まで牛込に鎮座し続けました。しかし昭和二十年空襲で社殿などを悉く焼失し、二十九年には九段中坂の世継稲荷神社境内、すなわち田安明神の旧地に近い現在地に遷座しました。 |
体験 | 御朱印武将・サムライ |
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