しょうせんじ|浄土宗|三宮神山
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勝専寺は、東京都足立区にある浄土宗の寺院で、「三宮神山大鷲院勝専寺」と号します。朱塗りの山門が特徴的で、「赤門寺」の愛称で親しまれています。寺院の創建は文応元年(1260年)で、本尊は阿弥陀如来です。
● 勝専寺の由緒と千住の地名起源
勝専寺の創建者である新井政勝の父・新井政次が荒川(現・隅田川)で漁をした際、千手観音像が網にかかったという伝承があります。この千手観音像は寺宝となり、「千住」の地名の由来になったとされています。浄土宗の開祖法然の直弟子である専阿上人が開山となり、政次が建立を支援しました。
● 江戸時代の歴史と徳川将軍家との関わり
江戸時代には、勝専寺は徳川家の重要な拠点として利用されました。特に2代将軍徳川秀忠が鷹狩の際に休憩所とし、3代将軍徳川家光も茶屋に立ち寄った記録があります。慶安2年(1649年)、4代将軍徳川家綱が日光社参した際には仮御殿が建設され、千住宿の本陣に支障がある際には代わりの宿泊施設としても活用されました。
● 鐘楼と金玉均の関係
境内には、明治時代に再建された鐘楼があります。この鐘楼の再建には、南足立・南葛飾・北豊島の三郡から資金が募られた記録があり、その記念碑には「鐘楼建築記念碑」という題字が掲げられています。この題字は、明治期に日本に亡命していた朝鮮の政治家、金玉均の筆によるものです。ただし、金玉均と勝専寺との具体的な関係については明らかではありません。
● 閻魔堂と縁日
勝専寺の境内には閻魔堂があり、寛政元年(1789年)に開眼された朱塗りの木造閻魔王坐像が安置されています。この像は足立区登録有形文化財に指定されており、毎年1月と7月の15日・16日には開帳されます。これに合わせて行われる縁日は多くの参拝者で賑わいます。
● 千住の歴史を伝える文化財
勝専寺には、千住の地名の由来とされる木造千手観音立像(足立区登録有形文化財)が安置されています。この像は非公開ですが、荒川から引き上げられたという伝承を持ち、地域の歴史において重要な位置を占めています。また、明治天皇の御巡幸を記念して掲げられた「三宮神山」の扁額は、巻菱潭の揮毫、天野徳翁の彫刻によるもので、境内を訪れる人々の目を引きます。
● 近代建築の本堂と防災設計
勝専寺の本堂は、洪水や天災に備えてコンクリートと赤レンガを使用した造りで、インドの寺院を模して設計されました。
歴史
寺伝では文応元年(1260)勝専社専阿上人を開山、新井政勝を開基とし草創されたといいます。
江戸時代に日光道中が整備されると、ここに徳川家の御殿が造営され、徳川家忠・家光・家綱の利用がありました。
また日光門主等の本陣御用を勤めた記録も見られ、千住宿の拠点の一つであったことが知られます。
加えて同寺は、千住の歴史や文化に深くかかわる多くの登録文化財を今に伝えています。木造千手観音立像は千住の地名起源の一つとされ開基新井政勝の父正次が荒川から引き上げたという伝承を持ちます。
名称 | 勝専寺 |
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読み方 | しょうせんじ |
通称 | 赤門寺 |
参拝にかかる時間 | 数分 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀三尊像 |
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山号 | 三宮神山 |
院号 | 大鷲院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 文応元年(1260) |
開山・開基 | 開山 勝蓮社専阿/開基 新井政勝 |
文化財 | •木造千手観音立像(足立区登録文化財)
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ご由緒 | 寺伝では文応元年(1260)勝専社専阿上人を開山、新井政勝を開基とし草創されたといいます。
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体験 | 御朱印 |
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