よしわらじんじゃ
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楽しみ方吉原神社のお参りの記録一覧(10ページ目)

平成28年4月9日(土)
浅草から押上さらには錦糸町まで散策
浅草寺→浅草神社→待乳山聖天→今戸神社→飛不動→吉原神社→鷲(おおとり)神社→牛嶋神社→押上天祖神社
東京都台東区の吉原神社


東京都台東区千束に鎮座する吉原神社。最寄り駅は東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅で、そこから徒歩およそ12分。下町の商店や住宅が並ぶ街並みを歩いていくと、やがてねずみ色の鳥居が目に入り、そこから静かな境内へと足を踏み入れることができます。明るく整えられた境内は、訪れる人に清新な印象を与え、気軽に参拝できる雰囲気を漂わせています。
御祭神は、九郎助稲荷、吉徳稲荷、榎本稲荷、明石稲荷、開運稲荷、そして吉原弁財天。五柱の稲荷神を合祀したのが明治14年(1881年)であり、それが吉原神社の創建とされています。稲荷神は商売繁盛や五穀豊穣をもたらす神として古来より信仰されてきましたし、弁財天は芸能や財福を授ける女神として広く親しまれています。こうした御祭神の顔ぶれからは、吉原という土地で働く人々や訪れる人々が、仕事の成功や繁栄を願い、また芸の道を磨くことを祈り続けてきたことが伝わってきます。
吉原神社の歩みは、かつて江戸を代表する歓楽街・吉原遊郭と深く結びついています。吉原は江戸時代初期に幕府公認の遊里として開かれ、以来、数百年にわたり多くの人でにぎわい続けました。遊郭は単なる遊興の場ではなく、当時の文人や芸術家たちが集う文化発信の場でもあり、歌舞伎や浮世絵といった江戸文化の隆盛に大きな影響を与えたともいわれています。吉原神社は、そのような土地で生きる人々の精神的な支えとして存在してきました。
しかし時代が下るにつれ遊郭の姿は変わり、最終的には昭和32年(1957年)に完全に幕を閉じます。吉原という地名表示も消え、かつての繁華街の面影は大きく姿を変えましたが、吉原神社はその名を冠し続けています。かつての栄華を伝える記憶の継承者として、今もこの町を見守り続けているのです。社号に「吉原」と残されていること自体が、歴史を今に伝える貴重な証といえるでしょう。
現在の吉原神社は、全体的に清潔で真新しい印象を受けます。鳥居をくぐると、社殿はこぢんまりとしながらも明るく整えられており、地域の方々が丁寧に守ってきたことが感じられます。参拝者の中には、商売繁盛や開運を願う人々だけでなく、吉原弁財天に芸能上達や良縁を祈願する人も少なくありません。芸事や芸能に携わる方々にとって、ここは静かながらも心強い拠り所となっています。
吉原という名を聞けば、華やかでありながらもどこか儚さを感じさせる歴史を思い起こさせます。その舞台裏で働いた人々や、文化を育てた人々の思いが、今もこの神社に息づいているように思われます。参拝すれば、ただ祈りを捧げるだけでなく、江戸から昭和、そして現代へと続く町の記憶に触れることができるでしょう。観光として訪れる方にとっても、下町散策の一環として立ち寄りやすく、歴史の重みを感じつつ新しい町の姿を味わえる場所となっています。
吉原神社は、単なる参拝の場を超え、この地域の歴史と文化を凝縮した小さな聖地です。過去の華やぎと、今の穏やかさ。その両方を体感できる特別な場として、訪れる価値のある神社といえるでしょう。


昭和10年(1935年)に合祀された吉原弁財天。芸術の発信拠点らしくポップなアート。

浅草名所七福神巡りで参拝。浅草名所七福神において、ここ以外に、弁財天を祀ることのできる神社仏閣は、存在しません。

吉原を語るうえで忘れてはならない、見返り柳。

全景。

本殿。

弁財天、どこに鎮座されているか、見えますかぁ?

浅草名所七福神巡りの成果。
東京都のおすすめ3選❄️
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