おうじじんじゃ
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王子神社ではいただけません
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王子神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月23日(日)
参拝:2020年4月吉日
王子神社は、北区王子本町にある神社。旧社格は郷社。准勅祭社。東京十社の1社。旧称は「王子権現」。北区王子の地名は当社に由来する。
創建は鎌倉時代末期の1322年、当地領主・豊島氏が熊野方向を望む石神井川沿いの高台に、紀州熊野三社権現から王子大神を勧請し、「若一王子宮」として祀ったのが始まり。豊島氏に続いて領主となった小田原北条氏も寄進をした。
江戸時代には、徳川家康が社領200石を寄進、徳川家光は社殿を新造し、林羅山に命じ「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせ奉納、五代綱吉、十代家治、十一代家斉も社殿の造営・修繕し保護した。
明治時代に近代社格制度で郷社に列するとともに、準勅祭社に指定された。1945年に米軍の東京大空襲により社殿を焼失、1964年、1982年に社殿を再建。戦後、東京十社の1社となった。
当社は、JR京浜東北線・王子駅の北西方向200mの位置にある。音無親水公園と接していて、飛鳥山公園とつながる、都内でも緑豊かな場所にある。境内は大通りから少し入ったロケーションで緑が多く、敷地は旧郷社格相当でそれなりに大きい。
コロナ禍による緊急事態宣言下であったため、人出が少なそうな都内の神社の一つとして当社にバイクで参拝。参拝時は週末の午後、参拝者や地元風の人がぱらぱらと来ていた。
創建は鎌倉時代末期の1322年、当地領主・豊島氏が熊野方向を望む石神井川沿いの高台に、紀州熊野三社権現から王子大神を勧請し、「若一王子宮」として祀ったのが始まり。豊島氏に続いて領主となった小田原北条氏も寄進をした。
江戸時代には、徳川家康が社領200石を寄進、徳川家光は社殿を新造し、林羅山に命じ「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせ奉納、五代綱吉、十代家治、十一代家斉も社殿の造営・修繕し保護した。
明治時代に近代社格制度で郷社に列するとともに、準勅祭社に指定された。1945年に米軍の東京大空襲により社殿を焼失、1964年、1982年に社殿を再建。戦後、東京十社の1社となった。
当社は、JR京浜東北線・王子駅の北西方向200mの位置にある。音無親水公園と接していて、飛鳥山公園とつながる、都内でも緑豊かな場所にある。境内は大通りから少し入ったロケーションで緑が多く、敷地は旧郷社格相当でそれなりに大きい。
コロナ禍による緊急事態宣言下であったため、人出が少なそうな都内の神社の一つとして当社にバイクで参拝。参拝時は週末の午後、参拝者や地元風の人がぱらぱらと来ていた。
大通りから見た<鳥居>と<社号標>。燈籠と社号標が境内から離れているのが変わっている。
境内入口の<鳥居>。敷地サイズと比べるとかなり大きい。
鳥居をくぐる。樹木が大事にされていて、緑が豊かな境内。
参道右手にある<手水舎>。
参道左手にある<神輿庫>。現代建築のガラス張りで、神輿をいつでも目で楽しめる。
参道を進む。コロナの緊急事態宣言下でも、<三密>にはならない神社参拝は人気。
社殿全景。緑の杜に、銅板葺の緑の屋根がマッチしている。
拝殿正面。柱や梁、彫刻などの配色がきれい。
拝殿向かって左手にある境内社<関神社>。主祭神は小倉百人一首にも出てくる<蝉丸公>、その姉の<逆髪姫>、侍女の<古屋美女>。
蝉丸は、髪で悩む姉・逆髪姫のために、侍女の古屋美女に命じて<かつら>を考案したことから、「髪の神様」、「音曲諸芸道の神」として崇敬を集めてきた。1945年に焼失し、1959年に全国各地の「かもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師」の浄財により再建した。
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惣一郎1269投稿
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