王子神社 (おうじじんじゃ)東京都 王子駅

東京都 北区王子本町1-1-12
最寄り:王子駅

  • 行きたい
  • 投稿する

投稿:2017年08月12日

2017.05/04
王子神社お参りして、御朱印頂きました。
待ってる間に中でもふもふのにゃんこが窓口を行ったり来たり。
サービスタイム?萌えるわ〜

毛塚がありました。
毛の薄い友人と、美容師やってる友人に写メ送りました(笑)

アロエ

鎌倉を中心に神社仏閣巡りして御朱印集めしてます。
縁起物大好き!

投稿数:17件

コメント一覧

コメントしませんか?

するとコメントできます。

王子神社の投稿一覧

王子神社 の基本情報

名前 王子神社
通称 王子権現
読み方 おうじじんじゃ
本尊・御祭神 《主》伊邪那美命,伊邪那岐命,天照大御神,速玉之男命,事解之男命
歴史 創建は古くに紀州の熊野権現を勧請し、元亨年中、当地領主豊島氏が「若一王子宮」を改めて奉斎した。「王子」の地名はここに由来し、付近では熊野川に倣い石神井川を特に「音無川」と呼んでいる。豊島氏以後は小田原北条氏も当社を崇敬し、朱印状を寄せ社領を寄進している。近世徳川氏の代、初代家康公は天正19年、200石の朱印地を寄進し、将軍家祈願所と定めた。この後代々将軍の崇拝を受け、「王子権現」の名で江戸名所の一つとなる。三代家光公は寛永11年、社殿を造営し、また林羅山に命じて当社縁起「若一王子縁起絵巻」を作らせている。八代吉宗公は紀州出身で、紀州熊野権現の勧請である当社を崇敬し、元文2年に飛鳥山を寄進。桜を多く植えて、庶民遊楽地とした。これが今日の「花の飛鳥山」となった。曾て社殿は森深く昼なお暗い幽寂地であり、「太田道灌雨宿の椎」をはじめ、勝海舟の練胆話も伝えられている。現在の社殿は戦後復興したもので、昭和57年に、壮大な権現造として竣工した。8月斎行の例大祭は「槍祭」とも称する。祭礼日、神前の小槍を持ち帰り家に掛け置くと「運を開き、災を除く」といわれる。また伝承では、家光将軍就任を祈願し、乳母春日局も当社に槍を奉納したと伝えられる。祭礼は3日間続き、故事に基づき、「御槍」の授与があり「大祭式」「御輿渡御」「田楽舞」と諸儀式が行われる。例大祭に奉納される「王子神社田楽舞」は貴重な儀式を含み、各地の田楽の中で、最も古雅なる一つといわれる。昭和58年に40年ぶりに復興し、昭和62年に「北区無形文化財」に指定された。「王子田楽衆」の手になるもので8人の稚児舞である。儀式は「田楽行列」に始まり「露払」「七度半」と続き、「田楽十二番」奉納となる。一・中門口(ちゅうもんぐち)、二・道行腰筰(みちゆきこしささら)、三・行違腰筰(ゆきちがいこしささら)、四・背摺腰筰(せすりこしささら)、五・仲居腰筰(なかいこしささら)、六・三拍子腰筰(みつびょうしこしささら)、七・黙礼腰筰(もくれいこしささら)、八・捻三度(ひねりさんど)、九・中立腰筰(なかたちこしささら)、十・搗筰腰筰(つきささらこしささら)、十一・筰流(ささらながし)、十二・子魔帰(こまがえし)。また曾ては、縁起物の田楽花笠争奪が凄まじく、天下御免の「喧嘩祭」として、異名を取っていた。1二月6日に、当社に市が立ち「熊手市」と呼ばれる。東京最後の「酉の市」であり、多くの熊手露店が立つほか当社からも「熊手守」が授与されて、終日大いに賑わう。
住所 東京都北区王子本町1-1-12
投稿

イチ推しの神社・お寺

ラッキーなホトカミさん

投稿