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ひかわじんじゃ

簸川神社
東京都 茗荷谷駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

歴史

当社御創立は、第五代孝昭天皇御宇3年と伝えられる古社で、八幡太郎義家公奥州下向の折、参籠ありし名社である。
 当初社は植物園の地、御殿坂辺なる貝塚の古墳上に鎮座しあり、応永29(1422)年9月、神主毛利二世伊豫の時、社頭頽廃せるにより造修したること棟札に明瞭にして、記するに小石川総社氷川明神とあれば、この頃既に大社なりしを知るべしと伝えられる。
 植物園に四代将軍家綱公の弟徳松丸君の邸宅を営むに当たり、当社々地を用地に供す。依って当社は元の原町、現在の白山四丁目二十番の辺に移転す。当時応永元(1652)年八月のことなり。徳松丸君は後の五代将軍綱吉公なるが、新営の邸宅は人呼んで白山御殿といい、付近の町名は住居表示実施まで白山御殿町であった。
 景勝地といわれた現在の高台に移転したのは、元禄12年(1699)であり、すでに三百有余年を経るに至った。
 神社は創立以来幾星霜、氏子が代々相承け相伝え常に神徳を仰ぎ奉りつつ祭祀を絶やさず今日に及んだが、中世荒廃した社地社殿を伝通院開山了誉上人が再興されるや一躍有名な社となり江戸名所の一つに数えられたことは神社史に特筆されるべきことである。
 明治23年11月30日、大正天皇未だ皇太子にあらせられし際、小石川植物園に御成の砌、お立ち寄り給い御拝あらせられる。
 社殿は寛政、享和、嘉永と三次に亘る造修を経て関東大震災後に修復工事を施し、昭和初期の改築工事で荘厳な社殿となったが、昭和20年5月25日戦火を蒙り灰燼に帰した。戦後未曾有の荒廃の中にあっても、昭和33年社殿の再建工事を完遂し、平成16年に手水舎の再建を、平成22年に神楽殿の建替を遂行し水谷殿と命名する等、氏子および崇敬者の不断の奉仕が続けられている。

附記
早くから開けた小石川台地のこの辺りには自然の湧水が多く、今日でも聖泉と尊ばれた極楽水についての言い伝えが残っている。「江戸砂子」には、神社は極楽水の龍女を祀れる所とあるが、これは簸川神社の御祭神が水神として祀られていた為、極楽水の霊を龍神にみたてて御祭神と同一視したものであろう。
社号に氷川神社を長年使用してきたが、大正時代神主毛利十世昌教、社号に疑問を持ち学者に研究を依頼し自らも研究の結果簸川の字が適号との結論を得、氏子中に図り社号を簸川に改めた。

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簸川神社の基本情報

住所東京都文京区千石2-10-10
行き方

茗荷谷駅下車 徒歩6分

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名称簸川神社
読み方ひかわじんじゃ
通称ひかわさま
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号03-3941-6687
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詳細情報

ご祭神《主》素盞嗚命
創建時代孝昭天皇3年(473)
ご由緒

当社御創立は、第五代孝昭天皇御宇3年と伝えられる古社で、八幡太郎義家公奥州下向の折、参籠ありし名社である。
 当初社は植物園の地、御殿坂辺なる貝塚の古墳上に鎮座しあり、応永29(1422)年9月、神主毛利二世伊豫の時、社頭頽廃せるにより造修したること棟札に明瞭にして、記するに小石川総社氷川明神とあれば、この頃既に大社なりしを知るべしと伝えられる。
 植物園に四代将軍家綱公の弟徳松丸君の邸宅を営むに当たり、当社々地を用地に供す。依って当社は元の原町、現在の白山四丁目二十番の辺に移転す。当時応永元(1652)年八月のことなり。徳松丸君は後の五代将軍綱吉公なるが、新営の邸宅は人呼んで白山御殿といい、付近の町名は住居表示実施まで白山御殿町であった。
 景勝地といわれた現在の高台に移転したのは、元禄12年(1699)であり、すでに三百有余年を経るに至った。
 神社は創立以来幾星霜、氏子が代々相承け相伝え常に神徳を仰ぎ奉りつつ祭祀を絶やさず今日に及んだが、中世荒廃した社地社殿を伝通院開山了誉上人が再興されるや一躍有名な社となり江戸名所の一つに数えられたことは神社史に特筆されるべきことである。
 明治23年11月30日、大正天皇未だ皇太子にあらせられし際、小石川植物園に御成の砌、お立ち寄り給い御拝あらせられる。
 社殿は寛政、享和、嘉永と三次に亘る造修を経て関東大震災後に修復工事を施し、昭和初期の改築工事で荘厳な社殿となったが、昭和20年5月25日戦火を蒙り灰燼に帰した。戦後未曾有の荒廃の中にあっても、昭和33年社殿の再建工事を完遂し、平成16年に手水舎の再建を、平成22年に神楽殿の建替を遂行し水谷殿と命名する等、氏子および崇敬者の不断の奉仕が続けられている。

附記
早くから開けた小石川台地のこの辺りには自然の湧水が多く、今日でも聖泉と尊ばれた極楽水についての言い伝えが残っている。「江戸砂子」には、神社は極楽水の龍女を祀れる所とあるが、これは簸川神社の御祭神が水神として祀られていた為、極楽水の霊を龍神にみたてて御祭神と同一視したものであろう。
社号に氷川神社を長年使用してきたが、大正時代神主毛利十世昌教、社号に疑問を持ち学者に研究を依頼し自らも研究の結果簸川の字が適号との結論を得、氏子中に図り社号を簸川に改めた。

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