みちびきのやしろ くまのちょうくまのじんじゃ
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導きの社 熊野町熊野神社(くまくま神社)の境内・文化財
本殿 | 神明造 | |
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文化財 | 熊野町熊野神社文書(板橋区登録有形文化財) |
境内詳細情報
⛩境内⛩
本殿
丹(に)の色が目立つ神明造の建物です⛩
祭典や御祈祷はこちらで執り行います😁
【御祭神】
伊佐奈美命(いざなみのみこと)
神話で様々な神様や国を生み出した強力な生命の祖神様です👩
多くの神様を生んだ為、安産などの命や家に関する御神徳があり、また夫婦神の一柱なので縁結び(恋愛に限らず様々な縁を結ぶ)などの御神徳もあります❤
【御神徳】
安産
子孫繁栄
家内安全
身体健全
縁切り
縁結びなど
【御祭神】
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
伊佐奈美命の夫である伊佐奈岐命(いざなぎのみこと)が黄泉国で別れの誓いをたてて吐いた唾から生まれた神様です⛩
【御神徳】
約束を叶える(誓約成就)
縁切り
【御祭神】
事解之男命(ことさかのおのみこと)
伊佐奈岐命が黄泉国で伊佐奈美命に向かって別れの誓いをたてて掃き祓った時に生まれた神様です⛩
【御神徳】
物事を解決する(事態収束)
縁切り
【御神使】
八咫烏(やたがらす)
万事導く熊野の神の使い⛩
詳細は下記参照↓
【御神徳】
あらゆる物事を導く(万事導く)
境内は梅(中咲き、遅咲き)や桜(オオシマザクラ、ソメイヨシノ)を始め、ツツジや椿など様々な花が咲きます🌸
境内にはくま達が気ままに過ごしています🐻
また境内には八咫烏達ものびのび過ごしています😊
✨幻想の庭✨
伏見稲荷神社(正一位伏見稲荷大明神)
創建年代は不詳ですが古い時代から鎮座しています🦊
明治40年12月に桃山に鎮座していた(北豊島郡板橋町396番地、現在の板橋区南町21番地 南町庚申尊裏辺り)稲荷神社を合祀し現在に至ります。毎年2月初午の日には初午祭を斎行し、五穀豊穣や商売繁盛など様々な祈願を執り行います☺
農家や会社、芸能人から多くの信仰を集めております🤗
【御祭神】
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 二座
稲の精霊を神格化した食べ物の神様です🦊
食べ物は生きる為に欠かせないものなので五穀豊穣など農耕関係から厚く信仰されています😄
また昔、商人が稲荷神を信仰して繁盛した為、会社や芸事に御神徳があるとされています⛩
【御神徳】
五穀豊穣
商売繁盛
社運隆昌
諸芸上達など
厳島神社(酒精銭洗弁天)
創建年代は不詳ですが古い時代から鎮座しています🛶
かつて表鳥居を潜った右手に鎮座しており、弁天池でお金を清めることが行われていたとされています💰
現在は酒精(しゅせい、アルコール)と弁天池と同じ水脈である境内の御神水を混ぜた弁天水で儀式的と物理的の両面でお金を清める形となっております☺
隣には小さな弁天池があります🐟
【御祭神】
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
天照大御神が誓約として須佐之男命の剣を噛んで吹き出した霧から生まれた神様です⛩
宗像三女神の一柱で航海(交通)に関する御神徳があり、弁才天と同一視されたことで金運や芸事などに御神徳があるとされています👩
【御神徳】
金運上昇
諸芸上達
交通安全
安産
縁結びなど
出世不動尊
創建年代は不詳ですが古い時代からあると言われています👩🦲
明治元年の神仏分離により神道と仏教が分けられ、多くの神社から仏教的要素が排除される中、当社は現在まで神仏習合を色濃く残す神社です⛩
御本尊である不動明王像の背面に出世不動尊と書かれていることから特に出世や仕事関係、勝負事にご利益があるとされています☺
【御本尊】
不動明王(ふどうみょうおう)
迷いの世界から煩悩を断ち切るように導いてくれる慈悲深い仏様です👩🦲
昔から敵国退散や疫病退散などで信仰されてきました🔥
また、上記のことや明の字がサンスクリット語で学問や知識の意味があり、そこから立身出世や仕事運向上の御利益があるとされています😊
【御利益】
立身出世
仕事運向上
厄除
戦勝
病気平癒など
白衣観音
造立年代は不詳で、ある時燃え盛る炎の中からこの観音像を発見し三日三晩磨いて安置したと伝わります👩🦲
白衣観音は古くからインドで崇拝されていたとされ、仏教に取り入れられてからは阿弥陀如来の妻となり、観音菩薩の母と仰がれるようになりました☺
女性的・母的な要素から主に子供に関するご利益があるとされています🧒
【御本尊】
白衣観音(びゃくえかんのん)
阿弥陀如来の妻であり観音菩薩の母と言われている仏様です👩🦲
33に姿を変えて人々を救う三十三観音の一種類に数えられています😄
慈愛の心を持つ母なる観音様なのでお子様関係に特に御利益があるとされています😊
【御利益】
子授け
安産
子育て
無病息災など
⛩文化財⛩
熊野町熊野神社文書
平成30年8月23日に板橋区登録有形文化財(古文書)に指定
当史料は、現在熊野町の熊野神社で所蔵されている。その成立や内容から、中島家で伝来してきた史料と熊野神社の宮司(ぐうじ)就任後の史料に区分でき、中島家伝来の史料はさらに(1)山梨県在住時代の史料と(2)内務省勤務時代の史料に区分できる。その成立年代は、徳川家康が埼玉県久喜市の鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)へ所領安堵(しょりょうあんど)のために下した天正19年(1591)11月付の判物写(はんもつうつし)から平成4年6月付の中島敬治氏へあてた教養研修会の修了証までと長期にわたるが、その中で江戸時代は105点で、残りは明治時代以降の近現代のものである。
中島家と熊野神社との関係は、現在、熊野神社宮司である敬史氏の祖父で、内務省に勤務し明治神宮の造営にあたっていた清治郎氏が、昭和7年社掌(しゃしょう)に任命されてからである。当史料については、清治郎の内務省時代の史料が神社史研究者などに早くから注目されてきた。また、戦前から戦後にかけての熊野地域の史料も多く見られることから、当該地域の歴史を明らかにしていくうえで重要な史料群である。
※板橋区公式ホームページより引用
導きの社 熊野町熊野神社(くまくま神社)の境内・文化財の写真一覧
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