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おのじんじゃ

小野神社

東京都 聖蹟桜ケ丘駅

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042-338-1151

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

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Crazy erock t…
2022年11月26日(土)
145投稿

お疲れさまです🍻
病院が終わり買い物前に
武蔵國一之宮 小野神社⛩へ🙏 

小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)小野神社(東京都)

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小野神社(東京都)

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小野神社(東京都)

稲荷神社

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惣一郎
2021年02月07日(日)
1055投稿

東京都多摩市にある神社。延喜式神名帳記載の「武蔵国・多磨郡・小野神社」の論社の一社。武蔵国一之宮。旧社格は郷社。式内論社は他に東京都府中市の<小野神社>があるが、いずれも多摩川流域にあり、氾濫の都度遷座を繰り返した結果、ともに決め手に欠いている。

創建は不詳。奈良時代に作成された太政官符に「多磨郡□野社(小野社と推定される)」の記載が史料の初出。平安時代になると『日本三大実録』に884年に神階が昇格した記述がある。続いて927年に『延喜式神名帳』に小社として記載されている。
645年の大化の改新のころ、府中市の大國魂神社の境内に武蔵国府が置かれたが、国司が国内諸神を配祀し社号を「武蔵国総社」とし、その後六所(6社の神)を奉祀し社号を「武蔵総社六所宮」とした。当社は、この六所の最高位<一宮>とされ、現在でも大國魂神社の例祭には当社が<一宮>として加わっている。なお<二宮>は二宮神社(東京都あきる野市)、<三宮>は氷川神社(さいたま市大宮区)、<四宮>は秩父神社(埼玉県秩父市)、<五宮>は金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)、六宮は杉山神社(横浜市緑区)。合わせて「武州六大明神」と呼ばれる。
室町・戦国時代には後北条氏や太田道灌などの崇敬を受け繁栄した。江戸期になると幕府から朱印地を寄進された。明治期には神奈川県から村社とされ、その後郷社とされた。

当社は、京王線・聖蹟桜ヶ丘駅から歩いて数分の住宅街の中にある。地名は<多摩市一宮>で当社由来。多摩川の南側に位置する。

参拝時は週末の午後で、真冬の2月ではあったが、参拝者は他に数人いた。

小野神社の鳥居

鳥居と社標。社殿は西に向いており、こちらは西の境内入口。

小野神社の山門

隋神門と狛犬。

小野神社の芸術

隋神門の彫刻が非常に緻密で美しい。お気に入りに認定。

小野神社の建物その他

隋神門をくぐったところ。だだっ広くて何もないが、よく掃き清められていて気持ちが良い。季節が違うと立木に青葉が茂るので印象が違うかも。

写真外の左手に社務所があり、神職の方が常駐。御朱印はそちら。

小野神社の手水

参道のちょうど真ん中にある<手水舎>。この右横に、東京都指定文化財となっている<木造随身倚像>を納めた小屋がある。

小野神社の本殿

社殿と狛犬。社殿は最近塗装したのか、朱色が非常にビビッド。屋根の緑色が映える。自分個人的には、古くて味のある朱色の方が良いと思っていたが、若い人にはビビッドな朱色の方が清潔なイメージで良いのかも。

小野神社の本殿

扁額。

小野神社の山門

御朱印拝受後、ふたたび隋神門で彫刻を見入る。

小野神社の芸術

左上方。

小野神社の芸術

右上方。

小野神社の鳥居

南側にも小さめの鳥居と社標がある。面白いことにこちらにも隋神門がある。
サブの入口に隋神門があるのは珍しい。

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ちゅりぶり
2020年11月14日(土)
184投稿

本日はお日柄もよろしく、なんて思いながら関東で唯一残った一宮、小野神社に行ってきました。
とても晴れたいい天気で、青空と紅葉🍁のコントラストが見事でした。
神社は街中にありましたが、駐車場もあり、静寂で鎮守の杜って感じでした。
事前に電話連絡しておいたので、御朱印はこのコロナ禍のご時世にもかかわらず、肉筆手書きでいただけました。感謝感謝!
偶然宮司さんと話ができて、ちょっと良かったです。宮司さん曰く、土日は大抵神社にいるので、御朱印はいただけるとのこと。
氷川神社⛩との関係は、笑って、両社とも武蔵国一宮ですが、うちは延喜式式内社で平安神宮時代から一宮だったそうです。氷川神社については明言しませんでした。
大国魂神社は武蔵国総社で関係は深いそうです。

近くの神社と九社めぐりというイベントをやっており、満願で非売品のお守りをいただけるとのこと。

是非挑戦しましょう!

小野神社の自然

紅葉真っ盛り

小野神社の景色

境内の木々が色づいてます

小野神社の本殿

本社拝殿

小野神社の自然

綺麗な紅葉。宮司さん曰く、今年は欅が例年はもっと茶色だけど、今年は赤くて銀杏や青空に映えるとのこと

小野神社の鳥居

鳥居

小野神社の山門

随神門には透かし彫りの装飾

小野神社の鳥居

神社入口

小野神社の山門

隨神門越しの拝殿

小野神社の自然

銀杏

小野神社の本殿

本殿

小野神社の自然

枯葉が空中を舞う

小野神社の本殿小野神社の本殿

色々な話を聞かせてくれた宮司さん

小野神社の建物その他

随神門の透かし彫り

小野神社の景色

秒速5㎝の枯葉

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歴史

当社は安寧天皇一八年二月初末の日御鎮座と伝えられ武蔵国開拓の祖神である天下春命(あめのしたはるのみこと)を主神として御奉祀申し上げて居る由緒ある神社である。御社名は上代此地の呼び名であった小野の郷に由来するものであるが其の霊験の灼かなる神社としてやがて朝廷の上聞にも達せられ数々の奉幣にも預かり元慶八年七月には正五位上の神階を授けられた。又、廷喜式が撰せられた折には武蔵国八座の一社として登載された。且つ国府の近在なることに由いて国司や住民の崇敬も殊の他篤く総社六所宮創建の砌には東殿第一次の席を与えられて一之宮と称された。然して当社の社伝には永承六年源頼義陸奥守に任せられて下向の途次其子義家と共に参籠され太刀一振りと詠歌一首奉納の事績が繙かれ吾妻鏡にも養和元年四月一宮は吉富井蓮光寺と併記され更に建久四年八月の刻印ある経筒の銘に一宮別当松連寺が記録されている。稍時代も下り安居院の神道集並に深大寺の僧長弁の私案抄を尋ねると当社は中世以来文珠菩薩を本地となした信仰も行われていた。斯くなる所此の近在は鎌倉末より戦国時代にかけて度々の戦乱や多摩川の氾濫があり当社にも多大の被災が及び衰微したが徳川第二代将軍により造営再興された。其の棟札に曰く

一宮正一位小野神社造営再興
慶長十四年十二月廿六日
当将軍源朝臣秀忠

神主 新田大炊介守忠
太田太郎左衛門久忠

 以下、慶安元年御朱印壱拾五石を給わる。文政となり新四国八十八ヶ所の四十八番札所となり巡拝者も多く有りて維新に至る。明治元年神仏分離令により文珠菩薩を眞明寺に御移する。
 同六年十二月郷社に列せられ同二十一年内務省より古社保存として一金百円也下附さる。同四十三年旧一之宮村有地弐拾町七反余当社資金に充つる為奉納さる。大正一五年三月三十日近隣の失火により御神体及び一部の神宝と鳥居を除き神殿等悉く類焼す。
 昭和二年御本殿、拝殿の再建成り社務所を附す。同三五年大国魂神社五月五日の大祭に就き当社神輿の渡御は古式の変更また道路事情等にて而今中止となる。同三九年旧氏子により社務所を新築奉納され随身像御修復の計画に始まって随身門の再建成り且つ御本殿、拝殿を後方期の風致林に御遷座して境内を拡大。同四九年春末社の再建成り更に秋の例大祭を期して随身を同門内に御安置申し上げ依って記念の大祭を執行。茲に是を記念して此の碑文を誌す。
 昭和四九年九月吉日

武蔵一之宮小野神社宮司
滝瀬孝

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15

小野神社の基本情報

住所東京都多摩市一ノ宮1-18-8
行き方

京王線「聖蹟桜ヶ丘」から徒歩10分

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名称小野神社
読み方おのじんじゃ
通称一宮様
参拝にかかる時間

10分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号042-338-1151
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスyuki.takise@gmail.com
ホームページhttp://onojinja.or.jp/
お守りあり

詳細情報

ご祭神《主祭神》
天下春命
《配祀神》
瀬織津比咩ノ大神
伊弉冉尊
素戔嗚尊
大己貴大神
瓊瓊杵尊
彦火火出見尊
倉稲魂命
創建時代安寧天皇十八年(前531)
本殿三間社流造
ご由緒

当社は安寧天皇一八年二月初末の日御鎮座と伝えられ武蔵国開拓の祖神である天下春命(あめのしたはるのみこと)を主神として御奉祀申し上げて居る由緒ある神社である。御社名は上代此地の呼び名であった小野の郷に由来するものであるが其の霊験の灼かなる神社としてやがて朝廷の上聞にも達せられ数々の奉幣にも預かり元慶八年七月には正五位上の神階を授けられた。又、廷喜式が撰せられた折には武蔵国八座の一社として登載された。且つ国府の近在なることに由いて国司や住民の崇敬も殊の他篤く総社六所宮創建の砌には東殿第一次の席を与えられて一之宮と称された。然して当社の社伝には永承六年源頼義陸奥守に任せられて下向の途次其子義家と共に参籠され太刀一振りと詠歌一首奉納の事績が繙かれ吾妻鏡にも養和元年四月一宮は吉富井蓮光寺と併記され更に建久四年八月の刻印ある経筒の銘に一宮別当松連寺が記録されている。稍時代も下り安居院の神道集並に深大寺の僧長弁の私案抄を尋ねると当社は中世以来文珠菩薩を本地となした信仰も行われていた。斯くなる所此の近在は鎌倉末より戦国時代にかけて度々の戦乱や多摩川の氾濫があり当社にも多大の被災が及び衰微したが徳川第二代将軍により造営再興された。其の棟札に曰く

一宮正一位小野神社造営再興
慶長十四年十二月廿六日
当将軍源朝臣秀忠

神主 新田大炊介守忠
太田太郎左衛門久忠

 以下、慶安元年御朱印壱拾五石を給わる。文政となり新四国八十八ヶ所の四十八番札所となり巡拝者も多く有りて維新に至る。明治元年神仏分離令により文珠菩薩を眞明寺に御移する。
 同六年十二月郷社に列せられ同二十一年内務省より古社保存として一金百円也下附さる。同四十三年旧一之宮村有地弐拾町七反余当社資金に充つる為奉納さる。大正一五年三月三十日近隣の失火により御神体及び一部の神宝と鳥居を除き神殿等悉く類焼す。
 昭和二年御本殿、拝殿の再建成り社務所を附す。同三五年大国魂神社五月五日の大祭に就き当社神輿の渡御は古式の変更また道路事情等にて而今中止となる。同三九年旧氏子により社務所を新築奉納され随身像御修復の計画に始まって随身門の再建成り且つ御本殿、拝殿を後方期の風致林に御遷座して境内を拡大。同四九年春末社の再建成り更に秋の例大祭を期して随身を同門内に御安置申し上げ依って記念の大祭を執行。茲に是を記念して此の碑文を誌す。
 昭和四九年九月吉日

武蔵一之宮小野神社宮司
滝瀬孝

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