ぞうじょうじ
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増上寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2021年10月26日(火)
参拝:2021年10月吉日
21.10.23。先の花岳院さんより徒歩3分。
東京都港区芝公園4丁目にある浄土宗の大本山。
山号 三縁山
院号 広度院
創建 明徳4年(1393年)
開山 西誉聖聡上人
(浄土宗第八祖)
本尊 阿弥陀如来
札所 江戸三十三観音霊場第21番
【徳川家の菩提寺】~当寺HPより~
安土桃山時代、家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として当寺が選ばれました(天正18年/1590年)。家康公が当時の源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依していたため、と伝えられています。
慶長3年(1598年)に現在地へ移転。江戸幕府成立後には、家康公の保護もあり、寺運は大隆盛へと向かって行きました。
三解脱門、経蔵、大殿の建立等の寄進などが相次ぎ、朝廷から存応上人へ「普光観智国師」号の下賜と常紫衣(じょうしえ)の勅許もありました。
家康公は元和2年(1616年)、増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75歳で没しました。
今年1月の参詣時は大殿の屋根瓦大修復中でしたが、見事に完成されたものを見られて感動しました。今回は江戸三十三観音として参拝。
東京都港区芝公園4丁目にある浄土宗の大本山。
山号 三縁山
院号 広度院
創建 明徳4年(1393年)
開山 西誉聖聡上人
(浄土宗第八祖)
本尊 阿弥陀如来
札所 江戸三十三観音霊場第21番
【徳川家の菩提寺】~当寺HPより~
安土桃山時代、家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として当寺が選ばれました(天正18年/1590年)。家康公が当時の源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依していたため、と伝えられています。
慶長3年(1598年)に現在地へ移転。江戸幕府成立後には、家康公の保護もあり、寺運は大隆盛へと向かって行きました。
三解脱門、経蔵、大殿の建立等の寄進などが相次ぎ、朝廷から存応上人へ「普光観智国師」号の下賜と常紫衣(じょうしえ)の勅許もありました。
家康公は元和2年(1616年)、増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75歳で没しました。
今年1月の参詣時は大殿の屋根瓦大修復中でしたが、見事に完成されたものを見られて感動しました。今回は江戸三十三観音として参拝。
江戸三十三観音霊場第21番
三解脱門(三門)
元和8年(1621)再建。国の重要文化財。
元和8年(1621)再建。国の重要文化財。
寺号標
参道
左手に《聖観世音菩薩像》
右手に《グラント松》
続いて《鐘楼堂》
大梵鐘
延宝元年(1673年)鋳造。
東日本で最大級のようです!
延宝元年(1673年)鋳造。
東日本で最大級のようです!
参道左側に《水盤舎》
大殿(本堂)
首都圏最大級の御堂。
屋根瓦葺きが完成したばかり❗️
↓
首都圏最大級の御堂。
屋根瓦葺きが完成したばかり❗️
↓
左脇壇に《元祖法然上人像》
右脇壇に《高祖善導大師像》
大殿前より振り返り
大殿前左手に《法然上人幼少時像》
江戸三十三観音霊場第21番札所
西向聖観音菩薩石像
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安国殿
こちらの授与所で直書きの御朱印を拝受しました。
こちらの授与所で直書きの御朱印を拝受しました。
徳川将軍家墓所への通路。
墓所拝観料500円
墓所門
扉の左右の龍🐉が目を惹きます。
左右扉には葵紋が五つづつあります。
扉の左右の龍🐉が目を惹きます。
左右扉には葵紋が五つづつあります。
昇り龍(左側)
降り龍(右側)
墓所入り口
墓所内左回りで
和宮墓所
14代家茂公正室。
和宮墓所
14代家茂公正室。
家茂公墓所
14代将軍。
14代将軍。
家宣公墓所
6代将軍。
6代将軍。
秀忠公夫妻の墓所
2代将軍。
2代将軍。
家継公墓所
7代将軍。
7代将軍。
家重公墓所
9代将軍。
9代将軍。
家慶公墓所
12代将軍。
12代将軍。
墓所前の四菩薩像
↓
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大納骨堂(舎利殿)
昭和8年(1933年)建立、昭和55年(1980年)に現在地に遷座。
昭和8年(1933年)建立、昭和55年(1980年)に現在地に遷座。
国光大師堂 山門
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国光大師堂
平成21年(2009年)竣工。
平成21年(2009年)竣工。
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