しばとうしょうぐう
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楽しみ方芝東照宮のお参りの記録一覧(10ページ目)
思えば仙台以外の東照宮へは初参拝です。
前回増上寺へお邪魔した際に近くに東照宮があったと知って、行けばよかったなと思ったのですが今回覚えてなくたまたま駅降りたら東照宮の前だったので思い出したのでした。
御神体だった家康公の像、寿像。これは公が60歳のときに自ら作らせ、駿府城で自ら祭事をし、見舞いに来た増上寺の僧侶へこの御神体を増上寺に祭り、国を永遠に護ってほしいと遺言していたそうです。
公が亡くなり、安国殿としてこの芝東照宮を立て、寿像を祭っていたそうですが、神仏分離により東照宮へ変更し、寿像は増上寺ご本堂へ移動されたそうです。
みんなが好きそうな光芒系と御朱印頂いたときにもらえた日光の古材で作られた道中安寧のお守り。
そう言えば芝大神宮もいただけますよね。
これは杉の香りがすごいします◎
いただけること知らなかったので、すんごいびっくりしたのと、なぜか純粋に嬉しかった(*^^*)
芝東照宮ですが石には「東照宮」とありました。
鳥居の目の前が駐車場。鳥居より前に狛犬ちゃん。
朝顔が咲いてました◎
扁額も東照宮。
御社殿です。新緑が手伝って朱色が映えます(*^^*)
写真撮れば全部光芒が入ってしまって、キレイに撮れません_| ̄|○
鈴。
あ、お花♡
この奥のは井戸のようで、ここに家康公の寿像を入れて空襲から守ったそうでおかげで燃えなかったそうです…!
家康公の御遺訓。太平の世を作られた方の、言葉。現世でも通用しますね。反省です。
3代将軍、家光公がお手植えされたイチョウが御神木です。そして本日5月25日。73年前のこの日、東京大空襲があり、このあたりはすべて燃えてしまったそうですが、このイチョウと先ほどの寿像だけが残ったそうです。何と言う日に参拝を。
暇だったので仕事休みにしただけなのに、忘れられないお参りになりました。

芝公園の一角にあり、元来は増上寺内の社殿であった。徳川家康が慶長6年(1601)に還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた「寿像」を自身が駿府城に於いて祭祀していた。
元和2年(1616)家康は死去に際して「寿像」を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言した。同年10月に着工し、翌元和3年(1617)2月に竣工した。この社殿は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」より「安国殿」と呼ばれた。これが芝東照宮の起源である。
その後、3代将軍家光により寛永10年(1633)に新社殿が造営され、旧社殿は開山堂となり、寛永18年(1641)には移転改築がなされた。駿府城より移築された惣門、福岡藩主黒田忠之が寄進した鳥居、本殿の周囲に拝殿、唐門、透塀が造営され豪奢な社殿が整った。
明治初期に神仏分離令により、増上寺から切り離されて芝東照宮となった。
昭和20年(1945)5月25日の東京大空襲により「寿像」と神木のイチョウを残し全て焼失したが、昭和44年(1969)現在の社殿が再建された。














【030】1617年 徳川家康 郷社 四大東照宮(他に日光東照宮/久能山東照宮/上野東照宮) 神田 武蔵國 東京都 都心 港区 平成27年5月22日
御朱印帳【神田】書き手不在とのことでこの日は諦めて帰ろうとしたのですが、奥から出て来たご高齢の宮司様が「お書きします」とのことで頂戴したレア&非常に有り難い御朱印。
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