でんづういん|浄土宗|無量山
伝通院のお参りの記録一覧
東京都文京区にある伝通院へお参りに行きました。1月も下旬になり、曇りの日でしたので参拝者は少なかったです。伝通院は応永22年(1415)に創建。慶長7年(1602)徳川家菩提寺に。広大な墓所には家康公の生母・於大[おだい]の方や、2代将軍秀忠公の娘・千姫[せんひめ]のほか、徳川家ゆかりの女性が眠るそうです。また、幕末には新選組や彰義隊の結成の地ともなり、歴史的な背景が豊かです。
直書き
直書き
山門
境内
鐘楼堂
法蔵地蔵尊
本堂
傳通院(でんづういん)は、東京都文京区にある浄土宗の寺院で、正式名称を「無量山寿経寺 傳通院」といいます。その起源は1415年(応永22年)に遡り、浄土宗第7祖の了誉聖冏上人によって、小石川極楽水(現在の小石川4丁目)に小さな草庵として開創されました。当時は「無量山寿経寺」と呼ばれていました。
● 徳川家康と傳通院の発展
1602年(慶長7年)、徳川家康の生母・於大の方が75歳で逝去しました。その際、法名「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」を授け、この寿経寺を菩提寺と定めたことで「傳通院」と呼ばれるようになりました。徳川家からの外護を受け、堂宇が整備されるとともに、寺の地位も高まりました。
● 徳川家ゆかりの墓所
傳通院の境内には、於大の方をはじめ、千姫(豊臣秀頼の妻で徳川秀忠の長女)など、徳川家にゆかりのある多くの女性の墓が設けられています。北側には徳川家の墓域が広がり、歴史的価値の高い廟所が点在しています。
● 教学の中心としての役割
1613年(慶長18年)、増上寺から学問僧300人が移り、傳通院は関東十八檀林の中でも上席の修行所となりました。最盛期には常時1000人以上の学僧が修行し、浄土宗教学の中心としての地位を確立しました。その後、明治時代には傳通院境内に浄土宗学本校(現・大正大学の前身)を移転し、教育活動の場としても重要な役割を果たしました。
● 大火と戦禍、そして再建
傳通院は、1721年(享保6年)、1725年(享保10年)、1908年(明治41年)の三度の大火や、第二次世界大戦での戦禍に見舞われました。戦後、復興が進み、1949年(昭和24年)に本堂が再建されました。その後も新本堂や観音堂などの整備がされました。
大きさ、見た目、材質が完璧すぎたので拝受しました
北風が冷たいなかのお参り。訪れる人も少なくて、ひとり本堂でゆっくりと過ごすことが出来ました。良き良き(^o^)👌風に舞う旗や幕が美しかったです。
書き入れ。もうひと種類あるのですが頼み忘れていたようです。以前も頂いているのでよいかなと、
いつ訪れても凛とした美しさがあります
本堂には先客が1人のみ。すぐに帰られたのでわたし1人に
風の強い日でした
トイレがあるので助かりました、本堂に向かって左です
頂きました。お煎餅です→麩菓子でした
正式名:無量山伝通院寿経寺
別称:小石川伝通院
東京都文京区小石川三丁目にある浄土宗寺院で、徳川将軍家の菩提寺である。
応永22年(1415)の秋に浄土宗第七祖の聖冏が、江戸の小石川極楽水の草庵で開創し、山号を無量山、寺号を寿経寺とした。
それから約200年後の慶長7年(1602)、徳川家康公の生母である「於大の方(おだいのかた)」が伏見城で逝去され、その法名を「傳通院殿」と号し、この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになる。以来、徳川家の庇護のもと、諸堂伽藍を整えられた。
また、修行勉学面では慶長18年(1613)に増上寺の学問僧300人を傳通院に移して、関東の十八檀林(僧の学問修行所)の上席に指定され、明治以降には淑徳女学校(現在の淑徳SC中等部・高等部)を創立するなど、子女教育にも力を注いでいる。
小石川と言うか後楽園にある伝通院様に初めてお参りさせて頂きました。
江戸三十三観音の12番札所です。
浄土宗の関東十八檀林の一つなので、とても大きなお寺様です。
お堂では、近くの大学生が研修に来ていました。
本堂の写真を撮り忘れました!大後悔。
山門です
参道脇にあるお地蔵様です。
右に観音菩薩様、右に勢至菩薩様がいらっしゃいます。
家康生母・於大の方の墓所ー傳通院💮
小学生の頃、2年程小石川の祖父母の家に住んでいました。その辺は昔、傳通院領だったそうで、お祭りにも連れて行ってもらったような…
そんな懐かしい傳通院ですが、すっかり大都会になっていて道に迷いました😅
1603年、家康が生母・於大の方をこの地に葬り、その法名が名前になった浄土宗のお寺です。
直書き御朱印
御供物のおせんべいもいただきました😊
空襲でお墓以外は焼けてしまったので本堂は新しめ
この鐘は当時のものらしいです
於大の方のお墓
さすがに立派✨
奥に行くと千姫のお墓がありました
激動の人生を送った千姫
秀頼の側室が生んだ天秀尼を養子にすることで救い、天秀尼は東慶寺に入寺
家康から縁切寺法を許可され、多くの女性を救うことに
こちらは家光の正室・孝子のお墓
その他にも立派なお墓がたくさんありました
指塚👍
於大の方
そろそろ新緑ですね🌿
東京ドームにコンサートを見に行くために何故か茖荷谷で降りてお目当ての店で遅めのランチを食べ、そして東京ドーム方向に歩いていく途中に大きなお寺を見つけました。離れた場所から見ても存在感のある大きなお寺です。
葵のご紋がお寺の御由緒を語るかのように見えました。
本堂では法事が執り行われていましたが、邪魔にならぬようお参りさせていただきました。
御朱印は直書きでいただけます。今回、お寺による予定がなかったので御朱印帳を持ち合わせておらず、お寺の用意してくれた紙に書いたものをいただきました。
御供物まで頂き恐縮です。
御朱印
御供物(ふわっと甘いお煎餅)
山門
本堂
境内に駐車できます。
立派な本堂内に入ってお参りできます。
御朱印は右手の寺務所で書き入れていただきました。
(御朱印第665号)
直書き
お供物付き
山門
右手から車で入れます
本堂
本堂内に入ってお参りできます。
(畳のところには上がれません)
文京区小石川に来たのでお参りしました😊徳川家康公の生母お大の菩提寺として有名✴️気になっていました🙏徳川家ゆかりの大きく古いお墓がずらっと並ぶ様子は圧巻でした✨本堂で法事が行われていましたが、開けて大丈夫ですよと声をかけていただき中に入りお参りすることができました🤗
浄土宗 無量山 寿経寺 傳通院
慶長8年(1603)徳川家康が生母お大をこの地に葬った。
後に堂宇を建立し傳通院となった。
傳通院はお大の法名にちなむ。将軍家の帰依も厚かった。
浄土宗の関東18檀林の一つで、常時1000人の学僧が修行していた。
境内には、お大の方、千姫(豊臣秀頼妻・2代徳川秀忠の長女)をはじめとして徳川家ゆかりの女性の墓が数多くある。
文京区のホームページより
鐘楼堂✨
書院✨
中央のご本尊は法蔵地蔵尊、脇待は、向って右が観世音菩薩、左が勢至菩薩✨
指塚✨
お大の墓✨
御朱印帳、柄が違う緑のものもあり悩みました😊
御供物(お煎餅)いただきました😊
ありがとうございました😊
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