はっけいてんそじんじゃ
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楽しみ方八景天祖神社のお参りの記録一覧

大森駅前の賑わいを抜け、急で細い石段を上った先に、八景天祖神社が鎮座していました。駅前とは思えないほど静かで、石段を登りきるとふっと空気が変わります。
御朱印は名物の“金箔付き”。こちらが最初に金箔御朱印を始めた神社とのことで、社務所を管理されている方が気さくに教えてくださいました。昨今の金価格の高騰で、金箔が少し小さくなったんですよ、と笑いながらお話しされる姿が印象的でした。
さらに、東海道のガイド冊子や管理人さん手作りの「苗字ランキング」までいただき、思わず読み込んでしまう面白さ。小さな神社ながら、温かい交流と遊び心に満ちた参拝となりました。


先月7月28日に参拝しました。
JR大森駅の西側の小高い丘の上にあり、結構急な石段を上がります。
路面の照り返しが無く、風も少しあり、涼しさを感じました。

最初に見た時、ゲゲッ…と思いました。

右の狛犬さん

左の狛犬さん

やや離れての、拝殿です。

ご神木

大井蔵王権現神社を後にJR大井町駅から大森駅まで電車に乗車して駅前の八景天祖神社を参拝して御朱印の対応をして頂きました。
この一帯は、八景坂と呼ばれ、歌川広重の浮世絵に描かれるほど名所だったようです。


斜度がキツイ石段参道

参道横の社号標

境内社・伏見稲荷神社の鳥居

伏見稲荷神社



手水舎

八景天祖神社の境内

八景天祖神社の拝殿

拝殿の扁額

拝殿

社務所
(インターホンを押して対応して頂きます)

八景天祖神社の御朱印
(書置き)

八景天祖神社の御朱印
(書置き)

数日後に大森に時間が決まっている用事があり、下車したこともなく絶対迷いそうなので、今日、下見予習に行き、その後折角なら何処か近くへお参りに寄りたいと思い何ヶ所か事前に調べて、予習が終了後に三箇所目の大森駅前のこちらへ。
本体の目的の場所は、予想通り20分ほどぐるぐる迷いました^_^;
駅前の道から案内標識あり、すぐにわかりました。普段石段はもっと長くても登るのですが、やや足腰に疲れが出始めて、正面の石段避けて左手から入らせていただきました。公園隣接(境内の一部が公園になっているのかも…?)で、ベンチに座って休憩している方もいたり、人や車の往来が多く賑やかな場所のはずが、高い位置にあるせいか駅前を忘れるくらい落ち着く神社さんでした。
いろいろなところに由来や説明書が付けられていました。
もう終わっていましたが藤棚もありました。
正面左手に社務所があり、ベルを鳴らし、ご高齢の男性の方に対応していただきました。あえてご高齢のと書いたのは、いろいろお話をして下さったのですが、なんと95才とのこと。とてもお元気で、何種類か頒布中の御朱印〔書き置きのみ〕の説明を一つ一つ丁寧に。金箔の話、オリジナルのお守りが作られた話、地域のお話も。またご自分で日々勉強で書かれたもののコピーなども。御朱印を頂く際にはお祓いもして下さり、下げた頭の上で鈴も鳴らして頂きました。
こちらは常駐の宮司様はいらっしゃらないそうで、こうした授与品含め、神社のお世話をされているとのことです。
なかなか充実した時間を持つことができました。



一枚づつ封筒に…

説明付きでいただいたもの















石段避けて左手より。

正面の入り口への石段


その左側に末社






境内左手の社務所



東京都大田区にある八景天祖神社に参拝。大森駅西口を出ると道路を隔てた正面に🌳森、浮世絵「八景坂鎧掛けの松」に描かれている場所だ。源義家がここで休憩して鎧を松にかけたそうだ、しかし大正6年の台風で倒壊、残った切り株が神社にある。馬込文士村散策の道の入口にもなっている。狛犬も仔犬が戯れていて可愛い。
御朱印は書置きでいただきました。空海の字体を模したものでした。三筆それぞれの字体の御朱印があるそうです。

八景天祖神社〜源義家・兜掛けの松の切株 松は大正6年の台風で倒れてしまった

八景天祖神社〜この坂の上に神社⛩️がある

八景天祖神社〜馬込文士村散策のみちの入口にもなっている

八景天祖神社〜御朱印 「天祖神社」の字体は空海(三筆の一人)の字体を模したもの

八景天祖神社〜社殿

八景天祖神社〜狛犬①仔犬がいる

八景天祖神社〜狛犬②仔犬が戯れついて背中にもいる

八景天祖神社〜石段上の鳥居⛩️

八景天祖神社〜石段の上に境内 社号碑 左の赤い鳥居は境内社・伏見稲荷大明神

八景天祖神社〜境内社・伏見稲荷大明神

八景天祖神社〜庚申塔・青面金剛像

八景天祖神社〜手水舎

東京都大田区山王の大森駅西口駅前にある神明山と呼ばれる急な石段の先に鎮座。
享保年間(1716~1735)、当地の庄屋・年寄・百姓らが伊勢講を組織し、皇大神宮で御分霊を受け祭祀したのが創建と伝わっている。
当時は「神明社」と称され、別当は円能寺が務めた。神仏分離令にともない、明治5年(1872)に円能寺から分離し「神明山天祖神社」と改称している。
かつてこの一帯は八景坂と呼ばれる名所の1つで、歌川広重が浮世絵に描いた程であった。
急な石段の表参道(男坂)の他、緩やかな女坂は「馬込文士村散策のみち」として整備され、地域住民の通り道となっている。



















































令和6年(2024年)5月18日(土)
東京都大田区山王の八景天祖神社に参拝
「駅からハイキング」で大森駅から蒲田駅まで歩く
大森駅からは線路沿いに南に向かえば良いのだけれど、その前に目の前の神社にお参りしましょう。
駅西口を出ると道の反対側に鳥居と石段があり、そこを上ると神社に着く。この石段がものすごく急で結構怖い。
上ると児童公園と神社が一体になっている。社務所で御朱印をいただく。金箔つきで600円というのがあるようだが私は金箔なしで500円ので十分。書き置き。降りるのは先ほどの石段ではなくその脇の方にあるもっとゆるやかなところにする。
この坂の壁面には馬込文士村を紹介するレリーフが置かれている。後で訪問する郷土博物館でも詳しく説明しているが、この界隈には戦前に「文士」がたくさん住んでいたらしい。田端や我孫子でも同じようなものがあったと思うけど、昔はあちこちにこの手の「文士村」があったのでしょう。今だとそういうのはあまりないような気がする。この地域は都市化が遅れていて、田園風景が好まれたということらしい。





大森方面へ神社巡り③本日は基本的に大森界隈を徒歩で参拝しようと思っていたので、日枝神社から池上通りを合ういて大森駅市口方面へ。旧東海道であるこの辺りは八景坂と呼ばれ浮世絵にも描かれた景勝地であった。男坂と呼ばれる石段(少し歪んで怖いが手すりがあるので何とかなりました)を上ると境内です。最近はどこも禁煙なので、境内にある喫煙所には人が集まっています。神職の方は常駐せず、基本的には氏子さんたちが管理されており、本務社は品川の天祖諏訪神社です。以前は御朱印を取り扱っていなかったらしいのですが、ここ最近始められたようです。入り入り種類がある様で説明を戴きましたが、なぜ三筆なのか?それらの由来がわからず、基本の御朱印を戴きました。江戸時代は海岸線も近くこのあたりか急峻な地形だったことが伺えた神社でした。

社号標

石段(男坂)

境内社鳥居


境内社

鳥居

狛犬

狛犬


手水舎


拝殿

扁額

鎧掛松 文治五年(1189)、源義家(八幡太郎)が奥州征伐(後三年の役)に向かう途中、松に馬を繋ぎ鎧をかけて休憩したという伝承が残る松。こちらは三代目の松の切り株





灯籠

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