いるぎじんじゃ
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居木神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年03月25日(月)
参拝:2024年3月吉日
池袋で用事を済ませ、御朱印が素敵だなぁと思っていた居木神社様へお参りに行きました😊
【居木神社】
ご創建の年代は明らかではありませんが、古い記録によりますと、往古鎮座の地は武蔵國荏原郡居木橋村(現在の山手通り居木橋付近)に位置していたようです。
当時は「雉子ノ宮」と称され、境内には「ゆるぎの松」と呼ばれた大木があったと伝えられています。
江戸時代の初期、目黒川氾濫の難を避けるために現在の社地に御動座されました。
その折、村内に鎮座の「貴船明神」「春日明神」「子権現」「稲荷明神」の4社をあわせてお祀りし、「五社明神」と称されました。
元禄郷帳に居木橋の石高は230石余、72戸で頭屋(年番)による運営がなされ、郷土の崇敬は篤く祭事は盛んで特に里神楽を催し、秋の大祭には他村よりの参詣も多く社頭は大変賑わったと記されております。
明治5年、社号を「居木神社」と改め、同6年旧制の「村社」に列格、続いて同29年および同42年には村内鎮座の「稲荷神社」「川上神社」「本邨神社」の3社6座が合祀されました。
昭和5年には氏子の崇敬熱意によりご社殿の改築にかかり、同8年9月に竣工されましたが、その荘厳を極めたご社殿も大東亜戦争末期に戦火にて炎上しました。以来氏子崇敬者の赤誠による再建計画が進み、昭和52年5月5日着工、同53年3月3日上棟、同6月10日正遷座祭の儀が厳かな裡に斎行され、ときわなる居木の森高台地に荘厳優美な偉容を拝するに至りました。
境内には江戸時代の石像物がいくつか残っており、北側参道の鳥居と末社御手洗の鉢は、いずれも寛政4年(1792年)に、石灯籠は弘化2年(1845年)に奉納されたものです。
境内末社の厳島神社は品川区指定有形文化財に指定されています。
また、拝殿前の石段の横手には溶岩積による富士塚があり、しながわ百景に選定されています。
ー居木神社HPよりー
【居木神社】
ご創建の年代は明らかではありませんが、古い記録によりますと、往古鎮座の地は武蔵國荏原郡居木橋村(現在の山手通り居木橋付近)に位置していたようです。
当時は「雉子ノ宮」と称され、境内には「ゆるぎの松」と呼ばれた大木があったと伝えられています。
江戸時代の初期、目黒川氾濫の難を避けるために現在の社地に御動座されました。
その折、村内に鎮座の「貴船明神」「春日明神」「子権現」「稲荷明神」の4社をあわせてお祀りし、「五社明神」と称されました。
元禄郷帳に居木橋の石高は230石余、72戸で頭屋(年番)による運営がなされ、郷土の崇敬は篤く祭事は盛んで特に里神楽を催し、秋の大祭には他村よりの参詣も多く社頭は大変賑わったと記されております。
明治5年、社号を「居木神社」と改め、同6年旧制の「村社」に列格、続いて同29年および同42年には村内鎮座の「稲荷神社」「川上神社」「本邨神社」の3社6座が合祀されました。
昭和5年には氏子の崇敬熱意によりご社殿の改築にかかり、同8年9月に竣工されましたが、その荘厳を極めたご社殿も大東亜戦争末期に戦火にて炎上しました。以来氏子崇敬者の赤誠による再建計画が進み、昭和52年5月5日着工、同53年3月3日上棟、同6月10日正遷座祭の儀が厳かな裡に斎行され、ときわなる居木の森高台地に荘厳優美な偉容を拝するに至りました。
境内には江戸時代の石像物がいくつか残っており、北側参道の鳥居と末社御手洗の鉢は、いずれも寛政4年(1792年)に、石灯籠は弘化2年(1845年)に奉納されたものです。
境内末社の厳島神社は品川区指定有形文化財に指定されています。
また、拝殿前の石段の横手には溶岩積による富士塚があり、しながわ百景に選定されています。
ー居木神社HPよりー
居木神社様の入口
☆鳥居⛩️☆
☆狛犬様☆
☆手水舎☆
☆御拝殿☆
☆扁額☆
【御祭神】
日本武尊
【配祀】
高龗神•大國主命•倉稲魂命•天兒家根命•菅丞相
【合祀】
手力雄命•淀姫命•大山咋命
日本武尊
【配祀】
高龗神•大國主命•倉稲魂命•天兒家根命•菅丞相
【合祀】
手力雄命•淀姫命•大山咋命
☆社務所☆
☆神輿庫☆
境内に可愛いクマさんとパンダさんの椅子がありました😊
☆鳥居⛩️☆
☆末社•厳島神社(品川区指定有形文化財)☆
この厳島神社は居木神社の末社でありますが、もとは神社の傍にあった旧居木橋村の名主•松原家に屋敷神として祀られていました。後に居木神社が引き取り、末社としたものであります。
小型の神社建築でありますが、質の良い彫刻装飾が多用され、その多くに彩色が認められますが、彫刻部分以外の柱等にも彩色が施されています。これは、概ね天明期頃まで通例とされた様式でありますが、欅と思われる素木(しらき)を使った部分も多くあります。19世紀以降は素木の方が主流とされるようになり、多くは欅を用いています。
これらのことや、概ね和釘を使っていることなどを合わせ、当初の建造年代は江戸後期で、後年補修を受けたものと推定されますが、保存状態も良好であります。
彩色を施した江戸時代の社殿は、区内でも他にはないと思われ、貴重なものであります。
この厳島神社は居木神社の末社でありますが、もとは神社の傍にあった旧居木橋村の名主•松原家に屋敷神として祀られていました。後に居木神社が引き取り、末社としたものであります。
小型の神社建築でありますが、質の良い彫刻装飾が多用され、その多くに彩色が認められますが、彫刻部分以外の柱等にも彩色が施されています。これは、概ね天明期頃まで通例とされた様式でありますが、欅と思われる素木(しらき)を使った部分も多くあります。19世紀以降は素木の方が主流とされるようになり、多くは欅を用いています。
これらのことや、概ね和釘を使っていることなどを合わせ、当初の建造年代は江戸後期で、後年補修を受けたものと推定されますが、保存状態も良好であります。
彩色を施した江戸時代の社殿は、区内でも他にはないと思われ、貴重なものであります。
☆末社•稲荷神社☆
金箔押し特別御朱印 『桜詣龍』
桜詣限定御朱印 3/17〜4/14まで頒布
通年御朱印 厳島神社と稲荷神社
すてき
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