かくりんじ
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覚林寺ではいただけません
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覚林寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年11月17日(金)
参拝:2023年11月吉日
23.11.15。都営地下鉄三田線/東京メトロ南北線「白金高輪駅」より徒歩5分。港区白金台1丁目の桜田通り(国道1号)沿いにある日蓮宗の寺院。
通称《白金の清正公さま》
山号 最正山
創建 寛永8年(1631年)
開山 可観院日延
本尊 一塔両尊四士
札所等 元祖山手七福神•毘沙門天
【歴史】〜Wikipedia より引用〜
この地はかつて肥後熊本藩主細川家の中屋敷であった。寛永8年、小湊誕生寺第18世可観院日延の隠居寺として開山。日延は李氏朝鮮第14代国王宣祖の長男、臨海君の子であり、文禄•慶長の役の際に加藤清正によって日本へ連れてこられた人物であった。
弘化2年(1845年)、火災により全焼。現在の山門は安政3年(1856年)に、清正公堂の拝殿•幣殿は慶長元年(1865年)に再建されたものである。
山手七福神巡りの都合5箇所目として参詣。有名な武将であった加藤清正公ゆかりの寺ということで、勝負事にご利益があり、また毘沙門天も祀られていることで、学業成就•厄除けにも効果があると人気のお寺です。
通称《白金の清正公さま》
山号 最正山
創建 寛永8年(1631年)
開山 可観院日延
本尊 一塔両尊四士
札所等 元祖山手七福神•毘沙門天
【歴史】〜Wikipedia より引用〜
この地はかつて肥後熊本藩主細川家の中屋敷であった。寛永8年、小湊誕生寺第18世可観院日延の隠居寺として開山。日延は李氏朝鮮第14代国王宣祖の長男、臨海君の子であり、文禄•慶長の役の際に加藤清正によって日本へ連れてこられた人物であった。
弘化2年(1845年)、火災により全焼。現在の山門は安政3年(1856年)に、清正公堂の拝殿•幣殿は慶長元年(1865年)に再建されたものである。
山手七福神巡りの都合5箇所目として参詣。有名な武将であった加藤清正公ゆかりの寺ということで、勝負事にご利益があり、また毘沙門天も祀られていることで、学業成就•厄除けにも効果があると人気のお寺です。
元祖山手七福神
御首題
山門手前に↓
(清正公大神儀)
(清正公大神儀)
山門
港区指定有形文化財(建造物)
↓
港区指定有形文化財(建造物)
↓
山門を潜り右手に
↓
↓
本堂
↓
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浄行菩薩
↓
↓
清正公堂
港区指定有形文化財(建造物)
↓
港区指定有形文化財(建造物)
↓
山門を潜り左側
↓
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お題目碑
寺務所方向
こちらで直書きの御朱印•御首題を拝受。
こちらで直書きの御朱印•御首題を拝受。
すてき
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こばけん1121投稿
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