いまどじんじゃ
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楽しみ方今戸神社のお参りの記録一覧
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招き猫発祥の地として知られる今戸神社は、愛らしい招き猫で有名な神社として知られています。
その歴史は古く、平安時代までさかのぼります。
**後冷泉天皇の時代、つまり11世紀の中頃、京都の石清水八幡宮を勧請して今戸八幡宮が創建されました。
**源頼義・義家親子が奥州征伐の際に立ち寄り、戦勝祈願をしたことから、武運長久の神様としても信仰を集めるようになりました。
江戸時代には、徳川家光が再建を命じるなど、幕府からも厚く保護され、地域の信仰の中心として発展しました。しかし、関東大震災や第二次世界大戦の空襲など、幾度もの災難に見舞われ、現在の社殿は昭和46年に再建されたものです。
今戸神社は、招き猫だけでなく、縁結びの神様としても知られています。境内には、縁結びの象徴であるハート形の絵馬が多数奉納されており、多くの参拝者が訪れます。また、幕末の新選組の沖田総司が生涯を閉じた地とする説もあり、歴史ファンからも注目を集めています。
武将が参拝に参られただけあり、パワー系の印象をたまに感じます。
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GW後半は、実に30年ぶりに浅草を訪れました。 待乳山聖天・本龍院から北へ5分程歩くと今戸神社があります。 由緒書きによると、康平6年(1063年)に源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)親子が、勅命で安部貞任(あべのさだとう)を征討するべく奥州へ向う折に、京都の石清水八幡を鎌倉の由比郷鶴岡と、ここ浅草今之津村(現在の今戸)の両社に勧請したのが始まりとされ、永保元年(1081年)には清原武衡・家衡(きよはらのたけひら・いえひら)らの反乱を鎮める為に再び奥州へ向う際に当地に立ち寄り戦勝祈願をしたとも云われています。 戦乱兵火や震災に遭うこと屡々で、その都度再建をされ昭和12年(1937年)には隣接する浅草亀岡町の白山神社を合祀して今戸八幡と呼ばれていた社号を今戸神社へと改称したそうです。 当社は幕末に組織された浪士隊・新撰組、沖田総司(おきたそうじ)の終焉の地である、と主張していて境内にその旨を記した碑まで建立されていますが、凡そ信憑性に欠けるものとして現在では謬説であったと考えられるのが一般的です。 また、ここも数多くの「招き猫発祥の地」を名乗る場所の一つで、境内には沢山の招き猫の置物が並べられています。 しかし当社と招き猫の結び付きを示す文献や謂れ等は一切無いようで、強いて言うならば嘉永5年(1852年)に記された書物『武江年表』に拠る、貧しさゆえに愛猫を手放した浅草花川戸に住む老婆の造った「今戸焼丸〆猫」という土人形が浅草寺三社権現(現在の浅草神社)の鳥居横で売られ評判になったこと、を由来としているのだと思われます。 ただし境内に並べられた招き猫の形状は今戸焼製のものは一切見られず、近年の猫(招き猫)ブームに便乗した神社の論拠のない主張であるものと思われます。 御朱印は少し小さめの質の悪い紙に書かれた書置きのみの対応でした。
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時間的にも15時半を回ってしまったため、いったん東京十社巡りは中断して今日のホテルへ。
何と前回の旅行では時間的にお参りすることが難しかったので諦めてたこちらの神社が歩いて2-3分のところに!
社務所が16時までだったので間に合うか心配でしたが、何とか時間内にお参りして御朱印も頂けました。
こちらは招き猫発祥の地らしくて、境内にはたくさんの招き猫がありました。
更には拝殿で参拝してると、まさかの本物の白猫さんが眼の前でお休み中。
もしかして神様の御使いなのかな??
縁結びでも有名なようで、自分以外は皆女性の参拝者でした。
また、下町らしく人力車で案内されてた方もいて、更に良き下町っぽさの情緒溢れる雰囲気に。
手水舎の向かい側には沖田総司終焉の地という石碑があります。
沖田総司といえば、言わずとしれた幕末の新撰組一番隊組長で、薄命美形の天才剣士(実際は違うようですが(^_^;))です。
確か沖田総司って千駄ヶ谷の植木屋で亡くなったと言われてたような...。
しかしながら、新撰組好きな私としては、嬉しい限りのサプライズでした(^^)
御朱印は2種類(神社ver.と浅草七福神の福禄寿ver.
)で、全て書き置きでの対応です。
社務所で奉仕されてた女性のスタッフさんは流暢な英語で外国からの参拝客をおもてなししており、田舎人の私としてはさすが東京だなぁと思わされた瞬間でした(笑)
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