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令和6年(2024年)12月14日(土)
東京都台東区今戸の今戸神社にお参り
駅からハイキングで上野駅から南千住駅までのコースの途中まで歩く。
川の手通りに出て左折し、左側の方の道に入っていくと今戸神社がある。
大きな銀杏の木がだいぶ葉を落としていて、境内は銀杏の葉が散り積もっている。銀杏の木を背景に和服姿で写真撮影をやっているのだけれど、おそらく外国の方。中国だろうか、韓国だろうか。インバウンドでたくさんの人がやって来て日本の文化に触れて日本のファンが増えることはとても良いことだと思っている。
それはともかく、今戸神社といえば、招き猫の神社として大人気。境内は猫猫猫猫猫。猫なら外国人もわかる。「沖田総司の終焉の地」ではたぶん通じないでしょう。
社務所もなんだか外国人向けグッズ売り場みたいな雰囲気になっている。




招き猫発祥の地として知られる今戸神社は、愛らしい招き猫で有名な神社として知られています。
その歴史は古く、平安時代までさかのぼります。
**後冷泉天皇の時代、つまり11世紀の中頃、京都の石清水八幡宮を勧請して今戸八幡宮が創建されました。
**源頼義・義家親子が奥州征伐の際に立ち寄り、戦勝祈願をしたことから、武運長久の神様としても信仰を集めるようになりました。
江戸時代には、徳川家光が再建を命じるなど、幕府からも厚く保護され、地域の信仰の中心として発展しました。しかし、関東大震災や第二次世界大戦の空襲など、幾度もの災難に見舞われ、現在の社殿は昭和46年に再建されたものです。
今戸神社は、招き猫だけでなく、縁結びの神様としても知られています。境内には、縁結びの象徴であるハート形の絵馬が多数奉納されており、多くの参拝者が訪れます。また、幕末の新選組の沖田総司が生涯を閉じた地とする説もあり、歴史ファンからも注目を集めています。
武将が参拝に参られただけあり、パワー系の印象をたまに感じます。
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GW後半は、実に30年ぶりに浅草を訪れました。 待乳山聖天・本龍院から北へ5分程歩くと今戸神社があります。 由緒書きによると、康平6年(1063年)に源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)親子が、勅命で安部貞任(あべのさだとう)を征討するべく奥州へ向う折に、京都の石清水八幡を鎌倉の由比郷鶴岡と、ここ浅草今之津村(現在の今戸)の両社に勧請したのが始まりとされ、永保元年(1081年)には清原武衡・家衡(きよはらのたけひら・いえひら)らの反乱を鎮める為に再び奥州へ向う際に当地に立ち寄り戦勝祈願をしたとも云われています。 戦乱兵火や震災に遭うこと屡々で、その都度再建をされ昭和12年(1937年)には隣接する浅草亀岡町の白山神社を合祀して今戸八幡と呼ばれていた社号を今戸神社へと改称したそうです。 当社は幕末に組織された浪士隊・新撰組、沖田総司(おきたそうじ)の終焉の地である、と主張していて境内にその旨を記した碑まで建立されていますが、凡そ信憑性に欠けるものとして現在では謬説であったと考えられるのが一般的です。 また、ここも数多くの「招き猫発祥の地」を名乗る場所の一つで、境内には沢山の招き猫の置物が並べられています。 しかし当社と招き猫の結び付きを示す文献や謂れ等は一切無いようで、強いて言うならば嘉永5年(1852年)に記された書物『武江年表』に拠る、貧しさゆえに愛猫を手放した浅草花川戸に住む老婆の造った「今戸焼丸〆猫」という土人形が浅草寺三社権現(現在の浅草神社)の鳥居横で売られ評判になったこと、を由来としているのだと思われます。 ただし境内に並べられた招き猫の形状は今戸焼製のものは一切見られず、近年の猫(招き猫)ブームに便乗した神社の論拠のない主張であるものと思われます。 御朱印は少し小さめの質の悪い紙に書かれた書置きのみの対応でした。
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