えこういん|浄土宗|諸宗山
回向院のお参りの記録一覧
江戸三十三観音霊場 4番
回向院は、江戸時代の明暦3年(1657年)に開創された浄土宗の寺院です。東京都墨田区両国2-8-10に位置し、歴史的にも文化的にも重要な意味を持つ寺院として知られています。
歴史的背景
回向院の創立は、江戸を襲った大災害と深く結びついています。明暦の大火(振袖火事)により、江戸の市街の6割以上が焼失し、10万人以上の命が失われました。この悲惨な出来事を受け、当時の将軍徳川家綱の指示により、身元不明の犠牲者のために「万人塚」が設けられ、無縁仏の冥福を祈る大法要を執り行う御堂が建立されました。
回向院の理念
回向院の理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」です3。この理念に基づき、回向院は:
火災や震災などの天災で亡くなった人々の無縁の遺体を手厚く葬る
人間だけでなく、動物の慰霊碑も設置
ペットの供養も行う
境内の見どころ
回向院の境内には、いくつかの興味深い見どころがあります:
力塚: 勧進相撲発祥の地を記念する巨大碑
本堂前ホール: 天井中央部に特殊な音響効果を持つ格子の櫓があり、龍の鳴き声が聞こえるとされる
文化的意義
回向院は江戸時代から明治時代にかけて、様々な文化的役割を果たしてきました:
江戸庶民に尊崇される観世音菩薩や弁財天を安置
全国の有名寺社の秘仏秘像の開帳場所として人気を博す
江戸後期から明治末期まで、勧進相撲の定場所として使用され、「回向院相撲」の時代を築く
江戸三十三観音霊場4番 回向院
山門です
仁王像
力塚
家畜供養塔です。
馬頭観音様
本堂でお経を。
天井に龍
すぐ側に両国国技館。
回向院(えこういん)は、東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺院で、1667年に創建されました。この寺院は、「振袖火事」として知られる明暦の大火(1657年)の犠牲者を弔うために建立されました。この火災では10万人以上が命を落とし、多くが身元不明でした。当時の将軍、徳川家綱は無縁の人々のために「万人塚」という墳墓を設け、亡骸を手厚く葬るよう命じました。これが回向院の歴史の始まりです。
●無縁仏と動物の供養
回向院では、無縁仏や無縁犬猫を供養することを大切にしています。江戸時代から続くこの寺院では、横死者や水死者の供養の他、軍用犬やペットたちの慰霊碑も多数存在します。特に、1793年に設立された「水子塚」は水子供養の発祥地として知られ、毎年2月の第一土曜日には水子総供養が行われています。
●相撲の歴史とのつながり
また、回向院は相撲の歴史とも関わりがあります。1768年から境内で勧進相撲が行われ、これが今日の大相撲の起源となりました。1909年には旧両国国技館が建設され、回向院相撲として知られる時代がありました。1936年には、物故力士や年寄の霊を祀る「力塚」が建立され、相撲界とのつながりも深まっています。
にゃー
東京墨田の両国にある お寺様 回向院
相撲の聖地 両国国技館からも程遠くない所にあるお寺
両国の大きな通りに面してあり 多くの車両が行きかいますが
寺自体は静かで落ち着きある感じのいい寺です
境内に かの有名な大泥棒<鼠小僧>の墓を有し、幾人もの方がお参りに立ち寄っていました^^
山門
本堂
天井絵
鼠小僧 墓
削って持ってると^^
鼠小僧墓前の手水^^ 綺麗に花手水に^^
動物慰霊碑
御朱印
きれいに色づいた銀杏^^
両国の回向院さんにお参りしました😊江戸三十三観音第4番札所です✨日本一の無縁寺!!大火や地震などで亡くなった多くの無縁仏を祀っています🙏寺務所の前にかわいい猫さまがいて出迎えてくれました💓スタッフ皆に可愛がられていてみてるだけで癒されました🤗
今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院
本尊 阿弥陀如来
山号 諸宗山
寺号 無縁寺
正門、仁王像✨
参道✨
正面に本堂✨
「力塚」かつて境内で大相撲が興行されていて、物故力士や年寄の霊を祀っている✨
万人塚に安置されている聖観世音菩薩立像と大銀杏✨
慈母観音✨
境内✨見所がたくさんあります🙏
馬頭観音堂✨
右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれています✨
糸塚✨
安政大地震の六地蔵と奥に水子塚✨
「鼠小僧の墓」✨墓石前の「前立の石」を願掛けしながら削り、出た粉を持っていると願いが叶うと伝えられています😀
猫塚✨
本堂の前にある念仏堂✨
寺務所前にいた猫さま💓
ありがとうございました😊
山号は諸宗山。正称は諸宗山無縁寺回向院。振袖火事と呼ばれる明暦の大火(1657年)の焼死者10万8千人を幕命によって葬った万人塚が始まり。のちに安政大地震をはじめ、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬する。
~ウィキペディアより抜粋~
狭い所にいろいろ凝縮されており、どこに何があるのかよくわからず、案内図を手に何度も同じく所をぐるぐる周りました😅最後は清掃中の住職に教えて頂きました。
正門
案内板
本堂
寺務所入り口
こちらで御朱印頂きました
力塚
勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和5年(1768)のことで、寛政年間を経て文政年間に至るまで、勧進相撲興業の中心は回向院とされてきた。
塩地蔵
参詣者が願い事が叶うと塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきた
鼠小僧の墓①
黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗み、町民の長屋に小判をそっと置いて立ち去った。
鼠小僧の墓②
長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が当時より盛ん。
猫塚①
猫塚②
馬頭観音①
馬頭観世音菩薩像
馬頭観世音菩薩に祈願をこめると、当時最も恐れられた瘧疾や疱瘡にかからないといわれた。
明暦の大火の供養搭
安政の大震災の供養搭①
安政の大震災の供養搭②
浅間山大噴火の供養搭
信州上州地震、奥羽飢饉の供養搭
関東大震災の供養搭
安政大地震の六地蔵
案内図
御朱印(直書き)①
御朱印(直書き)②
23.07.02。JR総武線「両国駅」西口から徒歩3分。墨田区両国2丁目にある浄土宗の寺院。
山号 諸宗山
院号 回向院
寺号 無縁寺
創建 明暦3年(1657年)
本尊 阿弥陀如来
札所 江戸三十三観音霊場
第四番
【縁起】〜回向院HPより〜
江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当時の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。この時、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。
本日2件目の江戸33観音参拝寺院。都合26ヶ寺目。都会の街中にありますが、緑もあり又見所も多々ある良きお寺さんでした。
山門
仁王像(阿形)
(吽形)
参道
勧進相撲発祥の地記念《力塚》
万霊供養塚の大銀杏
↓
聖観世音菩薩立像
平成14年に安置。
本堂遠景
右側ビルは念仏堂と奥に寺務所。直書きの御朱印を拝受しました。
本堂正面
本堂内
↓
本尊・阿弥陀如来
本堂左前に《一柱不動尊》
反射で良く分かりませんでした💦
回向堂
↓
堂内
回向堂前
↓
馬頭観音堂
江戸33観音第4番札所
↓
馬頭観世音菩薩像
お墓群
↓
明暦大火の供養塔
安政大地震の供養塔
右より浅間山大噴火の供養塔・信州上州地震、奧羽飢饉の供養塔・関東大地震の供養塔。
塩地蔵
檀信徒塚(納骨堂)
鼠小僧次郎吉のお墓
↓
長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が当時より盛んで、現在も特に合格祈願に来る受験生があとをたちません。との事です!
猫塚
↓
↓
水子塚
↓
糸塚
竹本義太夫のお墓
念仏堂の隣に自販機
おまけ
JR両国駅西口改札前に
東京都のおすすめ2選🎌
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