えこういん|浄土宗|諸宗山
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楽しみ方回向院のお参りの記録一覧

令和7年(2025年)3月20日(木・春分の日)
東京都墨田区両国の回向院にお参り
駅からハイキングで両国駅周辺を散歩
両国駅で受付をしてからまずは南に向かう。
突き当たりが回向院。「振袖大火」の犠牲者10万人を供養するために建立されたお寺だけれど、その後に起きた地震(関東大震災も含む)や東京大空襲の犠牲者も供養。考えてみれば、東京って、江戸の昔からずっと大災害(人災も含む)が頻発しているわけで、こんなに災害が頻発してきた大都市って、世界で見てもどうなんでしょう。次の大災害でも回向院に新しい無縁仏塚ができる事になると思うけど、それはずっとずっと後のことになってほしい、と思う。
本堂で阿弥陀如来座像を拝んで出てくると、ポスターがあって、浄土宗アプリ「そうだ、浄土宗寺院を巡ろう」というのがあるとのこと。面白い。直ちにインストールしてみる。どうやら位置情報からこの近くにどんなお寺があるかとかがわかるようで、参拝記録をつけるのに良さそう。デジタル御朱印帳というのもあるようだ。(注:このアプリはその後すぐに終了)
本堂の2階では昔の両国を描いた浮世絵(たぶん複製)が展示されている。
この寺の境内には鼠小僧次郎吉の墓があり、削るためのお前立ちもある。鳥居元長の記念碑もある。











両国駅西口より徒歩3分。
馬頭観音様の御朱印がほしくてお参りに行きました。
とても立派な寺院で、江戸時代に多かった火事や両国国技館の相撲にも関係している歴史を感じる寺院でした。
御朱印をいただく待ち時間に本堂に。本堂の阿弥陀如来様はとても大きく慈愛に満ちた姿で庶民を見守ってきた感じがしました。
パンフレットを見ると「鳴き龍」という言葉を発見。見廻してみると本堂前ホールの天井中央部に鳴き龍が描かれていました。縦横3mで天井が高くないのでとても拝見しやすくて、社務所で写真の可否を確認するとOKで手を叩いても良いとのこと。写真を撮れて嬉しくなりましたが、手を叩くのは恥ずかしくて遠慮しました(^o^:
各六観音の御朱印がほしくかりなり、探してもなかなかなかった書入れの馬頭観世音様の御朱印をいただくことができ、とても充実したお参りをすることができました。
山号:諸宗山
宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来
創建年:1657年(明暦3年)
開基:江戸幕府
正式名:諸宗山 無縁寺 回向院
札所等:江戸三十三観音札所 第4番
両国の相撲起源の地:天保四年(1833)より回向院は春秋二回の興行の定場所となり、明治四十二年の旧両国国技館が完成するまでの七十六年間、「回向院相撲の時代」が続いた。

本堂前ホール天井「鳴き龍」

本堂前ホール壁画


本堂


馬頭観音堂

力塚



回向院は場所柄何度も火災にみまわれているので寺宝のほとんどが焼失しています。
よって境内の仏像も新しいものや復元されたものなのだけれど、外にある聖観音菩薩舞像は光背のように見える大銀杏の枝を背に舞い上がっていくようなきれいな像で印象に残っていました。
その像を作ったほとけ師・村上清さんの仏像展が開かれているので行ってきました。講演会にも。
先に展覧会に。
きれいなお顔の仏様が多くて眼福。
至近距離で拝めて触れられるものもあります。
にこやかな布袋尊は、差し出している手と握手すると結縁、ということでそっと触れてみる。葛飾北斎の絵を元に作られた像だそう。
阿吽の供養菩薩は軽やかで、外の聖観音菩薩舞像に通ずる感じ。
さて講演会。
大きな像も作られるのに意外と小柄な方。
平安仏を研究されていたそうで、納得のきれいな仏様たち(私も鎌倉よりも平安仏が好き)。
いろんな御縁でほとけ師になられたのだなあ、と。
山門の仁王像は寄木の檜材を集めるだけで何年もかかり(数センチ大きいだけで格段に入手が難しくなる、でもパーツを大きくして数を少なくしたほうが長持ちする)もう無理かと思う頃に御縁があって入手できたり。
今回、聖光上人像ができた記念なのですが、聖光上人自らが植えたという大楠の枝から作られているのだそう。ほかの像に比べてノミあとの残る荒々しい感じだけれども、これは上人の内面を表していて、彫っているときに上人の「もういいよ」という声が聞こえたそうな。
講演をきいたあとまた展示室に戻って見ました。







江戸三十三観音霊場 4番
回向院は、江戸時代の明暦3年(1657年)に開創された浄土宗の寺院です。東京都墨田区両国2-8-10に位置し、歴史的にも文化的にも重要な意味を持つ寺院として知られています。
歴史的背景
回向院の創立は、江戸を襲った大災害と深く結びついています。明暦の大火(振袖火事)により、江戸の市街の6割以上が焼失し、10万人以上の命が失われました。この悲惨な出来事を受け、当時の将軍徳川家綱の指示により、身元不明の犠牲者のために「万人塚」が設けられ、無縁仏の冥福を祈る大法要を執り行う御堂が建立されました。
回向院の理念
回向院の理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」です3。この理念に基づき、回向院は:
火災や震災などの天災で亡くなった人々の無縁の遺体を手厚く葬る
人間だけでなく、動物の慰霊碑も設置
ペットの供養も行う
境内の見どころ
回向院の境内には、いくつかの興味深い見どころがあります:
力塚: 勧進相撲発祥の地を記念する巨大碑
本堂前ホール: 天井中央部に特殊な音響効果を持つ格子の櫓があり、龍の鳴き声が聞こえるとされる
文化的意義
回向院は江戸時代から明治時代にかけて、様々な文化的役割を果たしてきました:
江戸庶民に尊崇される観世音菩薩や弁財天を安置
全国の有名寺社の秘仏秘像の開帳場所として人気を博す
江戸後期から明治末期まで、勧進相撲の定場所として使用され、「回向院相撲」の時代を築く

江戸三十三観音霊場4番 回向院

山門です

仁王像


力塚





家畜供養塔です。

馬頭観音様





本堂でお経を。



天井に龍

すぐ側に両国国技館。



回向院(えこういん)は、東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺院で、1667年に創建されました。この寺院は、「振袖火事」として知られる明暦の大火(1657年)の犠牲者を弔うために建立されました。この火災では10万人以上が命を落とし、多くが身元不明でした。当時の将軍、徳川家綱は無縁の人々のために「万人塚」という墳墓を設け、亡骸を手厚く葬るよう命じました。これが回向院の歴史の始まりです。
●無縁仏と動物の供養
回向院では、無縁仏や無縁犬猫を供養することを大切にしています。江戸時代から続くこの寺院では、横死者や水死者の供養の他、軍用犬やペットたちの慰霊碑も多数存在します。特に、1793年に設立された「水子塚」は水子供養の発祥地として知られ、毎年2月の第一土曜日には水子総供養が行われています。
●相撲の歴史とのつながり
また、回向院は相撲の歴史とも関わりがあります。1768年から境内で勧進相撲が行われ、これが今日の大相撲の起源となりました。1909年には旧両国国技館が建設され、回向院相撲として知られる時代がありました。1936年には、物故力士や年寄の霊を祀る「力塚」が建立され、相撲界とのつながりも深まっています。








にゃー



















東京墨田の両国にある お寺様 回向院
相撲の聖地 両国国技館からも程遠くない所にあるお寺
両国の大きな通りに面してあり 多くの車両が行きかいますが
寺自体は静かで落ち着きある感じのいい寺です
境内に かの有名な大泥棒<鼠小僧>の墓を有し、幾人もの方がお参りに立ち寄っていました^^

山門


本堂

天井絵


鼠小僧 墓

削って持ってると^^

鼠小僧墓前の手水^^ 綺麗に花手水に^^

動物慰霊碑




御朱印

きれいに色づいた銀杏^^
東京都のおすすめ3選❄️
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