みしまじんじゃ
三島神社
東京都 入谷駅
物件内覧後、まっすぐ歩いていたら導かれました。
今年2回目。
ご縁ができたのでしょうか…
御朱印と共にいただきました。
前回はお菓子をいただきました。
いつも優しい巫女さんです😊
小野寺崎神社から三島神社に向かったのですが、しばらく逆方向進んでしまって…慌てました💦久々にやってしまいました(>.<;))
こちらは、神主さんが落ちてきた雷様を捕まえ封じ込めたという伝説の井戸がある神社さんです✨(写真が無くてスミマセン💦)
いつも手水舎にお花が生けられて、しっとりとした雰囲気の素敵な神社さんです✨🥀
ご朱印は書置きです、日付を巫女さんが書き入れて下さいました🍬
『福』の文字の周りに梅の花が散りばめられ可愛いです🌺
弘安四年元寇の役の砌、勇将河野通有は氏神三島大明神に戦勝祈願して白鷺の瑞祥によって、遂に夷狄を潰滅した。赫々たる武勲を立て、帰陣にあたり夢のなかに神のお告げを受けて、大山祇大明神を武蔵国豊島郡に勧請すべく発願し、分霊を奉じて上野山内の河野氏の館に鎮座した処里人深く尊崇した事に始まると云う。その後慶安三年上野山内から徳川三代将軍家光公より社地移転を命ぜられ、金杉村に社地四石の朱印地を頂き社地替えをした。
更に宝永七年社地が幕府の御用地に指定されたので浅草小揚町(寿町)に換地遷座したが、氏神様が遠くて困るとあって、金杉村、根岸の氏子一同協議の末に根岸の熊野神社に合祀し元三島神社と称し、また金杉村字金杉町にも三島神社を遷座されて今日に至って居ります。当神社の宮司河野氏は代々河野通有の子孫が奉仕して居ります。社殿は昭和二十年三月戦災により焼失。現社殿は昭和三十年氏子各位の真心に依り再建された神明造に向拝を配したものであります。
住所 | 東京都台東区下谷三丁目7-5 |
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行き方 | ・東京メトロ日比谷線「入谷駅」4番出口より徒歩8分
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名称 | 三島神社 |
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読み方 | みしまじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
ホームページ | https://www.mishimajinjya.or.jp/ |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 《主》大山祇命 《配》和足彦神、身島姫神、上津姫命(雷神)、下津姫命(龍神) |
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創建時代 | 弘安四年(1281) |
ご由緒 | 弘安四年元寇の役の砌、勇将河野通有は氏神三島大明神に戦勝祈願して白鷺の瑞祥によって、遂に夷狄を潰滅した。赫々たる武勲を立て、帰陣にあたり夢のなかに神のお告げを受けて、大山祇大明神を武蔵国豊島郡に勧請すべく発願し、分霊を奉じて上野山内の河野氏の館に鎮座した処里人深く尊崇した事に始まると云う。その後慶安三年上野山内から徳川三代将軍家光公より社地移転を命ぜられ、金杉村に社地四石の朱印地を頂き社地替えをした。
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概要 | 三島神社(みしまじんじゃ)は、東京都台東区下谷三丁目にある神社。本社は伊予国一宮で日本総鎮守と称される愛媛県今治市(大三島)の大山祇神社である。 |
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歴史 | 由緒[編集] 弘安4年(1281年)、河野通有は元寇に際し、氏神である三島大明神(大山祇神社)に戦勝を祈願して出陣し、三島大明神の神使である白鷺の導きにより華々しい武勲を挙げたが、その帰陣にあたり、夢の中で武蔵国豊島郡に三島大明神を勧請せよというお告げを受け、上野山内の河野氏の館に奉斎したのが始まりと伝えられる。 慶安3年(1650年)、徳川家光より社地移転を命じられ、金杉村(現在の台東区根岸)に遷座した。さらに宝永7年(1710年)、社地が幕府の御用地となったため、浅草小揚町(現在の台東区寿)に遷された(寿四丁目の本社三島神社)。しかし、氏神様が遠くて困るとして金杉村字金杉町の火除稲荷...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「三島神社 (台東区)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA%29&oldid=97841819 |
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