すわじんじゃ
諏方神社のお参りの記録一覧
諏方台通りに面した南鳥居の前ですでにタイムスリップした様な氣分…
常若ももちろん良いけど、この寂れた佇まいの味わいも格別で速攻惹き込まれた…
ちょっと通りに出ると外国人だらけの土地柄なのに、この異世界感はそっととどめておきたい…
南鳥居⛩️
社務所
社号標
正面一ノ鳥居
目👀合います。
ニノ鳥居からの拝殿
いい感じ…
三宝荒神社
三峰神社
授与所
潜って御嶽神社…?
末廣稲荷神社、錢降稲荷神社←何か凄い社号
眼下に山手線
御神木
日暮里・谷中の総鎮守の神社です。
1202年(元久2年)豊島経泰が長野県・諏訪大社から勧請した
諏訪大社に対して、こちら神社は諏方神社と漢字が違いますが、これは古い神社名とのことで、御社名や古文書等に使用例が見られるとのこと。
天保5(1834)年、諏訪・高島藩に於いては、「諏訪」と書く旨指令が出されるという動きもあり、近年においても全国的に地名、人名などに於いて「諏訪」が通常の表記となる流れがあった。
(現在、全国に数ある諏訪神社分社のうち、数社だけ「諏方」の表記が使われているようだ)
西日暮里駅から歩いて3分程度です。
駅から高架下の道路と諏訪台通りが繋がっているため、当神社は通り道になります。
境内に喫煙スペースがあります。
街に溶け込んでいる神社です。
この近辺はお寺が多いです。
下谷七福神に数えられるお寺が4ヶ寺ほど近くにあります。
書き置きのみ
先日は開放されていた
令和6年(2024年)4月28日(日)
東京都荒川区西日暮里の諏方神社に参拝
西日暮里駅のすぐ近くに諏方神社があるようで、そこはまだお参りしたことがないのでせっかくなので立ち寄ることにする。駅の西側にある坂道を上っていくと、右手に公園があり、さらに進むと小学校への入り口があってそこには高村光太郎の記念碑がある。この小学校を卒業したのだそうです。「正直親切」と彫ってあって、それは光太郎の文字とのこと。石の彫刻もあるのだがそれは違うらしい。紛らわしい。
その先に諏方神社の裏口がある。
ここから西日暮里駅を見下ろせるし、駅の音が結構聞こえてきて賑やか。
拝殿脇には御嶽山もある。
御朱印をいただく。書き置きのみ。500円
西日暮里駅が見える諏訪台上に鎮座しています。西日暮里公園脇の坂を線路沿いに上がり西の鳥居から入りましたので、いったん参道を表参道鳥居まで戻りました。駅近で、駅へ行くルートになっているためか、ちらほら参拝客がみえます。
境内は思ってた以上に広く、境内からは山手線が見えます。江戸の町は起伏が多く、昔は気色が良かったのだろうと思いを馳せました。生憎と開けているのは東側なので富士山は見えません。もしかしたらスカイツリーが見えるのかもしれませんが未確認です。社殿は境内より高くなっており正面以外にも東西に石段・鳥居がありました。まだ今の時期は御朱印は書置き対応と云うとのことでしたがご亭衛に対応していただきました。帰りは東側鳥居より地蔵坂を下って行きました。
鳥居
社号碑
社号標
鳥居
参道
狛犬
忠魂碑
神輿庫
境内からの眺望
御神木
地蔵坂鳥居
地蔵坂
手水舎
天保二年奉納の水盤
境内社鳥居
境内社 末廣稲荷神社、銭降稲荷神社
狛犬
灯籠
神楽殿
石段と鳥居
狛犬
拝殿
本殿
天水桶
境内社 三宝荒神社
境内社 三峯神社
境内社 御嶽山大神・八海山大神・三笠山大神
鳥居
東京都荒川区に鎮座する神社で日暮里・谷中の総鎮守である。諏訪大社を本社とする諏訪信仰の神社のひとつ。
例祭は毎年8月、境内や周辺の道路に露店が立ち並び、多くの人々で賑わう。また、3年に一度の御神幸祭と呼ばれる大祭では本社神輿が町内を渡御する。
元久2年(1202)の創建で、豊島経泰が諏訪大社から勧請したという。
文安年間(1444~1499)に太田道灌より社領の寄進を受け、その後、徳川三代将軍家光から社領5石の朱印を与えられ、江戸幕府も追認した。社殿はもとは山の麓にあったというが、寛永12年(1635)に山上が開削された際に現在地に遷座した。
江戸時代は谷中町や日暮里村の総鎮守として崇められており、谷中町を担当していた町火消「れ組」が奉納した鳥居や狛犬が現存している。
明治時代になると、旧新堀村、現在の日暮里地区、および谷中村の総鎮守として、近郊の人々に篤く崇敬されるようになった。
昭和20年(1945)3月の空襲で被災したが、昭和27年(1952)復興した。
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