かやでら|浄土宗|池中山(ちちゅうざん)
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浄土宗 池中山(ちちゅうざん) 盈満院(ようまんいん) 榧寺(かやでら)
先日投稿しました蔵前神社のすぐ北側に位置しています。
とても大きなお寺、というわけではないですが『榧寺』という名になんとなく惹かれて参拝させていただきました。
こちらも早朝だったため、御朱印はいただいておりません。
開山: 普光観智国師(増上寺中興)
本尊: 阿弥陀如来三尊
<縁起>浄土宗大辞典HPより
享禄から天正(一六世紀)の頃、念仏僧が隅田川の洲上に草庵を結び池中庵と名づけ、境内に榧の巨木があったことから榧寺と呼ばれていた。慶長四年(一五九九)源誉存応により浄土宗寺院として開山され、池中山盈満ようまん院正覚寺と号したが、太平洋戦争後、通称であった榧寺を正式名とした。国学者・石川雅望の墓のほか、浮世絵の石川豊信、窪俊満、勝川春亭、義太夫初代竹本綾之助を始めとする歌舞伎役者や力士、近世洋画家の巨星安井曽太郎の墓などがある。幕末には彰義隊の別隊である龍虎隊の屯所になって落語「蔵前駕籠」の題材となり、ボストン美術館所蔵の葛飾北斎版画には「榧寺の高灯籠」が描かれている。
山門越しに見える本堂はモダンな建物です。
本堂扉には大きな葵の紋
榧寺開山の観智国師は徳川家康公と深い関わりがあるようです。
葛飾北斎絵「榧寺の高灯籠」
飴なめ地蔵尊とお初地蔵尊、左端には恵比寿さま
厄除け地蔵尊
榧寺縁起碑
なんとか頑張って写真に収めたかったのですが、ガラスに反射して駄目でした。
まだ青いザクロがたくさん実っていました
🌸榧寺(かやでら)に御参拝させて頂きました🙏 🌼東京都台東区にある浄土宗の寺院。☘️慶長4年(1599年)、普光観智国師によって開山された。元々は「池中山盈満院正覚寺」という名称であったが、境内に榧の木が茂っており、火災から寺を守ったという逸話から、江戸時代より「榧寺(かやでら)」と呼ばれていた。1952年(昭和27年)に正式名称も「榧寺」となったそうです。
🌺今から4百年程前、1575年頃、浅草より少し下流の隅田川のほとりに、樹齢1000年の榧の大木が立っていた。そこには小さな庵があり、一人の僧が毎日村人たちと念仏をしていたそうです。
🌻ある日山伏がやって来て、榧の実を賭けて碁の勝負を申し出た。榧寺の僧が負け、山伏は榧寺の榧の木の本体を、遠江(伊豆半島)の秋葉山に移してしまった。翌年から伊豆の秋葉山の榧の木は、たくさんの実をつけました。
☘️山伏は榧寺にやってきて、彼は秋葉大権現という火の神だと告白し、榧の実のお礼に、このお寺を火事から守る約束をした。また、この地がやがて国の中心になるだろうと予言したそうです。
🙏予言通り、江戸幕府が開かれ、将軍家康公の葬儀を執り行った観智国師が第一世となり、浄土宗の立派な寺が建てられました。
🔸享保年間(1716-1736)の火事では、榧の大木が焼け、その根で秋葉大権現像が作られた。その後何度も江戸は大火事に見舞われたが、寺の門前で火は止まり、沢山の人々の命が助かった。 🍀この縁起は文化11年(1814)榧寺の檀徒であった石川雅望(国学者、狂歌師としての宿屋飯盛、文章家として六樹園の号あり)の書いた縁起並に文政4年(1821)に栗原信充が描いた絵をもとにして記述したものだそうです。
🍁所在地: 東京都台東区蔵前
3丁目22−9
名称 | 榧寺 |
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読み方 | かやでら |
参拝にかかる時間 | 5分 |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 03-3851-4729 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来三尊 |
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山号 | 池中山(ちちゅうざん) |
院号 | 盈満院(ようまんいん) |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 慶長4年(1599年) |
開山・開基 | 開山:普光観智国師(増上寺中興) |
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