だいせんじ|天台宗|清林山
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正式名:清林山和光院大泉寺
慶長16年(1611)、浅草新堀東光院の末寺として権大僧都慶賢法印により神田北寺町に創建された。のち寺地が御用地となったため、慶安元年(1648)に現在地へ移転した。
その後、幾度の災禍に見舞われるが、その都度再建され、関東大震災や戦災も無事くぐり抜け、平成元年以降、山門の再建や本堂・客殿の屋根瓦葺替、客殿の増改築などの復興整備工事が進められ、寺観が一新された。
🍁瓦屋根を乗せた立派な山門をくぐると、まさにこれぞお寺という風格‼️ ☘️どっしりした本堂が目にはいる🙏
🌼清林山和光院大泉寺(だいせんじ)⛩️ 🔹当寺は、谷中墓地近くの寺町の一角にあります。明治戊辰戦争の折り焼失した山門は、平成3年に再建されました。その山門をくぐると、正面の本堂を中心に、左に客殿、庫裏、右には墓参用休憩所、水屋などが配されています。
🔸慶長16年2月15日、浅草新堀東光院の末寺として神田北寺町に、権大僧都慶賢法印によって創建されました。のち寺地が御用地となったため、慶安元年11月21日現在地に移され今日に至っております。その間幾度となく災禍にあいました。6世豪栄法印の代の元禄16年11月類焼しましたが、幸い7年後の宝永7年秋に客殿が新造されました。また明和9年2月の大火では、土蔵以外すべてを焼失、直ちに客殿・庫裏の再建に着手し、完成を目前に再び延焼の悲運に見舞われました。しかし、伊賀屋宇右衛門が大施主となり、9世良弁法印の代の安永9年に本堂・客殿・庫裏が無事再建されました。その建物も関東大震災により倒壊しましたが、18世信道和尚は苦心の末、昭和6年に本堂、同9年には客殿・庫裏の復興を成し遂げました。戦災も無事くぐり抜け、平成元年以降、山門の再建、本堂・客殿の屋根瓦葺替、客殿の増改築などの復興整備工事が進められ、寺観を一新しました。
🔸寺町谷中は、岡倉天心が日本美術院を旗揚げした地でもありますが、そのきっかけは明治31年の「美校騒動」でした。美校校長の職にあった天心は、怪文書により誹謗中傷の恰好の餌食となり辞任に追い込まれました。天心を慕い、この事件に憤慨した橋本雅邦、高村光雲ら教授34名は、総辞職することを決意し、その声明を発表しましたが、その一大事に集合した場所が、大泉寺でした。当寺は明治の日本美術勃興期の大切な舞台ともなったのです。
場所⛩️ : 東京都台東区谷中6-2-13
名称 | 大泉寺 |
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読み方 | だいせんじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 03-3821-5504 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 清林山 |
院号 | 和光院 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
開山・開基 | 開山 宣高法印 |
ご由緒 | 大泉寺は、宣高法印が開山となり慶長16年(1611)神田北寺町に創建、慶安元年(1648)当地へ移転したといいます。 |
体験 | 御朱印 |
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