せんそうじ|聖観音宗|金龍山
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浅草寺の境内・文化財
本堂 | 和様三手先 入母屋造り | |
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文化財 | 法華経10巻(国宝)
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境内詳細情報
浅草寺の建築物
雷門
赤い大提灯が特徴的な浅草寺の総門は、雷門の名で親しまれる東京有数の観光名所です。
正式名称は風雷神門であり、門の左右には風神と雷神の像を安置。
本瓦葺きで、切妻造り八脚門(はっきゃくもん)という、4本の本柱の前後にあわせて8本の柱を建てる建築様式です。
天慶5(942)年、武蔵守の平公雅(たいらのきみまさ)が伽藍を建立した際に建てられた総門が現在の形の原型と考えられています。
建立以来、度重なる火災や戦災によって何度も焼失と再建を繰り返しました。
現在の雷門は昭和35(1960)年に松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助によって寄進されました。
本堂(観音堂)
本堂にはご本尊の聖観世音菩薩が安置されています。
本堂内にある御宮殿(ごくうでん)のなかの厨子内にいらっしゃる聖観世音菩薩は絶対秘仏であり、誰もお姿を拝することができません。
現在の本堂は第二次世界大戦での焼失後、昭和33(1958)年に再建されたものです。
宝蔵門(仁王門)
雷門をくぐり仲見世を抜けた先にある山門。
左右に仁王像が安置されていることから、もともとは仁王門と呼ばれていましたが、内部に経典や寺宝が収められているために現在は宝蔵門と呼ばれます。
天慶5(942)年、武蔵守の平公雅(たいらのきみまさ)が伽藍を建立した際に仁王門も建てたのがはじまりとされています。
現在の宝蔵門は、第二次世界大戦による焼失を経て、昭和39(1964)年に大谷重工業社長の大谷米太郎ご夫妻の寄進によって建てられました。
本堂側には山形県村山市の有志から奉納された高さ4.5mものわらじがかけられています。
魔除けのため「これほど大きなわらじを履く仁王さまがこの寺を守っている」と示しています。
二天門
国の重要文化財に指定されている、本堂の東にある朱塗りの美しい門。
慶安2(1649)年に創建され、戦災を逃れ現在に至ります。
右に持国天、左に増長天が安置されています。
五重塔
戦災による焼失を経て、昭和48(1973)年に再建された朱塗りの塔。
スリランカの寺院から奉納された仏舎利(お釈迦さまの骨)が安置されています。
江戸時代は五重塔が浅草を代表する建築物として親しまれ、数々の錦絵に描かれました。
伝法院
戦災を逃れ、江戸時代の姿を残す美しい庭園。
浅草寺の住職の本坊(住まい)として作られ、京都の二条城の庭園などを手掛ける作庭家・小堀遠州(こぼりえんしゅう)が築庭したと伝わります。
庭園は名勝庭園に、客殿・玄関・大書院・小書院・新書院・台所の6棟は国の重要文化財に指定されています。
影向堂(ようごうどう)
浅草寺の御前立(おまえだち)本尊を奉安した中興開山の慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)のご生誕1200年を記念して、平成6(1994)年に建立されました。
影向とは、神仏が人間の世界に姿を現すこと。
浅草寺では、ご本尊の聖観世音菩薩の教えを守り協力されている仏さまを影向衆と呼び、影向堂でおまつりしています。
お堂のなかは内陣と外陣に分かれ、
内陣の須弥壇中央では聖観世音菩薩、左右に千手観音、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩、大日如来、不動明王、阿弥陀如来が、
外陣では浅草名所七福神の大黒天がおまつりされています。
また、影向堂は浅草寺の朱印所でもあり、参拝の証として「聖観世音菩薩」と「大黒天」の御朱印をいただけます。
仲見世(なかみせ)
浅草寺の参道であり、雷門から宝蔵門までの約250mの道の両側に、合わせて89の商店が立ち並びます。
朱塗りと電飾看板で統一された店舗には四季に合わせた装飾がほどこされ、国内外からの参拝者で賑わいます。
仲見世は日本で最も古い商店街のひとつです。
江戸時代前期、江戸の人口増加にともなって、浅草寺境内の掃除をしていた近隣の人々に参道上に出店する特権が与えられ、商店街ができました。
浅草寺の境内・文化財の写真一覧
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