しんじょういん|天台宗
心城院のお参りの記録一覧(2ページ目)

湯島天満宮様の男坂を降りて10m位?の所にある心城院様もお参りさせていただきました😊
休憩時間だったのか人の気配がしなかったのでお参りだけしました🙏🏻
☆御本堂☆

お彼岸の真っ最中で、お寺様も大忙しかとは思いましたが、
江戸三十三観音・全制覇を目指し、一つ目は、湯島の心城院へ…
【三十三観音は残り7寺。ほぼ上野の西側に集中のため一日で廻りきれるハズ…】
お寺は、男坂の登り口にあり、こぢんまりとした構え。
水琴窟の音がとにかくイイ音。参拝される方は是非お試しを!!
近くには湯島天神があるので、お参りに行くと卒業シーズンのため、
参拝者が目白押し状態でした。この写真は男坂の上から…
本堂です
入って右の池。亀を捕るな!! の、張り紙
水琴窟 イイ音がして、癒やされます。
扁額
水琴窟の反対には、美髪の泉がありましたね…
御朱印です。直に書いて頂けました。

小野照崎神社様から湯島天満宮様へ向かう途中でお詣りしました😊
【心城院】
湯島天神の別当寺であった天台宗喜見院の「宝珠弁財天堂」と称されていました。ときに元禄7年(1694年)年、喜見院第三世·宥海大僧都が、道真公とご縁の深い歓喜天(聖天さま)を弁財天堂に奉安したのが当山の開基で、尊像は比叡山から勧請した慈覚大師円仁作と伝えられております。当時は、現在の湯島天神男坂下が湯島天神の表門にあたり、太田道灌の御殿·皓月亭跡とも伝えられています。享保のころ、寺門維持のため幕府から「富くじ」が発行されました。江戸では、谷中感応寺(現·天王寺)、目黒瀧泉寺(目黒不動)、喜見院(湯島天神)が「江戸の三富」と言われ、大いに賑わいました。
当時の喜見院はかなりの境域がありましたが、明治維新の神仏分離令で惜しくも廃寺となりました。当然、弁財天堂もその影響を受けるところでしたが、聖天さまの御加護により湯島天神との本末関係を断つのみで、奇跡的に廃仏の難を逃れました。
単独の寺院として歩み出した当山は、建立当時の因縁により天台宗に属し、寺名を「心城院」と改めました。
当山は、開基以来幾度となく発生した江戸の大火や関東大震災、東京大空襲の戦火にも遭うことなく法灯を伝えてきました。しかし、約300年の風雪に耐えた本堂や庫裏は老朽化が甚だしくなり、近年に改修され寺観を一新しました。
☆御本堂☆
☆荼枳尼天社☆
五穀豊穣·商売繁盛の守り神
☆八体地蔵☆
上野浄名院の八万四千体地蔵尊のうち、当山に勧請された八体の地蔵尊。
☆ほほえみ地蔵☆
☆水琴窟☆
水琴窟は、茶人であり作庭家としても有名な、小堀遠州(1579年~1647年)が初めて造ったと云われています。
当山の水琴窟に流れる水は、厄除けの江戸名水「柳の井」の霊水です。この水を柄杓ですくい、中央の石へ流してください。したたり落ちた水が地中に埋めた甕の中で反響し、あたかも琴を奏でたような妙なる音が私たちを楽しませてくれます。癒しを与えると同時に、厄難をも拂ってくれることでしょう。聴きづらいときは、脇の聴き竹に耳を添えて下さい😊
この水琴窟は、さいたま市の株式会社東農園・山下利隆様の「都心の由緒正しい古寺で心穏やかなひと時を感じていただきたい」という思いにより、放生池改修工事を記念し、奉納されました。
☆柳の井☆
当山には、江戸名水「柳の井」があることから、「柳井堂(りゅうせいどう)心城院」と称されています。
江戸時代の文献『江戸砂子』·『御府内備考』·『紫の一本(ひともと)』·『江戸志』などの「柳の井 男坂下」の項に、「この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ垢落ちる。気晴れて、風新柳の髪をけずると云う心にて、柳の井と名付けたり」と記されています。
「柳の井」は古来より水枯れもなく、数滴髪に撫でれば水が垢を落とすが如く、髪も心も清浄になり降りかかる厄難を拂ってくれると伝えられています。この霊水の美髪·厄除けのご利益を求め、日々参拝者が訪れています。
また、関東大震災の時には、湯島天神境内に避難した多数の罹災者の生命を守った唯一の水として、当時の東京市長から感謝状を受けました。(指定 文京区防災井戸)
ーお水取りの方へー
この水は飲料可能ですが、持ち帰って飲む場合は、なるべく煮沸してからお飲み下さい😊
☆放生池(心字池)☆
江戸時代の文献『江戸志』の「宝珠弁財天 男坂下」の項に、「江戸砂子にいう、此所の池は長井実盛(ながいさねもり。後に斉藤別当実盛になる)庭前の池と伝う。昔は余程の池なりしを近世其の形のみ少しばかり残りたり」と記され、かつての池は太鼓橋が架かる程の規模だったようです。
この池の水源は「柳の井」で、元禄の昔から病気平癒などの祈願で縁起の良い亀を放し、「亀の子寺」として親しまれておりました。
作家の久保田万太郎(明治22年~昭和38年)は、この池の亀を眺めて一句、
「きさらぎや 亀の子寺の 畳替」と詠みました。
元の池は亀の冬眠にも適した泥池でしたが、近年、周囲の都市化により池の水が抜け、亀の放生が困難となりました。
かねてより亀池の復活を望む声が多く寄せられ、平成23年10月、篤信者や縁者の寄進により一部改修工事が行われ、心城院の「心」の字形を模した「心字池」が完成しました。同年11月20日には放生会が行われ、60余名の方々により亀や金魚が放され、「亀の子寺」らしい賑わいをみせた一日となりました。
平成24年には、準絶滅危惧種のニホンイシガメの五つ子がこの池で産まれました。
今年もカメ🐢が生まれましたぁ
通年御朱印
右 『大聖観喜天』
左 『十一面観世音』
背景は天神石坂(天神男坂)😊
ここを上がると湯島天満宮様の境内にでます。

21.12.27。先の湯島天満宮様の男坂下にある天台宗の寺院。
《別称:湯島聖天)
《江戸三十三観音霊場第七番札所》
正式名:柳井堂 心城院
(りゅうせいどうしんじょういん)
開 創:元禄7年(1694年)
開 山:宥海大僧都
本 尊:大聖歓喜天
当山は元々、湯島天神の別当寺であった天台宗喜見院の「宝珠院弁財天堂」と称されていました。ときに元禄7年、喜見院第三世宥海僧都が、道真公とご縁の深い歓喜天(聖天さま)を弁財天堂に奉安したのが当山の開基で、尊像は比叡山から勧請した慈覚大師円仁作と伝えらています。(中略)
喜見院は明治維新の神仏分離令で惜しくも廃寺となりました。弁財天堂もその影響を受けるところでしたが、聖天さまのご加護により湯島天神との本末関係を断つのみで奇跡的に廃仏の難を逃れました。その頃から「心城院」と改めました。(後略)
〜当山HPより〜
本日ラスト箇所。「江戸33観音霊場巡り」その18として参詣。入り口入ってですぐ本堂があります。境内は箱庭的で何かと案内表示あったりで、参詣者に寄り添う心配りを感じる良き雰囲気のお寺さんでした。
札所。
ご本尊。
本堂遠景。
本堂正面。
柳の井説明板。
柳の井
江戸名水の一つ。
本堂右手にお地蔵様。
奥には稲荷社。
つくばい。
宝生池案内板。
入り口入って右手の宝生池。
入り口入って左手に
境外(湯島天神・男坂下)に地蔵堂。
↓
?
本堂左手に寺務所。
こちらで御朱印を拝受しました。
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