ゆしまてんまんぐう
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湯島天満宮のお参りの記録(2回目)
投稿日:2022年10月03日(月)
参拝:2022年10月吉日
心城院様から男坂を上がって、湯島天満宮様へ行きました😄
前回のお参りは3月。「梅まつり」と「湯島ねこまつり」が重なっていて初詣かと思うほど人だらけでしたが、今回はお宮詣りと結婚式が行われていて、一般参拝の人はそれほどいませんでした😄
【湯島天満宮】
湯島天神は、雄略天皇二年(458年)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355年)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478年)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590年)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌19年11月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者·文人の参拝もたえることなく続き、林道春·松永尺五·堀杏庵·僧堯恵·新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
明治五年(1872年)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885年)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
元禄十六年(1703年)の火災で全焼したので、宝永元年(1704年)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営されました。
前回のお参りは3月。「梅まつり」と「湯島ねこまつり」が重なっていて初詣かと思うほど人だらけでしたが、今回はお宮詣りと結婚式が行われていて、一般参拝の人はそれほどいませんでした😄
【湯島天満宮】
湯島天神は、雄略天皇二年(458年)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355年)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478年)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590年)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌19年11月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者·文人の参拝もたえることなく続き、林道春·松永尺五·堀杏庵·僧堯恵·新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
明治五年(1872年)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885年)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
元禄十六年(1703年)の火災で全焼したので、宝永元年(1704年)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営されました。
☆御本殿☆
☆御拝殿と御本殿☆
左の木で隠れてしまっていますが、花嫁さんの写真撮影が行われていました👰
左の木で隠れてしまっていますが、花嫁さんの写真撮影が行われていました👰
☆手水舎☆
☆撫で牛☆
天神信仰の中でも、天神さまと牛とは切っても切れないものがあり、古くより様々な縁起·伝承を見ることが出来ます。
道真公は承和十二年六月二十五日乙丑の年に、ご生誕になり、延喜三年二月二十五日の丑の日に薨ぜられ、また「菅家聖廟略伝」には、菅公自ら遺言をされ、「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」とあり、その牛は、黙々と東に歩いて安楽寺四堂のほとりで動かなくなり、そこを御墓所と定めた、と書かれています。
ほかにも、天神さまと牛との関わりについて数多く見られ、道真公がいかに深く牛を慈しんでいたかも窺われます。
このようなことから当神社の境内には石造りの臥牛があり、牛の角をなでていく方、手を合わせていく方、鼻が悪いといって鼻をなで、足が悪いのでと足をなでていく方、・・・・・と多くの方々から「撫でうし」として信仰されています
天神信仰の中でも、天神さまと牛とは切っても切れないものがあり、古くより様々な縁起·伝承を見ることが出来ます。
道真公は承和十二年六月二十五日乙丑の年に、ご生誕になり、延喜三年二月二十五日の丑の日に薨ぜられ、また「菅家聖廟略伝」には、菅公自ら遺言をされ、「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」とあり、その牛は、黙々と東に歩いて安楽寺四堂のほとりで動かなくなり、そこを御墓所と定めた、と書かれています。
ほかにも、天神さまと牛との関わりについて数多く見られ、道真公がいかに深く牛を慈しんでいたかも窺われます。
このようなことから当神社の境内には石造りの臥牛があり、牛の角をなでていく方、手を合わせていく方、鼻が悪いといって鼻をなで、足が悪いのでと足をなでていく方、・・・・・と多くの方々から「撫でうし」として信仰されています
☆三天·火伏三社稲荷社☆
☆宝物殿☆
☆狛犬様☆
☆銅鳥居⛩️☆
一礼して次は、湯島ねこまつりを楽しみながらねこまつり神社様と妻恋神社様へ行ってきます😺
一礼して次は、湯島ねこまつりを楽しみながらねこまつり神社様と妻恋神社様へ行ってきます😺
通年御朱印
すてき
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