ゆしまてんまんぐう
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湯島天満宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年02月21日(日)
参拝:2020年2月吉日
湯島天満宮は、文京区湯島にある神社。旧社格は府社で、現在は神社本庁の別表神社。東京十社の一社。旧称は「湯島神社」で、通称は「湯島天神」。東京の代表的な天満宮で、学問の神・菅原道真を祀っている。また境内の梅が有名。
社伝によると、雄略天皇の458年、天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀る神社として創建。南北朝時代の1355年、住民の要請により菅原道真を勧請して合祀。江戸期には徳川家、学者・文人の崇敬を受けた。また、江戸中期には富籤(とみくじ)の興業が盛んに行われ、谷中の感應寺、目黒の瀧泉寺とならび<江戸の三富>の一つと呼ばれた。
当社は、春日通り沿いの<切通坂(きりとおしざか)>の頂上付近にあり、地下鉄・湯島駅か上野広小路駅から徒歩3分ほどの小高い場所にある。境内は広くはないが、大きな社殿に大きめの社務所、多くの摂末社、大量の絵馬掛け、狭い庭には梅の花と石碑が林立といった感じで、さらに週末には参道に屋台委が立つ。良い意味で、すごく集約感、ぎっしり感があり、じっくり見ると時間がかかる。
参拝時は週末の夕方、ちょうど<梅まつり>の開催中で、まだコロナ禍の意識が浸透していない時期だったこともあり、大勢の参拝者が来ていた。
社伝によると、雄略天皇の458年、天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀る神社として創建。南北朝時代の1355年、住民の要請により菅原道真を勧請して合祀。江戸期には徳川家、学者・文人の崇敬を受けた。また、江戸中期には富籤(とみくじ)の興業が盛んに行われ、谷中の感應寺、目黒の瀧泉寺とならび<江戸の三富>の一つと呼ばれた。
当社は、春日通り沿いの<切通坂(きりとおしざか)>の頂上付近にあり、地下鉄・湯島駅か上野広小路駅から徒歩3分ほどの小高い場所にある。境内は広くはないが、大きな社殿に大きめの社務所、多くの摂末社、大量の絵馬掛け、狭い庭には梅の花と石碑が林立といった感じで、さらに週末には参道に屋台委が立つ。良い意味で、すごく集約感、ぎっしり感があり、じっくり見ると時間がかかる。
参拝時は週末の夕方、ちょうど<梅まつり>の開催中で、まだコロナ禍の意識が浸透していない時期だったこともあり、大勢の参拝者が来ていた。
鳥居と社号標。主要道路の裏側にあるので、場所がちょっと分かりにくい。
鳥居をくぐって参道を進むと左側に現れる、天満宮の必須アイテム<撫で牛>。
進むと参道の左手に<手水舎>。
撫で牛、手水舎の対面にある<宝物殿>。
手水舎近くから、社殿に向くとこんな感じ。人が多い。
手水舎近くから、振り向くとこんな感じ。人が多い。
時代を感じる<狛犬(左)>。いかにも江戸期っぽい。
<狛犬(右)>。年季もすごいし、デザイン・様式がいい感じに古い。
賑わう<拝殿>。
参道から提案に入ってすぐの場所にある<奇縁氷人石>。簡単に言うと江戸時代の「迷子お知らせ石標」。それだけ人がたくさんいて、賑わっていたということらしい。
庭園全景。梅は5分咲きぐらいかな。<梅園>を中心に境内には300本ほどの梅の木があり、その80%が白梅なんだとか。
最も咲いていた梅の木。
庭園の脇にある社務所・授与所。御朱印はこちら。
社務所の左手にある出入口<唐門>。
地下鉄・本郷三丁目駅から春日通を歩いてくると、<切通坂>の上の交差点に大きな鳥居がある。ここから最寄りの入口は、上の<唐門>。
さすが<東京No.1の学問の神様>。絵馬の数が半端なく、まるで<龍>のよう。社殿の周りには、写真のような<龍>が4、5列ほどある
社殿裏の<枝垂れ梅>。ほのかな桃色がきれい。
拝殿裏の端にある末社<笹塚稲荷神社>。
拝殿裏の端にある摂社<戸隠神社>。笹塚稲荷神社の右側にある。
摂末社の脇にある門。この階段を<夫婦坂>という。上野駅や御徒町駅から春日通りを歩いてくるとこちらに着く。
すてき
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