天台宗
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久しぶりの華徳院さんです。
コロナ禍の間、このエリアには良く歩きに来て,たくさんあるお寺さんにお参りしてい
た中の一つです。その後も、年に一度はお参りにきていますが投稿はしていませんでした。
昨年このエリアのお寺の境内で、時々伺う阿佐ヶ谷のカフェの方から、うちのお店も出店します^_^と言う青空マルシェがあり、ぶらぶらと行った時、こちらの近くだったので帰りに寄ろうと思っていたのに、うっかり妙法寺さんの方へ回って帰ってしまい、また改めて…と思いながら年越して早三月…
昨日は、出先の用事が済んだあと最初にこちらに行きました。
御朱印は,以前から8枚目の写真にもあるようなことで、1月,7月のそれぞれ16日、この二日間のみ書き置き御朱印を頒布されますが、文章を思い出す度なんとなく申し訳ない気持ちになり、この二日間以外の時にお参りだけさせて頂いています。
こうして開けていて下さり、自由にあがって参拝させて頂けるご配慮はとても有り難いことです。
とは言え、自分自身いつ迄こうして寺社巡りができるかも分からないので、今年の夏は頂きに行こうかな…当日になったら考えすことにします^_^:

華徳院は、称光山長延寺と号する天台宗の寺院で、本尊は閻魔王像である。もとは下野国佐野(現在の栃木県佐野市)に創建され、江戸時代には「江戸三閻魔」の一つとして信仰を集めた。
● 華徳院の創建と移転の歴史
9世紀、天台宗の高僧・慈覚大師円仁によって下野国佐野に開山された。当初の寺号は理正院長延寺であった。その後、天正年間(1573年~1592年)に武蔵国霞ヶ関(現・東京都千代田区)へ移転し、さらに慶長年間(1596年~1615年)に浅草蔵前へと再転した。
● 江戸時代の発展と「江戸三閻魔」
寛保3年(1743年)、寺格が大寺に引き上げられ、翌延享年間(1744年~1748年)に寺号を華徳院と改めた。これは大檀那である堀丹後守直時(1643年没)の法名に由来する。江戸時代には、新宿・太宗寺、巣鴨・善養寺とともに「江戸三閻魔」の一つとして広く知られ、特に正月と7月16日の大斎日には多くの参拝者で賑わった。
● 本尊・閻魔大王と仏像
華徳院の本尊・閻魔大王像は、大仏師・運慶の作と伝えられた。また、姥堂には本尊と同じ木から造られた奪衣婆像があり、さらに聖徳太子作とされる化馬地蔵尊も祀られていた。これらの仏像が安置されていたことから、華徳院は「蔵前の閻魔堂」とも呼ばれた。
● 関東大震災と戦禍による焼失
大正12年(1923年)、関東大震災により本堂が焼失し、閻魔大王像をはじめとする諸仏も失われた。その後、日光輪王寺から閻魔大王を迎え、蔵前の旧地に新たな堂宇を建立した。しかし、昭和20年(1945年)の戦災でこの堂宇も焼失したが、閻魔大王像は奇跡的に焼失を免れた。
● 現在の華徳院
大正2年(1913年)から杉並区松ノ木へ墓地の移転が進められていたため、大正12年の震災後、昭和4年(1929年)に本堂が杉並に再建された。本尊には、新宿区牛込にあった千手院行元寺の閻魔大王像が迎えられた。現在、華徳院は閑静な住宅街の中にあり、江戸時代の賑わいとは異なり、静かに本尊会が営まれている。また、境内には江戸期の句碑や無縁塔、石仏63体が残されている。

閻魔詣、5か所目は東京都杉並区の華徳院様。
江戸三閻魔の一つ。
お堂に上がって、お参りすることができます。
華徳院様には閻魔像が2体いらっしゃいます。
こちらは、ご本尊として祀られている閻魔様。
お堂の右の間にも閻魔様がいらっしゃいます。
目の前に座って参拝することができます。
閻魔様を目の前にすることは、なかなか無い経験です。
ちょっと緊張します😅
御朱印は書置きで頂きました。
ちょっと大きいので、うまく貼れそうにありません😅
名称 | 華徳院 |
---|---|
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 03-3311-7590 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
宗旨・宗派 | 天台宗 |
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