いけがみほんもんじ|日蓮宗
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楽しみ方池上本門寺のお参りの記録一覧
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最寄り駅、東急池上駅徒歩10分(都営浅草線泉西馬込駅から徒歩約15分)
奥絵師・狩野家の菩提寺で狩野派の作品が見れるようなので訪れました。霊宝殿の入場料は300円。霊宝殿の拝観できるのは一室だけで狩野派の絵はあまり多くなかったですが龍と虎の絵を拝観することができました。
受付の人に狩野派の平安時代〜の作品が京都に沢山あり同じか聞いてみると、江戸時代に引っ越してきたと教えていただきました。
菩提寺だった池上本門寺には、奥絵師・狩野家の墓所が90基ほど点在しているそうです。
山号:長栄山
院号:大国院
宗派:日蓮宗
寺格:大本山
本尊:三宝尊
創建年:1282年(弘安5年)
開山:日蓮
開基:池上宗仲
正式名:長栄山大国院本門寺
札所等:日蓮聖人霊跡
東国花の寺百ヶ寺東京4番



本堂で上を見上げると立派な龍が見られます。ご住職に教えてもらいました。
東京都大田区池上に位置する池上本門寺(いけがみほんもんじ)は、日蓮宗の大本山であり、長栄山を山号、そして大国院を院号としています。日蓮入滅の霊場としても知られ、日蓮宗の十四霊蹟寺院の一つ、さらに七大本山の一つとしても位置付けられています。
●歴史の背景
池上本門寺の歴史は、弘安5年(1282年)にさかのぼります。この年、病を抱えた日蓮聖人は身延山を出発し、湯治のために常陸(現茨城県)へ向かいました。9月18日、武蔵国池上郷(現在の大田区池上)にある池上宗仲の館に到着し、ここでの20数日間を過ごします。日蓮は同年中に、池上氏館の背後にある山上に建立された一宇を開堂供養し、これを「長栄山本門寺」と名付けました。この出来事が、池上本門寺の起源とされています。
日蓮は同年10月13日に没し、池上宗仲は法華経の字数(69,384)にちなんで六万九千三百八十四坪を寺領として寄進しました。これにより、寺院の基礎が築かれ、以後「池上本門寺」と呼ばれるようになりました。日蓮の弟子である日朗がその後、本門寺を継承します。
●武士の庇護と栄華
池上氏館の居館は本門寺の西側の谷一帯にあったと考えられており、今は池上氏館内に建立された持仏堂(法華堂)が本門寺の子院・大坊本行寺の境内として残っています。池上本門寺は、鎌倉時代から室町時代にかけて関東武士の庇護を受け、近世には加藤清正や紀伊徳川家などの諸侯の祈願寺としても栄えました。
江戸時代に入ると、不受不施派を奉じる本門寺は身池対論を経て、久遠寺の傘下に入ることになります。残念ながら、第二次世界大戦の空襲で多くの堂宇が焼失しましたが、五重塔、総門、経蔵、宝塔は無事でした。その後、戦後に順次復興が進められました。





令和6年(2024年)5月18日(土)
東京都大田区池上の池上本門寺に参拝
「駅からハイキング」で大森駅から蒲田駅まで歩く
五重塔に向かうと「力道山の墓はこちら」と矢印がある。前にここに来た時にも力道山の墓には行っているので今回も行ってみる。墓地の端の方を通っていき少し歩くとあった。チャンピオンベルをはめて腕組みをしている。
五重塔に戻り、ここから本堂の方に進む。
参拝者があまりいないので本堂前がとても広く感じられる。本堂に入ると南無妙法蓮華経の声が朗々と聞こえてくる。ちょうど祈祷をしているところか。日蓮聖人の像も見える。
御朱印(日蓮宗だから御首題)は本堂内でもいただけるようだが、本堂の手前の受付でもいただけるのでそちらへ行く。値段を言われなかったのでおそらく志納だと思う。500円だろうと思って既に握っていたので(笑)それをそのまま納める。
日蓮宗の御首題は、あの独特のひげ文字の南無妙法蓮華経がなかなか格好良いと思っている。
この本門寺は日蓮聖人入滅の地であり、いろいろ見どころが有るのだけれど、今日はまだ先が長いのでこのくらいで失礼することにする。仁王門をくぐり加藤清正が寄進したとされる石段を降りる。
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