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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※千束八幡神社ではいただけません
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Naoko
2019年01月03日(木)
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都会のオアシス、洗足池にある神社です。

八幡神社は源氏の氏神様ですが、東京には源氏ゆかりの八幡神社が沢山あります。平安時代から鎌倉時代にかけての源氏の関東の勢力の大きさを感じます。

千束八幡神社は、平将門の乱の平定にきた藤原忠方が、乱の平定後にこちらに館を構え、八幡神社を建てたことに始まります。936年の頃ですから、千年以上昔からある神社なんですね!

また八幡太郎義家も奥州征伐の時にこちらで戦勝祈願をしています。

そして源頼朝が石橋山の合戦で敗れて安房に逃れ、再度鎌倉に登ろうとした時もこちらで戦勝祈願をしています。
その時、現われたのが「池月」と呼ばれる名馬。後に佐々木高綱に与えられ、梶原景季の名馬・麿墨との「宇治川の先陣争い」で活躍しました。(吾妻鏡には「生食・いけづき」と書いてあり、ちょっとびっくり)

この辺りは起伏が激しいからか、名馬の産地だったそうです。馬込という地名もそこから来ているとか。

また近辺には池上氏という豪族がおり、池上氏が建てたお寺が池上本門寺になりました。鎌倉時代に日蓮上人を招いたことから、池上本門寺が日蓮宗の総本山になったそうです。

洗足池は日蓮上人がお御足を洗ったことから洗足池という名前になりました。今も日蓮上人が袈裟をかけた松の木が残っています。

明治になると、池上本門寺で西郷隆盛と江戸城無血開城の談判をした勝海舟が、風光明媚なこの地が気に入り、ほとりに居を構えました。

昭和5年頃には、池上本門寺の参拝者の足として、東急池上線が通りました。

千束八幡神社の鳥居千束八幡神社の自然千束八幡神社の周辺
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塩田克太郎
2018年04月22日(日)
30投稿

平成30年4月19日参拝。この神社さんの履歴はほかの方が書かれているので(やはりマルナゲ)・・・。竹村健一さんの超ありがたきお言葉にはビックリでした。果たしてこれが本人自筆のものか・・・?まあそれはさておき竹村健一さんのお名前を久々に聞きました。1930年4月7日生まれ、88歳でご健在のようです。へーこのような場所にねぇ・・と感心しました。

千束八幡神社の建物その他

竹村健一さんのありがたきお言葉。

千束八幡神社の建物その他

その反対側にはこのようなお言葉が。我が家には神棚がないなぁ。かつて貧乏長屋時代には神棚も仏壇もありましたっけ。よくこれらを置くスペースがあったものです。

千束八幡神社の本殿

大田区洗足池の脇に構えるご立派な神社。凄い。

千束八幡神社の絵馬

源頼朝の愛馬になったこの伝説も有名らしい。

千束八幡神社の狛犬

おー凛々しき名馬の銅像が・・!

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歴史

當社は千束八幡神社と稱し、平安前期の貞観二年豊前国宇佐八幡を勧請し往時の千束郷の總鎮守としてこの巒上に創建せられ、今日に至る。
 遠く千百余年の昔より、この地の氏神として尊崇せられ、普く神徳を授けてこらる。
 承平五年、平将門の乱が起る。朝廷より鎮守副将軍として藤原忠方が派遣せられたり。乱後忠方は池畔に館を構え、八幡宮を吾が氏神として篤く祀りき、館が池の上手に当たるに依りて池上氏を呼稱、この九代目の子孫が日蓮を身延から招請す、之池上康光なり。
 又八幡太郎義家奥羽征討の砌、この池にて禊を修し、社前に額つき戦勝祈願をなし出陣せりと伝える。源頼朝も亦鎌倉に上る途次、この地を過ぐるに八幡宮なるを知り、大いに喜び此処に征平の旗幟を建つる哉、近郷より将兵集まりて、鎌倉に入る事を得、旗挙げ八幡の稱あり。名馬池月を得たるも此処に宿舎の折なりとの傳承あり。
 尚境内に武蔵国随一と云われし大松ありしが、大正十三年惜しくも枯衰し今はその雄姿を見るすべもなし。
 古歌の『日が暮れて足もと暗き帰るさに霊に映れる千束の松』と詠まれて居り、老松の偉容が想像されよう。
 斯の如く當八幡神社は城南屈指の古社にて亦名社なり。

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千束八幡神社の基本情報

住所東京都大田区南千束2-23-10
行き方
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名称千束八幡神社
読み方せんぞくはちまんじんじゃ
通称洗足池八幡宮
御朱印あり

限定御朱印なし
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》品陀和気命
創建時代貞観二年(860)
ご由緒

當社は千束八幡神社と稱し、平安前期の貞観二年豊前国宇佐八幡を勧請し往時の千束郷の總鎮守としてこの巒上に創建せられ、今日に至る。
 遠く千百余年の昔より、この地の氏神として尊崇せられ、普く神徳を授けてこらる。
 承平五年、平将門の乱が起る。朝廷より鎮守副将軍として藤原忠方が派遣せられたり。乱後忠方は池畔に館を構え、八幡宮を吾が氏神として篤く祀りき、館が池の上手に当たるに依りて池上氏を呼稱、この九代目の子孫が日蓮を身延から招請す、之池上康光なり。
 又八幡太郎義家奥羽征討の砌、この池にて禊を修し、社前に額つき戦勝祈願をなし出陣せりと伝える。源頼朝も亦鎌倉に上る途次、この地を過ぐるに八幡宮なるを知り、大いに喜び此処に征平の旗幟を建つる哉、近郷より将兵集まりて、鎌倉に入る事を得、旗挙げ八幡の稱あり。名馬池月を得たるも此処に宿舎の折なりとの傳承あり。
 尚境内に武蔵国随一と云われし大松ありしが、大正十三年惜しくも枯衰し今はその雄姿を見るすべもなし。
 古歌の『日が暮れて足もと暗き帰るさに霊に映れる千束の松』と詠まれて居り、老松の偉容が想像されよう。
 斯の如く當八幡神社は城南屈指の古社にて亦名社なり。

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