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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※嶺御嶽神社ではいただけません

みねおんたけじんじゃ

嶺御嶽神社

東京都 御嶽山駅

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03-3720-3333

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
-

おすすめの投稿

えい
2022年08月01日(月)
150投稿

大田区北嶺町に鎮座しています。木曽御嶽山を信仰する木曽御嶽信仰の神社で、関東第一分社。「嶺の御嶽山」と呼ばれているそうです😃
御嶽山駅の近くですがとても静かです。地元の方(たぶん)がお宮参りをされていました😃

嶺御嶽神社(東京都)

大きな社号碑!駅からすぐです😊

嶺御嶽神社の狛犬

慶応3年(1867)奉納の狛犬さま😃

嶺御嶽神社(東京都)嶺御嶽神社の手水

手水舎

嶺御嶽神社(東京都)

身を清めます😊

嶺御嶽神社の狛犬嶺御嶽神社(東京都)嶺御嶽神社(東京都)

社殿😃

嶺御嶽神社の本殿嶺御嶽神社の御朱印

御朱印は書き置きです😊

嶺御嶽神社(東京都)

水行堂の右側に延命地蔵さま

嶺御嶽神社(東京都)

社殿の左手にある一山行者を祀る一山神社

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のぶさん
2020年10月25日(日)
1207投稿

御嶽神社の創祀は、嶺村(現嶺町地区)ができた天文4年(1535年)頃と謂われる。
当時は小社であり祠に近いものであったと推察されるが、後の天保年間(江戸時代後期)に木曾御嶽山で修業をされた一山行者が来社して以来信者が激増し、天保2年(1831年)に現在の大きな社殿を建立し御霊を遷座した。信者の中には江戸の豪商なども多くあり、かなりの寄進がされたようである。関東一円から木曾御嶽山を信仰する信者たちが多数訪れ、その勢いは江戸、明治、大正、昭和へと続く。「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われていたようだ。第二次大戦後は、木曾御嶽山の信者数全体が減少傾向にあるが、現在でも猶、講社が団体で定期的に参拝に来ている。一方、六地区の氏子地域を持ち奉賛会も組織されていることから、地元氏子にも大きく支えられ祭礼も年々盛大になっている。また、20年に一度、本山へ神輿を運んで担ぐ式年祭も執行されている(平成23年8月が第二回目)。神社境内地奥には「霊神の杜」と名付けられた鎮守の森があり、霊神碑と共に神域になっている。森の植樹には横浜国立大学名誉教授宮脇昭先生が監修された。中央に鎮座する本殿は大田区の文化財であり、殊に壁面の彫刻は圧巻。また、樹齢四百年の黒松が「夫婦松」として崇敬を集めている。その他様々な名所が境内地に点在し、商店街の中とは思えない静謐な空間を作り出している。

嶺御嶽神社の建物その他嶺御嶽神社の狛犬嶺御嶽神社の狛犬嶺御嶽神社の手水嶺御嶽神社の本殿嶺御嶽神社の本殿嶺御嶽神社の本殿嶺御嶽神社の末社嶺御嶽神社の本殿嶺御嶽神社の芸術嶺御嶽神社の末社嶺御嶽神社の歴史嶺御嶽神社の鳥居嶺御嶽神社の建物その他嶺御嶽神社の建物その他嶺御嶽神社の建物その他嶺御嶽神社の歴史嶺御嶽神社の本殿嶺御嶽神社の本殿嶺御嶽神社の建物その他嶺御嶽神社の本殿嶺御嶽神社の本殿嶺御嶽神社の本殿嶺御嶽神社の鳥居嶺御嶽神社の周辺
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歴史

御嶽神社の創祀は、嶺村(現嶺町地区)ができた天文4年(1535年)頃と謂われる。
当時は小社であり祠に近いものであったと推察されるが、後の天保年間(江戸時代後期)に木曾御嶽山で修業をされた一山行者が来社して以来信者が激増し、天保2年(1831年)に現在の大きな社殿を建立し御霊を遷座した。信者の中には江戸の豪商なども多くあり、かなりの寄進がされたようである。関東一円から木曾御嶽山を信仰する信者たちが多数訪れ、その勢いは江戸、明治、大正、昭和へと続く。「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われていたようだ。第二次大戦後は、木曾御嶽山の信者数全体が減少傾向にあるが、現在でも猶、講社が団体で定期的に参拝に来ている。一方、六地区の氏子地域を持ち奉賛会も組織されていることから、地元氏子にも大きく支えられ祭礼も年々盛大になっている。また、20年に一度、本山へ神輿を運んで担ぐ式年祭も執行されている(平成23年8月が第二回目)。神社境内地奥には「霊神の杜」と名付けられた鎮守の森があり、霊神碑と共に神域になっている。森の植樹には横浜国立大学名誉教授宮脇昭先生が監修された。中央に鎮座する本殿は大田区の文化財であり、殊に壁面の彫刻は圧巻。また、樹齢四百年の黒松が「夫婦松」として崇敬を集めている。その他様々な名所が境内地に点在し、商店街の中とは思えない静謐な空間を作り出している。

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嶺御嶽神社の基本情報

住所東京都大田区北嶺町37-20
行き方

東急池上線 御嶽山駅下車すぐ

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名称嶺御嶽神社
読み方みねおんたけじんじゃ
通称嶺の御嶽山
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号03-3720-3333
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://mineno-ontake.com/

詳細情報

ご祭神《主》国常立命,豊雲野命,国狭槌命
ご由緒

御嶽神社の創祀は、嶺村(現嶺町地区)ができた天文4年(1535年)頃と謂われる。
当時は小社であり祠に近いものであったと推察されるが、後の天保年間(江戸時代後期)に木曾御嶽山で修業をされた一山行者が来社して以来信者が激増し、天保2年(1831年)に現在の大きな社殿を建立し御霊を遷座した。信者の中には江戸の豪商なども多くあり、かなりの寄進がされたようである。関東一円から木曾御嶽山を信仰する信者たちが多数訪れ、その勢いは江戸、明治、大正、昭和へと続く。「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われていたようだ。第二次大戦後は、木曾御嶽山の信者数全体が減少傾向にあるが、現在でも猶、講社が団体で定期的に参拝に来ている。一方、六地区の氏子地域を持ち奉賛会も組織されていることから、地元氏子にも大きく支えられ祭礼も年々盛大になっている。また、20年に一度、本山へ神輿を運んで担ぐ式年祭も執行されている(平成23年8月が第二回目)。神社境内地奥には「霊神の杜」と名付けられた鎮守の森があり、霊神碑と共に神域になっている。森の植樹には横浜国立大学名誉教授宮脇昭先生が監修された。中央に鎮座する本殿は大田区の文化財であり、殊に壁面の彫刻は圧巻。また、樹齢四百年の黒松が「夫婦松」として崇敬を集めている。その他様々な名所が境内地に点在し、商店街の中とは思えない静謐な空間を作り出している。

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